壱:精霊の山 ―迷いの森に七人の亡霊を見た―
朝、日の出前、マルクスの手勢の連中に悟られる前に、街の南側から大きく迂回して北の街道へと向かう。食料は道の途上、先々の農家などに顔を出し事情を話して食い物を売ってもらう。
そうして、旅の準備を少しずつ進めながら精霊の山〝モッシュクラウド〟へと俺たちは向かった。
山はそう大きい山ではないが、裾野が広く、山を守るかのように鬱蒼とした森が果てしなく広がっていた。遠くに見えるその森を眺めながら歩みを進めるが、距離間隔を失うほどに森は広かった。
「こいつは――、しょっぱなから骨が折れそうですぜ」
「ああ、こうだだっ広い森だとどこまで進めばいいか全然わからん」
ましてや道こそあるものの、人の手が入らぬために道は荒れ気味で、道しるべすらマトモにない。一歩間違えば簡単に遭難する代物だったのだ。
「これも、帰ってこれねぇ奴が居る理由の一つか――」
そこで俺は一計を案じた。左腰の長脇刺しを抜くと傍らの木の枝に傷をつけて印とした。
「どこまで進んだか、あとを残しながら進みましょうぜ」
「それが妥当だな」
俺たちは堅実な策を取ることにした。精霊と出くわす前に遭難したらば元もこうもないからだ。そんなことをしながらさらに三昼夜――、アルヴィアの街を出発して1週間が経った時だった。森のさらに奥深く、人里の気配すら感じられなくなったその頃に俺たちは異様な雰囲気を感じ取った。
「旦那」
「丈之助」
お互いに声を掛け合い視線で頷き合う。
俺は長脇差を手にかけて、エライジャの旦那は右腰に下げた拳銃に手をかけた。
姿形は見えない、だが気配は間違いなく、近づいてきていた。
「丈之助、お互い生きて帰ろうぜ」
「当然です、ここで死ぬわきゃぁいきませんぜ」
そして俺たちは背中を合わせながらそれぞれの方向を向いた。
――来た!――
不意に周囲を暗闇が包み視界が奪われる。
間違いない、これが、森の妖精どもの仕掛けてくる試練なのだろう。
だがそこで俺を襲ったのは思いもよらぬ光景だったのだ。
「お前たちは――」
俺の目の前に立ちはだかったのは、これまで俺を追ってきた7人の役人たちだった。羽織袴に菅笠姿、お侍が長い旅路を歩いて下手人を追う時の出で立ちだった。若いのは二十そこそこ、歳を重ねているのは四十歳を超えていた。
俺は相模の国でお縄を頂戴し、江戸表に送致となり、その途上で大雨で流されたことで九死に一生を得ていた。それから関八州を流れ歩き、生き残るため――ただそれだけに追っ手を斬り続けたのだ。宛てもなく、意味もなく――
そして、いつしか俺は7人の役人を斬った〝凶状持ち〟として高札に名前が出るようになった。そして、俺は渡良瀬川沿いの山中で矢で射られて命を落としたのだ。
「お前たちは俺が斬った」
俺が斬り伏せた7人の追手だった。
その姿に俺の記憶が蘇った。仇討ちを試みて、捕らえられ、九死に一生を得るあの洪水の夜の事を――
父の敵の悪党役人を斬り、役人を焚き付けて親父を焼いた極悪人の商人を斬り殺し、親父殿の仇を討ったと思ったのもつかの間、俺の敵討ちは認められず人殺しの咎人として有無を言わさず捕らえられた。
どんなに釈明して訴えても無駄。気の触れたはぐれ者が金欲しさに刃物を振るった――、役人どもの仲間たちはそう筋書きを考えて俺の口封じを図ったのだ。
そして、俺は逃亡の末に追い詰められて、山奥へと向かう脇街道の細道で10人ほどの追手に追い詰められて捕縛された。
役人たちの吟味もいい加減なもので、俺の死罪と獄門台送りは端から決まっていたのだ。
だが、運命は一瞬だけ、俺に味方した。
俺が斬り殺した悪党役人の不正が、別件で露見し、江戸表の老中が江戸の評定所にて吟味すると口を挟んできたのた。
俺の口を封じたかった小役人どもは抵抗したが、お侍の役人と言うのは、上が偉くて下は服従という、理不尽がまかり通る世界だ。
俺の江戸送りは確定となり、囚人移送のための籠に押し込められて、江戸へと運ばれることとなった。
だが、相模国の外れの酒匂川で大雨となり足止め、だが、江戸表への移送は遅らせることが出来ないと、雨の中の危険な渡河を強行した。
「お役人の旦那! いくらなんでも無理ですぜ! この大雨の中を渡ろうだなんて!」
「黙れ! 江戸の御老中と評定所の吟味役は、評定吟味の刻限を定めておる! これ以上の遅れは許されん!」
「金に糸目はつけん! なんとしても川を渡るぞ!」
役人の強引な川越え要求――俺が閉じ込められた籠を載せて船を出す。そして――
「鉄砲水だ!」
「逃げろ!」
「うわぁあああ!」
船に乗った四人と俺――、夜の濁流に飲まれて見事に川底に沈んだ。俺も死を覚悟した――
だが、
「う……」
俺は翌朝、下流の川岸に流されていた。
「い――、生きていた?」
幸運にも俺は奇跡的に生きていた。だが、一生分の運を、そこで使い切ってしまったらしい。俺の地獄の日々の始まりだったのだから。
流されついた俺の周囲には、役人が一人居たが隙をついて必死に逃げた。だが、やつは追ってきた。
そしてそれが、俺が関八州を流れ歩く、無宿渡世人としてのはじまりだったのだ――




