十五:年増女と人足仕事
すると店の奥から現れたのは紫色も鮮やかな一枚物の着物――ドレスというのだそうで、それに髪をまとめる頬かむりをした金色の髪の美人の年増女だ。俺達のテーブルに硝子でできた酒杯を人数分置いていく。酒杯の中には琥珀色の濃い香りのする酒がある。大人の女の落ち着いた声が聞こえた。
「運を物にするのも、いい男の条件だよ」
「イリス?」
ソーンスが彼女の名を呼ぶ。
「店を守ってくれたお礼だ。飲んどくれ」
「この店の女将さんですかい?」
「あぁ、この店を開いて10年になる。楽しんでいっておくれ」
そう告げて笑顔を残して店の奥へと帰っていく。酸いも甘いも噛み分けた大人の女の雰囲気がした。
「験直しだ。飲もうぜ」
「へい」
兄さん方も上機嫌だ。俺は自分の振る舞いでこの人たちの名前を守れた事をこころから嬉しく思えた。喧騒が広がり、酒を互いに酌み交わし続ける。そして、その日は夜がふけるまで、心地よい酒を腹の底から楽しんだのだった。
§
かなりの酒を煽ったのだが、悪酔いもせず次の日の朝はスッキリと目が覚めた。こっちの世界では当たり前のベッドと言う寝床にも慣れてきて、夜中に目が覚めるような事もなかった。
水場で顔を洗い、身支度をして食堂に顔を出す。ここでの食事は大皿に盛られたものを自分でさらに取るやり方だ。力仕事の人足が多いためか、肉料理や汁物が多いのが特徴だった。先に来ていた兄さんがたに習いながら、食事をしていれば、先日の仁義きりの啖呵口上を覚えている御仁や、昨夜の酒場での大立ち回りを見ていた奴とかが俺に声をかけてくれた。
「新入り! しっかり食っとけよ!」
そう言いながら俺の背中を叩いていったのは、人足頭の大男でグスタフという男だった。皮ズボンに布製のシャツ、頭にはバンダナという布製の被り物をしていた。目線で挨拶をすれば、笑顔が印象的な好漢だった。
ちなみに昨夜俺を飲みに連れて行ってくれたソーンスの兄貴はホルデンズの旦那の側近として事務方の仕事をしているそうだ。
飯を食い終わり少ししてから仕事場の詰め所に集まる。そこで仕事を割り振るのはグスタフの役目だと言う。
「今日は外洋からの船荷が届く! 荷揚げ人足は船からの荷下ろしと、取引先別の倉庫への仕分けだ! 班の割り振りはいつもどおり!」
「へい!」
「それと今日から新入りが入る! ホルデンズの旦那からの紹介だ! 割り振りは――ガードナー! お前の班に入れる! 教えてやれ!」
「承知しました」
「よし、それじゃ始めるぞ!」
「おう!」
それぞれに割り振りの班のところへと向かい仕事場に出る。俺は打ち合わせで聞かされたガードナーという男のところへと向かう。体格的にはグスタフのような力持ちな人足と言うよりは、ソーンスの兄貴のような引き締まった体つきの男だった。
「よろしゅうお願いいたしやす」
「あぁ」
挨拶をするが反応はそっけない。それにどこかよそよそしかった。昔ながらの勘が働くが、出会ってそうそうに揉めるのも損だ。ここは下手に出ておこう。
「こっちだ。船から降ろした荷物を蔵に運ぶ人足をやってもらう」
割り振られた仕事は船から降ろされて無造作に置かれた荷物を、取引先の商人の倉庫別に仕分けて、さらにそれを蔵の中へと運んでいく部署だ。荷物を仕分ける役目のものが別にいるので、指示されたとおりに運んでいくだけでいい。ただ、おそらくは力仕事の重労働だろう。
「荷物の木箱に屋号の紋章が焼印されている。それと同じものが蔵倉庫の入口に掲げられているからそれで見分けろ」
「承知いたしやした」
とは言え、ガードナーは最低限のことしか言わずに行ってしまったので、どこから手を付ければいいか俺は迷った。だが、同じ班の別な人足が教えてくれて事なきを得た。
「わからないことが聞いてくれ。ガードナーなんかよりその方が早い」
「恩にきります」
「あぁ、それより――あれでホルデンズの旦那の身内だってんだから参るぜ」
「口数もすくねぇからなにを考えてるのかわからねぇぜ」
先輩人足の兄さんがたは口々にぼやく。悪人ではないのだろうが、一筋縄ではいかない御仁のようだ。まぁ、どんなところにもそう言ううやつは居るのだが。
「まぁ、こっちはこっちの仕事をヤるだけさ。さぁ、始めようぜ」
こうして俺達は人足仕事を始めたのだった。