弐:丈之助、仁義を切る
俺を一瞥した後、声をかけてくる。
「手前です。お入りくだせえ」
この場合の手前とは自分のことをではなく、自分たちを含む平蔵一家を差して言う。そして、此処から先のやり取りは淀み無く行われなければならない。俺のような無宿者の渡世人が、通さねばならない〝仁義〟と言う作法だ。両足を前後に開いて腰を落とし、右掌を前に出し相手に見せるように突き出す。すると俺の作法を前にして、相手の若衆も俺と同じ姿勢で右掌を出して突き出してきたので最初の挨拶をする。
「御免なせえ。軒先に失礼さんにござんすが、仁義、発しさせて頂きやす!」
ここが目的とする平蔵親分の館である事を確かめたうえで、まずは仁義の挨拶をこれから始めるという事を伝えているわけだ。そうなれば、その仁義の挨拶を受ける若衆が返してくる。
「ご丁寧にありがとうござんす。手前、控えさせていただきやす」
これは〝あんたの挨拶は俺が聞くぜ〟と言う返しの言葉だ。そしてさらに俺は返した。
「さっそくのお控え、ありがとうござんす。当家の軒先三尺三寸借り受けまして、仁義切らせていただきやす!」
これもまた決まったやり取りの一つだ。このやり取りを一字一句間違えず、調子よく互いに挨拶を返し合って仁義の挨拶は本番となる。
俺はその若衆の男を相手に、一気に語り始めた。
「手前、生国発しますところ、相模の国、愛甲郡にございやす。
元は鍛冶屋の倅にてございやしたが、親を理不尽に殺され、十余歳にして天涯孤独の身の上となり、世の辛酸をなめながら流れ流れてまいりやした。
十八の頃、仇を討ち果たし、一度はお縄を頂戴するも、それからと言うもの、渡世人として各地の親分衆のご恩に預かり、どうにか生き長らえております。
手前ごときの身でありながら、二つ名を『疾風』と名乗らせていただいておりやす。
本日は、栃木宿の大貸元の平蔵親分様の評判をかねがね聞き及び、何卒一宿一飯のご恩を賜りたく、仁義を切らせていただく次第にございやす。
なにぶん不束者にて、至らぬ点も多々ありましょうが、この丈之助、命に代えても親分衆のご恩には報いさせていただきやす。
どうぞ、ご高配を賜りたく、伏してお願い申し上げます!」
これが渡世人が一つ所に安住せずに、世を流れながら生きるために肝心な〝仁義を切る〟と言うヤツだ。自分がどこの生まれのどういう身の上で、名前や肩書を一気に伝え、そして、この貸元の親分の所に何をしにきたのか? そして、何を望んでいるのか? までを必要な礼儀を交えて伝えるのだ。
これを言い淀んだり、言葉に詰まったりするのはもってのほか、ましてや嘘偽りを並べたりするのはご法度で〝騙り〟として袋叩きにされることもある。なにより男気と貫禄が試される。信用や身分など意味をなさないのが、無宿の渡世人の世界だ、自分が何者かを信じさせる――それ以外に生きるすべは無いのだ。
俺の仁義を最後まで聞いていた若い衆が返礼の仁義を返してきた。