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参:栃木宿の平蔵親分

 玄関の土間の敷居の際まで歩み出ていた若衆は返しの口上を始めた。

 

「ご丁寧なるお言葉。申し遅れて失礼さんにござんす。手前、栃木宿平蔵一家に従います若い者。名は青次郎。稼業、未熟の駆出し者。以後、万事万端、宜しくお頼申します」

「丁寧な仁義、有難う御座います。どうぞ、お手をお上げなすってくださいやし」

「あんさんから、お上げなすって」

「それでは困ります。青次郎の兄さんからお上げなすって」

「では、ご一緒にお手をお上げなすって」

「有難う御座いやした」

「有難う御座いやした」


 互いに仁義を切り、名乗りあったあと、互いに譲り合いながら、当時に頭を上げる。ここまでこなして名乗りの挨拶としての〝仁義〟を通したことになるのだ。そして、俺は懐から、木綿の手ぬぐいを取り出した。そこには俺の二つ名である〝疾風の丈之助〟の名が墨書きで記されてあった。


「どうか、平蔵親分にお取次ぎ、控えてお願い申し上げます」

「疾風の兄さんのお名前はかねがねお聞きしておりやす。さっそく親分にお取次ぎいたします。雨に濡れて寒うござんしょう。傘と合羽を脱いで、こちらにてお控えください」

 

 俺の出した手ぬぐいを受け取ると、青次郎と言う若い衆は軽く頭を下げると、言葉を残して屋敷の奥へと姿を消した。

 そして、玄関にて静かに待てば、

 

「親分がお待ちです。こちらへおいでください」


 俺は三度笠と道中合羽を外すと、青次郎の後をついて屋敷の中を歩いていく。そして、とある一室で、この一家を率いる親分である平蔵と顔を合わせることとなる。丁寧に手入れされた庭に望む八畳間、河岸問屋と言う家業故か、この界隈では見られない大きな焼き物の大皿が飾られている。壁際には頑丈そうな船箪笥がいくつも並んでいる。この親分、生粋の船頭あがりの男らしかった。

 その上座に角火鉢が置かれ、その傍らに座布団が敷かれて一人の男が羽織袴をまとい、あぐらをかいて座っている。歳の頃は数えで四十は過ぎているだろうか。右の額に二つの刀傷があり、若い頃は荒事で慣らしたであろう風格が漂ってくる。この栃木宿に根を下ろす大親分の平蔵その人だ。右手に螺鈿仕込みの長煙管を持ち、タバコの紫煙をくゆらせている。

 俺が座るのは、平蔵親分の真正面の下座だ。当然、座布団などない。

 俺は脇差しを抜き、裏返した三度笠の上に丁寧に畳んだ道中合羽と共に脇差しを置くと軽く頭を下げて一礼する。すると、親分の声が響いた。

 

「愛甲の、おめえの疾風の丈之助の名前は聞いてるぜ。めっぽう、腕が立つそうだな?」

「恐縮にござんす」


 親分は鋭い視線で問いかけてきた。

 

「今まで何人仕留めた?」

「追っ手の役人は七人、やくざ者の相手は十を最後に数えるのをやめました」


 表ではまだ晩秋の冷たい雨が降り続いている。平蔵親分が煙管の頭を下に下げて、火鉢に打ち付けながら一言尋ねてきた。

 

「聞かせてもらおうか、その仁義を」


 俺は頭を上げ、座り直してから深く息を吸い込む。そして、静かながらも力強い声で語り始めた。


「一礼申し上げます――

 相模の国、愛甲郡、鍛冶屋のせがれに生まれ落ちました丈之助と申す者。

 幼き頃、父母を理不尽に亡くし、世の無情を悟りて渡世人として生きる道を選び、流れ流れて幾星霜。

 この身に名もなき日の暮らし、裏街道にて多くの恩義を受け、多くの敵を斬り、今に至るまで命を繋いでまいりやした。

 人呼んで、疾風の丈之助――

 その速さと太刀筋より名を頂戴した身でございやす。

 どこの土地に腰を落ち着けることもできず、渡世の中をさ迷う無宿の身。

 このたび、貴殿の土地に草鞋を脱がせていただきたく、何卒ご高配を賜りたく存じます。

 一宿一飯の恩義を受ける以上、この命に替えても御恩は返す所存にございやす」


 俺が一礼して、再び頭を上げれば、親分は鋭い視線で俺を見つめていた。


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