五:危ない橋
そして、平蔵親分も腹に思うところがあったのだろう。一つの夜を過ぎて二日目の夜、平蔵親分が俺に酒を用意してくれた。川魚を酒の肴にサシで話したいと言う。青次郎に招かれて、あの角火鉢の据えられた部屋に行けば、酒と魚がもられた膳が2つ並んで座布団も二人分有った。その片方には平蔵親分が待っていた。
「親分、丈之助さんをお連れいたしやした」
「ご苦労、まぁ、座れ」
青次郎は頭を下げて退室し、俺は一礼しつつ平蔵親分の前に正座した。そして、早速におちょうしを手に俺に酒を注ごうとする。俺は杯を手にして酌を受けた。
「昨日は俺の子分が失礼したな。まぁ、勘弁してくれ」
「いえ、お気遣い、ありがとうござんす。ご一献、いただきやす」
そして、俺も親分に酒を注いで酌をする。そして、二人だけでの話が始まった。
「丈之助、悪いがお前さんを長逗留はさせられん」
やはりそれか――と、おれは思った。そして親分はその理由を答えた。
「役人がうろついている」
「俺のことで?」
「おそらくな。とは言えお前を売るような真似は渡世に生きる者として口が裂けてもできねえ」
「恐縮です」
俺は平蔵親分の真剣な表情に、このお方の情の深さを感じた。
「そこでだ、お前に多めに路銀をやる。当面の間、貸元に草鞋を脱がずに暮らせるようにな。それで役人の目の届かない遠くの土地に逃げるがいい」
「ありがとうございやす」
だが世の中はうまい話ばかりでない。俺は長年の経験からその先を察した。
「で? 俺は何をすればよろしいんで?」
俺の鋭く真剣な表情に親分は深く息を吐いた。
「さすがだな――そこまで読むか。この渡世でまとまった金を手にするにはデカい商売をこなすか、危険な橋をわたるしかない。当然、お前に頼むのは危険な橋だ」
親分は手にしていた盃を膳に置いて語り続けた。
「この栃木宿の西の外れで馬喰人足の元締めをやっている黒松と言う商人がいる。ただ、この黒松という男、表向きは商人だが、裏ではやくざ者を手なづけていたり、こっそり賭場を開いてたりと、真っ黒に染まった男だ。本来なら、きちんと近隣の親分衆に断りの仁義を通して一家を興して商売をするべきだ。だがその最低の仁義すらこの男にはねぇ」
表の人間が裏の渡世に断りなくシノギを行う――、これは絶対に許されねぇご法度だ。
「平蔵親分はもとより、他の親分衆はどのようにお考えで?」
「当然、納得はしてねぇ。自分の縄張りを食われているやつも居る。だが、馬喰と言う商売柄、腕っぷしのたつ男を豊富に揃えていてな、一度、黒松を潰そうを戦を仕掛けたやつが居たが、返り討ちにあったそうだ」
「金さえあれば――ってやつでござんすね」
「そうだ」
〝馬喰〟――馬や牛の買付や売買を行う仲買人の事だ。ただ、その商売柄、交渉力はもとより荒事もこなせる才覚も必要になる。手下の買付人も多数雇わねばならない。そのため、渡世のやくざ者と対して変わらない連中が多い。ただ普通は、他の親分衆との間できちんと話し合いをし仁義を通して、うまく商売をこなしている。だがこの黒松と言う男、本職のやくざ者ですら手を焼く御仁らしい。
「で――、一人の時を襲えと」
「そうだ。黒松は大の博打好きでな、今夜、栃木宿の西の外れの廃寺で黒松が目をかけている男が開く賭場がご開帳される。黒松は大金を注ぎ込んで半丁に血眼になる。そして、夜更け過ぎに帰ってくるんだが狙い目はそこだ」
賭場――いわゆる博打だ。サイコロによる半丁、札を使う手本引きなどがある。賭場は幕府により厳しく取り締まられているが、それをこっそり開くのも渡世の親分のシノギのひとつなのだ。
「賭場の帰りの隙を――でござんすね」
平蔵親分はうなづいた。
「やってくれるか? やってくれるなら十両だそう。黒松が消えるなら、他の親分衆もお前の動きには目をつぶってくれるだろうぜ」
なるほど、確かにこれは俺にも利のある話だ。豊富な路銀が手に入るし、なによりこの土地の親分衆にも恩を売れる。これからの無宿の旅が多少は楽になるだろう。それに俺にこの話を切り出す前に、平蔵親分は他の親分衆にも、筋を通すのに動いてくれたはずなのだ。その労苦には報いなければ渡世人として男が立たねぇ。
「承知いたしやした。仕事、お引き受けさせていただきやす」
「おめぇならそう言ってくれると思ってたぜ」
そう言いながら平蔵親分は着物の袖の中から半紙で包まれた小判――俗に言う〝切り餅〟を取り出した。それを手に取り中を確かめる。そこには確かに十両が入っていた。
「親分、あっしはこのまま裏木戸から出立させていただきやす。仁義の筋にない出立になりやすが平にご容赦ください」
俺は親分に深々と頭を下げる。親分は俺の手ぬぐいを返しながら言う。
「ほとぼりが冷めたらまた来てくれ、そのときは心ゆくまで酒を飲もうぜ」
「へい」
そして出された膳を平らげると、早速に荷物をまとめて出立する。屋敷の裏口である裏木戸までは平蔵親分が自ら送ってくれた。
「達者でな。疾風の」
その時初めて、平蔵親分の笑顔が見えた。本当に情のある侠気あふれるお方だった。俺は無言のまま頭を垂れて礼をする。そして夜の闇に紛れて廃寺を目指したのだった。