失いたくないもの
ひかりがついに自らの霊輝を解き放ち、アレクスもまた必死に訓練を重ねていく。
しかしその中で現れる夢喰いは、これまでとは違う脅威を放っていた。
仲間を守るため、アレクスは限界を超え、ひかりもまたこれまで封じてきた力を振るう――。
交錯する戦いの中で、それぞれの決意が試されていく。
『4月27日 / 15:33』
霊輝の訓練をしなければならない。時間を無駄にするわけにはいかなかった。
エミリーに連絡して、家の近くの公園で会うことにした。ライラには公園で遊んでもらって、アンジュが遠くの木の上から見張ってくれている。
すべてが平和に見えた。
その時だった。
何か冷たいものが頬に触れた。
「うわっ!」
振り返ると、エミリーが水筒を手に持って立っていた。俺をからかって楽しんでいるようだった。
「先輩、日曜日の午後に呼び出すなんて、よっぽどやる気なのね」
罪悪感が胸を突いた。エミリーの予定を狂わせてしまったのかもしれない。
「すまん...」
「謝る必要なんてないわよ」
エミリーは腰に手を当てて、人差し指をくるくると回した。
「どうせ来ることにしたのは私なんだから」
確かにその通りだった。エミリーが自分で予定を変更して、俺を助けに来てくれたのだ。これを無駄にするわけにはいかない。
「メッセージで伝えた通り、できるだけ早く霊輝を鍛えたいんだ。頼む、エミリー。俺を助けられるのは、お前だけなんだ」
頭を下げた。本気だということを示したかった。
「先輩、そんなに堅苦しくしないで。その代わり、覚悟しておいてね。優しくはしないから」
エミリーが腕を振って、一歩踏み出す。
ライラが「がんばってねっ!」と手を振り、アンジュは遠くの木の上からじっと見守っている。
訓練が始まる。
『17:39』
数時間前から訓練を始めていたが、もう限界だった。汗が止まらない。エミリーは俺に運動させるだけじゃなくて、走らせたり変なポーズを取らせたりして、霊輝を自然に流れるようにしていた。
霊輝を完全にコントロールする要点は集中力。呼吸。想像力。視覚的制御。この四つが真の霊輝、つまり人の自然な霊輝をコントロールすることになる。
エミリーは何度も何度もその四つの要素を繰り返していて、もうすっかり聞き慣れた言葉になってしまった。でも不思議と、気にならない。むしろ、頭の中で彼女の声を聞くたびに、心が研ぎ澄まされていくような感じがした。
すべては霊輝をコントロールするためだったが――
「うっ...もう...無理だ...」
足が重くなって、公園の芝生に倒れ込んだ。空を見上げると、夕暮れまでそう時間がかからないような感じだった。でも、この肉体的な痛みよりも、のどが渇いて仕方がないのが一番辛かった。死ぬほど喉が渇いている。
「先輩、もう疲れちゃったんですか?でも、まだ訓練の半分ですよ?」
驚いたことに、エミリーを見ると汗一つかいていない。むしろとても涼しげに見えた。
「エミリー...喉が...渇いた...少し...水を...くれ...」
のどがカラカラで、まともに話すことができない。芝生の上を這いながら、エミリーの水筒に向かって手を伸ばした。
しかし、エミリーは水筒を背中に隠した。
「だめですよ!これは私の水筒です!」
その口調はふざけたようにも聞こえたが、目が本気だった。乾いた笑いを漏らす。
「ケチ……俺、干からびそうなんだが……」
エミリーが少し笑みを浮かべながら近づいてきて、からかうように言った。
「先輩、コンビニに行って水のペットボトル買ってこようか?」
「もうやめてくれ...俺...粉になる...」
エミリーは笑いながら俺をからかうのを楽しんでいるようだった。何も言わずにくるりと振り返って歩いていく。
空をもう一度見上げた。風の優しいそよ風のおかげで、水を飲みたい欲求を少しだけ我慢できた。
突然視界にライラが現れた。瞳が何かの興奮で輝いているように見える。
「すごいのお兄ちゃん!たった数時間であんなことを全部やっちゃうなんて!」
その声で少し気分が良くなった。まるで俺の努力が本当に報われたような、そんな褒め言葉だった。
「本当にそう思うか、ライラ?」
大きな笑顔で頷いてくれる。
進歩している気はするが、エミリーについていけない。自分の腕を見下ろすと、棒のように見える。もっと厳しい訓練をすれば、もっと物理的なトレーニングが役に立つかもしれない。でもそれだけじゃない、何か専門性も必要だろう。
ボクシングを考えてみたが、主に拳に集中している。空手も考えたが、最近は愛好家だけが習っている。プロレスラーたちの派手な動きも思い浮かんだが、実際の戦いでどれだけ正確に使えるのだろうか?
突然、頬に冷たい感触があって思考から引き戻された。
「冷たい!」
見ると、エミリーが手に水のペットボトルを持って微笑んでいた。俺にペットボトルを差し出している。すぐに受け取って水を飲み、もう我慢できなかった喉の渇きを癒した。
「生き返った!」
水のボトルをほぼ一気に飲み干す。本当に喉が渇いていた。
突然、エミリーが振り返った。
「もう帰らなきゃ」
もう少し練習するかと思っていたが、確かにだんだん暗くなってきている。エミリーはもう家に帰った方がいいだろう。
「おじさんがもう待ってるから...また明日ね、先輩」
何も言わずに歩き始めるエミリー。なぜか、遠ざかっていく彼女の背中を見ていると、軽い不安を感じた。理由は分からない。妙に気になって、気がついたら声を上げていた。
「エミリー!!」
俺の声を聞いて、エミリーが振り返る。突然の叫び声に困惑している様子だった。
「明日、美味しい弁当持ってくから、楽しみにしててくれ!!」
深い意味なんて何もない。他に言うことが思いつかなかっただけだ。
「...なんで叫んでるのよ!?」
「分からん!」
彼女が笑った。さっきまで感じていた妙な感覚が消えていく。手を振って別れの合図をすると、また歩き続けていく。
空をもう一度見上げた。明日は今日の倍、頑張ろうと思いながら。
『4月28日 / 7:23』
学校に向かう途中、いつもの朝のはずだった。
でも、なんだか変な気配がする。誰かに見られているような...
振り返ってみたが、誰もいない。
また歩き始めると、今度は視界の端に何かが映った。急いで振り向くが、やっぱり何もない。
「ちっ...」
だんだんイライラしてきた。でも、そういえばまだ倒していない夢喰いがいたはずだ。もしかして、あれが俺を狙っているのか?
そう思った時、ふとアイデアが浮かんだ。
エミリーとの訓練のおかげで、少しは霊輝を使えるようになった。手のひらを上に向けて、霊輝を集中させる。
青い光が手のひらに現れた。
「これが欲しいんだろう?だったら出てこい!」
声を張り上げて叫ぶと、効果があったらしい。
前方の道の真ん中に、奇妙な存在が姿を現した。
「なんだあれ...」
以前見たのとは全然違っていた。まるで進化したかのような姿だ。人間のような形をしているが、手足の代わりに触手がうねうねと動いている。体全体が黒い塊のようで、頭らしき部分からは角のようなものが突き出ていた。
唯一変わっていないのは、あの不気味な笑みだけだ。顔とも呼べないような部分に刻まれた、あの薄気味悪い笑い。
戦う準備をしようとしたその時、夢喰いが触手を動かした。まるで「ついてこい」と言っているみたいに。
その合図の後、宙に浮かんだまま向こうへ移動し始めた。
「おい、待て!」
他に選択肢もない。どこに連れて行かれるかわからないが、ついて行くしかなかった。
あの夢喰いが俺を導いていた場所——アナスタシアの家だった。
苛立ちが込み上げてきて、歩調を早める。夢喰いを睨みつけると、あの不気味な笑みを浮かべたまま、突然姿を消した。
「クソッ!」
慌ててアナスタシアの家のインターホンを鳴らす。数秒後、ドアが開いた。
「アレクス?こんな時間に何をしていらっしゃるの?」
アナスタシアの困惑した声が聞こえるが、説明している暇はない。
「すまん!」
彼女を押し込むようにして家の中に入り、急いでドアを閉める。外を見回したが、夢喰いの姿はどこにもない。
でも...ひかりは?
「ひかりはどこだ?」
更に困惑したアナスタシアに振り返る。
「え、えっと...上の奥の部屋で休んでいらっしゃいますわ...でも、いったい何が...」
説明は後だ。階段を駆け上がる。アナスタシアも慌てて後を追ってくる。
奥の部屋のドアを開けた瞬間——
「てめぇ!」
夢喰いが眠っているひかりの上に浮かんでいた。怒りが爆発して、拳を振り上げながら突進する。
しかし、夢喰いは壁をすり抜けて逃げていく。
追いかけたい気持ちを押し殺して、まずはひかりの元に駆け寄る。
「ひかり!」
叫び声に、彼女がゆっくりと目を開けた。
「えー?...アレクス?お前何でここにいるんだよ?」
寝ぼけながらも、いつものようにぶっきらぼうな口調で返してくる。
しかし、背後から粘着質な音が響いた。壁から触手が現れ、俺を狙って襲いかかってくる。
考える暇もなく、胸に手を当てた。青い光が溢れ、手に現れた武器は―鎌だった。召喚できる武器の中で、最も危険なこれが真っ先に浮かんだ。時間がない。迷ってる場合じゃない。
鎌を振り回し、触手を切り落とす。夢喰いの断末魔が響いた。
必死にひかりを守ろうとしているが、アナスタシアがまだここにいる。そして、この夢喰いは違う。ルーシーの時とは明らかに違った。あの時は彼女に気づくとすぐに逃げ出したのに、こいつは執拗に攻撃を続けている。
再び触手が襲いかかる。もう一度鎌を回転させて切断した。
ひかりが怯えた表情で見つめている。そりゃそうだ。彼女は夢喰いを見たことがないんだから、この異常な状況も初めてのはずだ。
夢喰いが逃げようとした。でも、逃がすわけにはいかない。
窓へ駆け寄ると、そいつは通りの向こうに立っていた。
腹が立った。こんなところで、こんな風に現れやがって。
「待てよ、この野郎!」
外へ飛び出していく。後ろからひかりとアナスタシアの困惑した声が追いかけてくる。
「ちょっと、お前どこ行くのよ!」
「待って!」
外に出ると、夢喰いが待ち構えていた。まるでここで決着をつけたがっているかのように。
鎌を手に構え、一気に駆け寄る。だが、刃は空を切った。
夢喰いが跳躍で回避し、すぐに反撃してくる。再び振り上げた鎌で迎え撃とうとするが、また外れる。
「なんで...?」
さっきまで当たっていたのに。攻撃が全く決まらない。
さらに悪いことに、黒い血管のような模様が浮かび上がってきた。体に疲労感が襲いかかる。
夢喰いがそれに気づいたのか、触手を振り回して俺を路面に叩きつけた。
「がはっ!」
激痛が全身を駆け抜ける。
「アレクス!」
アナスタシアとひかりの悲鳴が聞こえる。
夢喰いがゆっくりと近づいてくる。立ち上がろうとするが、体が動かない。
この鎌を使ったのは間違いだった。でも、冷静に考える余裕なんてなかった。
その時、夢喰いの向こうから光が爆発した。
そこにいたのはひかりだった。胸が青く光り、涙を流している。
「やめて!...わたし、もう誰も失いたくない...」
手を胸に当てると、そこから鞭のような武器が現れた。だが、ただの鞭じゃない。まるで生きているかのように蠢き、奇妙な文様が断続的に光っている。
この緊迫した状況が、ひかりの中で何かを目覚めさせたのか。初めて霊輝の武器を解放したんだ。
ひかりは叫びながら夢喰いに向かって走り出す。振り下ろされた鞭は青い炎を纏い、夢喰いの体に絡みついた。
鞭が意思を持ったように夢喰いを縛り上げると、ひかりは根元をぎゅっと握りしめた。
「消えろ……!」
カチリ、と音が鳴る。そこから爆発するように、蒼い炎が夢喰いを飲み込んだ。黒い体がのたうち。
だが、それでも奴は消えなかった。
「立てる?」
アナスタシアが肩を貸してくれた。俺たちは支え合って立ち上がり、燃え上がる影を睨みつけた。
「な……なんで、まだ……?」
そのとき、風を裂く音。続けて、鋭い斬撃――
夢喰いが目の前で真っ二つに裂け、黒煙となって消えていった。
そこに立っていたのは――
「アンジュ……?」
アンジュは何も言わずに刀を鞘に収めると、家の屋根に跳び上がってそのまま屋根から屋根へと跳び移りながら走り去っていった。
ひかりはただアンジュを見つめたまま混乱していた。何も理解できずにいる。
俺も同じだった。なぜアンジュが最後の瞬間に現れて、あの夢喰いを倒したのか分からない。
この騒動で、アナスタシアが家で少し休んでいこうと提案してくれた。
数分が過ぎた後、ひかりが間違いなく一番混乱していた。俺は全てを説明した。夢喰いとは何なのか、あの武器は何だったのか、なぜあの夢喰いが彼女を狙っていたのか。
ひかりは信じられないような顔をしていたが、最後にため息をついて諦めたように受け入れた。自分の手を見つめながら震えている。
「わたし、この力があるなんて知らなかった...本当にモンスターなのね...」
「そんなことない、ひかり!!」
そんなことを言うひかりを俺は遮った。なぜそんな結論に至るのか理解できない。
「そんな風に自分を蔑んじゃダメだ!俺がお前を助けるって約束しただろ!」
ひかりの表情に安堵が浮かんだのが分かった。緊張が和らいでいる。
でも急に何かを思い出したような顔になった。
「さっきの黒い服を着た女の人...あれは誰だったの?」
アンジュについて話すかどうか一瞬迷った。でも結局、彼女が誰なのかを話すことにした。
話し終えると、ひかりは考え込んでいるようだった。
時計に目をやると、もうすぐ授業に遅れる時間だ。ひかりの疑問に答える暇もなく、俺は足を速めた。彼女を置き去りにする後ろめたさを感じながら。
街を走りながら、胸の奥で何かがくすぶっていた。今すぐにでも、さっきの出来事について説明を聞かなければならない気がする。
周りの視線なんてどうでもいい。
「アンジュー!!」
道の真ん中で叫んだ。通行人たちが振り返って俺を見ているが、構うものか。もう一度叫ぼうとした瞬間—
「うるさいわね、本当に。そんなに叫ぶのが好きなの?」
隣に浮かんでいたアンジュが、イライラした表情でこちらを見下ろしていた。
現れたなら走る必要もない。歩調を緩めて普通に歩き始める。
「なんであの夢喰いとの戦いに割り込んできたんだ?」
「あら、オマエに任せておけば良かった?でもどうせライラの鎌を使ったから無理だったでしょうよ」
肩をすくめながら皮肉な笑みを浮かべるアンジュ。いつもの偉そうな態度が戻ってきた。まあ、これなら大丈夫だろう。
だが、まだ聞いておきたいことがある。
「前に霊輝の武器の『個性』について話してくれたよな。でも一つ分からないことがある。なんで俺がライラの武器を使っても、元々彼女が受けていた副作用と同じものを受けるんだ?それって彼女の感情の現れだったんじゃないのか?」
アンジュの顔に、より一層得意げな笑みが広がった。歩きながら俺に近づいてくる。説明の時間らしい。
「それは簡単に説明できるわ。オマエがあの子たちの全てを武器に継承したからよ。つまり、武器の見た目は違っても、まだあの子たちの一部なの。だから彼女たちに影響していたことは、オマエも使うときに受けるのよ」
アンジュの説明は、他の時と違って簡潔で分かりやすかった。でも、まだ聞きたいことがある。
「じゃあ、それぞれの『個性』を知ってるのか?」
アンジュは歩いていたが、突然宙に浮かび、そのまま俺の両肩に両手を置いた。背中にぴたりと体を預け、完全に俺の上に乗る形になった。重さは感じないが、彼女の手が肩に乗っているのが視界に入る。彼女がそこにいるのを意識しながら歩くのは妙な感じだった。
「当然知ってるわよ。それぞれの『個性』くらい。そんなに聞きたいなら教えてあげる」
俺の視界の前で手をひらひらと動かしている。遊んでいるようでもあるが、歩いている俺の視界を完全に遮っている。
これから聞くことで、俺が持っている霊輝の武器がどんな力を持っているのか、そしてこれからどうやって戦っていけばいいのかが分かるはずだ。
次回、アンジュが語り出す霊輝の「個性」とは?
さらに、彼女が知る真実がアレクスの疑問に答えを与えるのか。
そしてエミリーやアナスタシア、仲間たちを巻き込む戦いはどう動くのか……。
過去と秘密が繋がり、物語は新たな段階へと進んでいく。




