六:――雨――
栃木宿には思川と言う川が東西に流れている。川沿いに歩けば、その栃木宿の西の外れは田畑になっており、雑木林も生い茂っている。その雑木林の中にある廃寺が賭場が開かれている場所だった。俺は気配を消しながら雑木林の中に身を潜めた。平蔵親分から聞かされた人相や風体から黒松を見分ける。普通の商人風の男だが、左の顎に刀傷があるのが特徴だと言う。
案内役の若い衆に導かれて賭場のある廃寺へと向かう賭け客たち。その中には確かに黒松と思わしき男が居た。賭場へと向かう黒松を確認し、あとは気配を殺しながら黒松の帰りをじっと待つ。そして、夜更けも過ぎた頃、廃寺へと向かう細道の向こうから、提灯を下げた案内役に導かれて黒松がやってきた。
俺は三度笠を目深に被って長脇差を抜く。俺の刀は安物だが、親父から受け継いだ鍛冶屋としての目利きから、荒く使っても折れない頑丈なものを選んでいる。こういう荒事のときは役に立つ。
「今だ」
俺は一気に飛び出すと、まず案内役の男を峰打ちで後頭部を打ちのめして気絶させた。そして、黒松の真正面に立つ。
「黒松の親分さんでござんすね?」
俺は黒松を〝親分〟と呼んだ。
「何者だてめぇ」
黒松は自分が普段はカタギの商人として振る舞っているのも忘れて本性むき出しに叫んだ。
「お命、頂戴」
俺がそう呟いたときだった。
「疾風の丈之助! 覚悟!」
そう怒号がとどろき、俺を囲むように十人あまりの男たちが物陰から現れたのだ。いずれもその手に長脇差を手にしている。俺を襲撃を待ち構えていたのだ。黒松が高らかに笑う。
「残念だったな! 丈之助! おめえが襲ってくるのは端っから承知の上よ!」
黒松が俺の襲撃を知っていた――、ならばその理由は一つしかない。
「バレてた?――いや、密告か!」
黒松が歯を剥いて笑った。
「おう! 平蔵のやつの一の子分、青次郎ってやつが教えてくれたぜ! なんでも平蔵との間で跡目争いで揉めていたそうでな、なかなか跡目にしてくれねぇ平蔵に愛想を尽かしていたそうだ。これでおめぇがしくじれば平蔵の顔は丸つぶれ。周囲の親分衆にも顔向けできめぇ。青次郎が平蔵を追い出し、一家を乗っ取る。俺はそれを裏から手助けして、デカい縄張りを手にするって筋書きよ!」
「青次郎の兄さんが?」
俺は思わず蒼白になった。平蔵親分の身内では一番話の分かる人だっただけに信じられない思いでいっぱいだった。だが――
「こうなったら、恥も外聞もねぇ! 皆殺しだ!」
俺は腹をくくった。俺が負けて死ねば、平蔵親分はメンツが立たねぇ。俺が勝って生き残っても闇討ちの事が明るみになり、平蔵親分に迷惑が降りかかる。どっちにしても俺は恩を売れねぇ。この界隈での俺の渡世人としての命は尽きたも同じだ。ならば一人でも多く討ち取って悪名を轟かせる以外にない。
「やれるもんならやってみろ! 疾風の!」
俺は十人の刺客を相手に長脇差を振るったのだった。
§
それからどれだけ人を斬っただろうか? 人を斬ったのか、躯を刻んだのか、わからなくなるような乱戦のち、俺の前には腰を抜かした黒松が地面にへたり込んでいた。
「ま、ま――まってくれ――」
今、俺の周りには誰も居ない。十人の刺客はひとり残らず死体に成り果てていた。そして血まみれの俺と黒松だけだ。
「命乞いですかい? 黒松の旦那」
「ご、後生だ。金なら、金ならいくらでもやる!」
「どんなに金を恵んでもらったって――」
俺はそれを無視して長脇差を振りかぶる。
「――無宿人には使う場所さえねえんですよ」
「ひぃあああっ!」
俺は悲鳴を上げる黒松をその脳天から切りつけた。どす黒い血を拭き上げて黒松は崩れ落ちた。
裏切られた絶望と、仁義を守れなかった無力感と、そして、骨の髄まで染み込む疲労感が俺を打ちのめしていた。
「雨か――」
朝日が登る前の夜空から雨が舞い降りてくる。血まみれの俺を慰めるかのように雨は俺を洗ってくれる。
――パチンッ――
長脇差を鞘に収めると鯉口が涼しい音を立てる。
――バサッ――
俺は道中合羽を翻して栃木宿をあとにした。その後、平蔵親分や青次郎がどうなったかは俺は知らない。