5話 30分の魔術師
「あ、ああ……助かったよ。……って、うわあああ! 俺のカップ麺がああ!」
カイトは安堵よりも先に絶叫した。
魔狼を弾き飛ばした衝撃の余波で、せっかく沸かしたお湯と、今まさに食べ頃を迎えようとしていたカップ麺が、地面にひっくり返っていたのだ。
少女は杖を下ろし、申し訳なさそうに眉を下げる。
「……失礼いたしました。加減はしたつもりでしたが、大事な食事を台無しにしてしまいましたね。私は旅の魔術師、アリナと申します」
「……俺はカイト。いや、命を救ってもらったんだ。謝らないでくれ」
そう言ってから、ひっくり返ったカップ麺を見下ろし、力なく付け加える。
「……でも、またあの地獄の火おこしかよ。お湯を沸かすだけで日が暮れるぜ」
肩を落とすカイトに、アリナは励ますように、誇らしげに胸を張った。
「火おこし? そんなもの、私の魔術を使えば一瞬ですよ」
彼女が指先をパチンと鳴らす。
倒れた拍子に空になった鍋に残っていたわずかな水が、瞬時に赤く発光し、ボコボコと音を立てて沸騰した。
「……は!? すげえ! めちゃくちゃ便利じゃん!」
カイトは心底感動した。
これなら、意地悪な死神から与えられたこのハズレスキルも日の目を浴びるに違いない。
彼はすぐさま新しいカップ麺をスキルで生成し、沸き立ったお湯を注いだ。
「よし。あとは蓋をして、3分待つだけだ。アリナ、君も食べるだろ?」
「3分も待つのですか?」
アリナは不思議そうに首を傾げ、にっこりと微笑んだ。
「いえいえカイト様。私を誰だと思っているのですか」
彼女は杖を構える。
「私は『時の魔導師』ですよ。そんな無駄な待ち時間、私の魔術で消し飛ばしてあげましょう!」
「え? 待ち時間をスキップ? ……マジか、そんなことまでできるのか! 頼む!」
お湯を沸かす手間も、待つ手間もゼロ。
これぞ異世界転生者の特権だと、カイトは確信した。
「――『タイム・スキップ』!!」
アリナが杖を振る。
視界が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、手の中のカップ麺が、ずっしりと重みを増した。
「さあ、完成です! 私の魔術で、きっかり30分飛ばしておきました!」
「……え? 30分? いま、30分って言った?」
恐る恐る蓋を開ける。
そこにあったのは、麺の形をほとんど留めず、容器の縁まで膨れ上がり、スープを完全に吸い尽くした――茶色の塊だった。
「……うえぇぇ……何だこれ。ぶよぶよじゃねーか! 箸が通らないくらい伸びきってるぞ!」
一口食べて、カイトは顔をしかめる。
噛まなくても口の中で溶けて消える、スポンジ状の正体不明物体。
しかし、隣で同じものを口にしたアリナの反応は真逆だった。
「…………っ!? な、何ですか、この豊潤な口当たりは!」
瞳を輝かせ、頬を赤らめる。
「噛まなくても旨味が溢れ出し、喉を滑り落ちていく……美味です!!」
「えええええええ!?」
「カイト様、これは何という料理なのですか? これほど慈悲深く、熟成された食べ物、見たことがありません!」
「いや、ただの『伸びた』麺なんだけど……30分は長すぎなんだよ……」
カイトの困惑をよそに、アリナはすっかり上機嫌だった。
「カイト様、貴方のような至高の料理人を、こんな森に放っておくわけにはいきません」
彼女は杖を胸に当て、きっぱりと言う。
「さあ、私の宿のある街へ戻りましょう。道中の安全は、私が保証します」
(……いや、悪い人じゃないんだ。
ただ――時間の感覚だけが、致命的におかしい)
カップ麺を「熟成」と言い切る魔術師を横目に、カイトは思う。
(街に行けば、さすがに分かる人もいるだろ。
3分が1番うまいってことくらい)
こうしてカイトは、少しズレた魔術師と共に、次の街へ向かうことになった。
彼の異世界生活は、まだ始まったばかりだ。




