十六:賭け腕相撲
俺は人足の仲間たちと一緒に日々の仕事をこなしていく。単純な荷物運びと思ったがこれが意外と頭を使う。積荷をどこに運ぶか、運んだ先の倉庫の中でどこにしまうか、また積み荷自体を運ぶ際の手際も要求される。中身によっては乱暴に運ぶと商品として売り物にならなくなるのもあるからだ。
そうした厄介事は先輩の人足たちが事細かに教えてくれるから問題は何もなかったが、俺の上役となったガードナーという男は心ここにあらずの様子で何が不満なのか現場の仕事に口出しをすることもなかった。そのあまりの無関心さにソーンスの兄貴がたしなめることもあるくらいだ。
自分の親分がいるのなら、白いものを黒と言われたら黒と答えるのが親分子分の間柄にある者同士の常識だ。それがわからねえなら荷物を畳んで姿を消すしかないだろう。そんな苛立ちを感じながらも俺は、周囲の指示に従いながら黙々と仕事を続けた。幸いにして大きなしくじりはなく確実に信頼を掴んでいく。
「おい、丈之助! 倉庫への荷入れが終わったらこっちも頼む」
「へい!」
「これを荷馬車に乗せて、船着場に持って行ってくれ」
「承知いたしやした」
「頼むぞ終わったら休憩だ!」
仕事の休憩は日に3度ある。午前の中頃、昼、午後の中頃の3度だ。
そしてその日の昼の休憩、飯を食った後、仕事場の広場の真ん中で人足のみんながやたらと盛り上がっていた。
俺は彼らに声をかけた。
「何騒いでるんですかい?」
「お? 丈之助か、お前もやるか」
振り向いて答えてくれたのは俺に仕事を教えてくれている先輩の人足だった。広場の真ん中に大きな樽が置かれていてそこに2人の男が向かい合っている。肘を曲げて右腕を出して組み合っている。
「ほう? 腕相撲ですかい」
「ああ、賭けありのな! 5人連続勝ち抜けで掛け金を総取りするっていう流れだ」
すでに目の前には4人勝ち抜いた男がいた。人足頭のグスタフだ。懐から掛け金の銅貨を置くと俺は進み出る。
「お願いいたします」
「おう!」
体格で言えばグスタフの方が大柄だった。対して俺は細身であり比較的小柄だった。こちらの世界の男たちと、日本人である俺の民族としての違いだった。
「どっちが勝つと思う?」
「さあな、グスタフの旦那じゃあねえか?」
一見すると大人と子供にも見えるような体格差がある。しかしもしかしたらという空気も周囲にはあった。
「行くぜ」
「へい」
そして勝負が始まる。一気に攻めに出たのはグスタフだった。だが俺は踏ん張った、誰かが俺を鋼のようだと形容していた。グスタフがどんなにうなっても俺の腕はびくともしなかった。渡世人として流れ歩いていて、思うのは筋肉とは量じゃない、鍛え方なのだ。今の俺なら、この人足連中の誰にも負けないだろう。荒事で培った力は伊達ではないのだから。
驚くグスタフを前にして俺は一瞬のスキをついた。
「ふっ!」
――ダァアン!――
グスタフの腕が樽に叩きつけられた。驚く周囲をよそに俺はつぶやく。
「さあ次は誰ですかい?」
腕自慢が立て続けに並ぶ。荷揚げ人足という力仕事の男たちを前にしても俺は屁でもなかった。
「ほう? 賭けアームレスリングか」
あっけに取られる男たちの中で、5人目に俺の前に立ちはだかったのは初めて見る人物だった。襟付きのシャツにズボン姿、頭には丸つばの革製の帽子を被っている。肌や髪の色はこっちの世界の連中と同じだが、雰囲気はどことなく違った。樽の上に掛け金の銅貨を置く。
「俺が相手だ」
「どなたさんで?」
「医者のエライジャだ」
エライジャは医者と言ったが、そう思えないほどに体は鍛えられていた。なにより目つきが違う。荒事をこなしてきた男と、普通の男では、違いはまず目つきに現れるのだ。
「望むところです」
男と男の意地のぶつかり合いだった。当然周りも一気に盛り上がる。大声で歓声が響いた。
「エライジャだ!」
「丈之助だ!」
「医者だ!」
「新入りだ!」
声が飛び交い掛け金が集まる。そして熱い勝負が始まった。歓声が沸き起こる中、俺とエライジャはお互いの力を限界まで振り絞った。どちらの腕もびっくりともしないまま、腕の筋肉に血管が浮き上がるほど力が込められていた。なにより、俺は〝楽しかった〟
「流石でござんすね」
「お前もな! だが勝ちは譲れねぇ!」
「ようござんす! 望むところですぜ!」
「よし来い!」
熱狂と歓声が沸き起こる。そして俺達は互いの力を精一杯に出し尽くした。
「丈之助!」
「エライジャ!」
「行け!」
「そこだ!」
そして、どれほどの時間が過ぎたろう、汗にまみれる俺達だったが、先に根負けをしたのはエライジャだった。
「くっ!」
うめきをあげながら手を震わせる。ここが攻めどころと俺は気づいて腕に力をさらに込めた。そしてついに勝負は決まる。
――ダァアンッ!――
エライジャの腕が樽に叩きつけられ、俺の5人抜きが達成された瞬間だった。
「丈之助の勝ちだ!」
天をつくような歓声が沸き起こる。溜まった掛け金が集められて俺に手渡された。
「持ってけお前の金だ!」
俺はそれを笑顔で受け取ったが、俺はもともと無宿人だ。大金に興味がない。それだけの金を持っていても持て余すからだ。ならばこの金を生かす方法は1つしかない。
「それじゃこの金でみんなで飲みに行きませんか? これも何かの縁です」
「おおお?」
「行くかみんなで?」
「いいな!」
エライジャも満足げだ。
「気前がいいな!」
「こう言うのは皆で楽しむもんです」
一気に場が盛り上がる。俺の粋な計らいの声に誰もが笑顔を浮かべた。だが、その賑やかさを聞きつけた人物がいる。誰であろう俺達の親分であるホルデンズだった。グスタフがホルデンズと言葉を交わしていた。
「どうしたら随分盛り上がってるじゃねえか?」
「ああ、頭、腕相撲やってたんですが盛り上がりましてね、5人抜きをしたのが丈之助だったんですよ」
「ほう? この力自慢の男たちの中でか?」
「ええ、この体にどこにそんな力が詰まってるのかと思いましたよ。あのエライジャも負けました」
「なに?」
驚くホルデンズの顔には、エライジャがそれだけ腕っぷしを信頼されている事が現れていた。
「で? やるんだろう酒盛り?」
「ええ、丈之助が賞金の取り分をそのまま飲み代にすると言いましてね」
「だったら――」
ホルデンズは大声で叫んだ。
「お前ら! 飲み代の足りない分は俺が出す! ちょうどいい、丈之助の歓迎会だ! 夕方、早じまいして繰り出すぞ!」
その言葉に男たちが2度沸いた。ホルデンズの旦那は俺に視線を向けて頷くと俺もそれに答える。俺は自分がこの場に受け入れられつつあること心から噛みしめたのだった。