壱:折れた刀
それから俺は昼間に人足仕事をこなし、人の気配が絶えてから人目を避けながら時折エマの工房へと足を運んだ。あいつの刀の仕上がりを見守るためだ。だが、夜中に不意に目が覚めることもあった。長年の無宿人生活で人の気配には敏感になっているためだ。
(――またか、誰だ?――)
人が動く気配がする。盗人ではないらしい。その気配の主を探れば、そこに居たのはあの男だった。
(――ガードナー?――)
ホルデンズの旦那の館を抜け出して時折何処かへと行くのだ。やつだけがする不気味な動き。あのエマの工房での振る舞いなどを見ても俺は不安を感じずには居られなかった。そして、その不安は現実のものとなってしまったのだった。
俺がいつもの人足仕事をしているときだった。
「丈之助さん! 大変だよ!」
「エリザの姐さん? どうしやした?」
「早く!」
手招く姐さんに連れられて行ったのは下手の町の南側――職人街だった。俺の腹に言いしれぬ不安が沸き起こった。
「まさか?!」
焦りながら駆けつければ、エマの工房では人だかりができていた。
「離せ! 離せぇ!」
少女が叫んでいる。聞き覚えのある声。エマの声だ。明らかに暴力を振るわれている。人混みをかき分けてさらにその向こうへと駆けつければそこに見えたのは工房から無理やり連れ出されそうになっているエマの姿だったのだ。
「私はなにもやってない!」
だがエマの両手首には鎖が付けられていて、あの糞領主の腰巾着騎士共が無理矢理に引きずっていこうとしていた。
「エマ!」
おれは思わず叫んだ。そして、長脇差を抜いて一気に飛びかかる。
「そいつを離せ!」
だが俺の怒号はある男に遮られた。燃えるような赤毛の長髪、左目を縦に頬のあたりまで切り傷のあとがある。眼光鋭く歳の頃は四十過ぎだろう。騎士として半甲冑鎧を身に着けているのは他の連中と同じだったが、体格・威厳・貫禄、その何もかもが違う。なにより腰に下げている剣が別物だった。
「お前たちは先にいけ」
「はっ!」
そう語りながら腰のものを抜いた。作りは両刃の直剣で鍔は十字、先が鋭く根本は幅が広い――、斬ってよし、刺してよし、とても巧みに作られている長剣だった。雑兵共の下げている鉄くずとはわけが違う。やつの足元を見れば土煙も無く、すり足でもない。足運びが恐ろしくしっかりしていた。
(――剣士! 相当修行を積んだ手練れだ!――)
しかも構えは取らない〝無為〟の構え。こっちが攻めてくるのを悠然と待っている。飛び込めばこっちが不利だ。
「どこのどなたさんで」
「領主マルクス・トルヴァス付属、戦闘軍団指揮官ヴォルフガング・クラッセン――貴様、疾風の丈之助だな?」
「いかにも――ときにヴォルフガングの旦那、そこをどいちゃくれませんかね?」
俺も長脇差を抜いて両手に構える。こっちも腰を据えて構えねぇと斬り合いで勝てねぇ。
「それは無理だ。あの娘を連行せねばならん」
「エマにゃぁ、なんの罪もねぇ!」
「罪はある。勝手に神落としと口を利いた」
俺は腹の底から怒りをぶちまけながら飛び出した。
「口を利いただけで下手人になるなんてご定法がどこにある!」
一足飛びにヴォルフガングの懐に飛び込む。切りつけようとしたが――
「我が主が決めた!」
――ボォオオッ!――
やつの背後から突然、炎の塊が浴びせられた。どこから来た炎か検討もつかない。熱さをこらえて視線を向ければ、やつのその背後には宙を舞うように赤いシルエットの女が控えていた。長い髪の大人の女、着衣のドレスも髪の色も赤い、そしてその全身からほとばしるように炎を漂わせている。
ただ、その女は――泣いていたのだ。
「よくやったカイラ、そのまま次の攻撃を準備しろ」
「――はい、ヴォルフガング様」
女の首には鉄首輪のように光の輪が食い込んでいる。まるで飼いならされた牛や馬だ。炎に怯んだ俺にヴォルフガングは襲いかかってきた。その太刀筋は鋭く、重く、そして素早かった。
――キィンインッ!――
やつの剣と俺の長脇差、打ち付け合うと鋭い音が鳴り響いた。やつは一気に畳み掛けるように何度も打ち込んでくる。
「どうした? 威勢は声だけか?」
「やかましい!」
怒鳴り返せばやつは剣を引いて振りかぶる。そして満身の力を込めて一気に振り下ろす。
――ガッギィイイインッ!――
鋭い音となにかが折れる音だ。俺の長脇差が真ん中あたりで砕けていた。
「しまった!」
どんなに強い刀だろうと無理をすれば折れることもある。俺の長脇差は俺の旅路の相棒だったが、その分、酷使されていた。ましてや流れ旅の男の腰のものだ、手入れなんざされてねぇ。
「武器の手入れがなってない。見掛け倒しだな――カイラ!」
「はい――」
俺の眼の前で首に戒めをつけられたその赤い女は両手に炎の塊を生み出した。それを俺へと向けて打ち放つ。
――ボッォオオンッ!――
猛烈な炎が俺の体を焼き尽くす。その時赤い女の唇はこう動いていた――〝ごめんなさい〟――と。
「がぁあああっ!」
苦悶の声をあげる俺を炎は吹き飛ばす。転げ回る俺を無視して、ヴォルフガングは悠然と歩き去った。そして――
「おい」
冷酷な声が聞こえる。顔を上げれば俺をあの〝ごろつき騎士〟どもが取り囲んでいた。
「散々世話になったな」
その一言と同時に蹴りが飛んでくる。数人がかりの可愛がりだ。
「簡単に死なすな、徹底的に思い知らせてやれ!」
「おう!」
何度も繰り返される蹴りや殴りにいつしか俺の意識は吹っ飛んだ。
――こんなはずじゃ――
その思いと一緒におれの中に残ったのは〝後悔〟だけだった。




