なくしたものと、これから
失われた記憶と、残された温もり。ライラは家族のような存在と再び向き合い、アンジュから真実を聞く時を迎える――心に空いた空白が、少しずつ埋まっていく瞬間が描かれる。
『4月 19日 / 15:38 / ライラ』
薄暗い光が射す天井を見つめながら、目を覚ました。
慌てて周りを見回す。ここは...病院?
上半身を起こして座ろうとしたけれど、体が重くて起き上がれない。横になったまま、必死に記憶を辿ろうとする。
夢喰いと戦った...そうだ。エミリーも一緒に戦っていた。それに、家族のような人たちもいた。
でも、何かがおかしい。記憶に穴が空いている。
わたしは...確か、ある家で暮らしていた。そこには「お父さん」と呼びたい男性がいた。でも、どうして彼をお父さんと呼びたかったのか、どうやってその家に住むことになったのか思い出せない。
毎晩、お父さんと一緒に夕食を食べていた。でも、そこにも何かが足りない。誰かが...いや、何かが欠けているような気がする。
日中は家事をしたり、アンジュと話したりしていた。
そうだ、アンジュとの会話!
『忘れてしまうけれど、オマエ理解できるはず』
アンジュのその言葉を思い出した。まるで暗号のようなメッセージ。記憶に何かが起こっている。
そして、ある事実に気がついた。
もう一度上半身を起こそうとして、自分の手を見つめる。それから、おでこに手を当てた。
あれ?
いつも感じていた痛みが...消えている。
何が起こっているのか分からない。でも、アンジュとの会話や、このおかしな記憶の状況から察するに、何かが起こっている。
「一体、何が起こっているの...?」
小さくつぶやきながら、わたしは混乱の中にいた。
お腹が...グルルル。
突然の音に驚いて、慌てて腹に手を当てる。
えっ?
目が大きく開いた。痛みが...消えてる。いつも感じていた冷たさも、全部なくなってる。
生きてる人みたいに、感覚が戻ってきてる。
記憶の中の出来事と合わせて考えると、安堵と同時に恐怖も湧いてきて...
「うわああああん!」
声を出して泣き始めてしまった。
「どうしたの?!」
泣き声を聞いた看護師さんが慌てて部屋に入ってきた。
「先生呼んできます!」
そう言って走って行く。
でも、泣き止めない。ただ泣いていた。
医者の先生の検査が終わって、少し落ち着いた。
でも、まだ頭の中のパズルは完成していない。記憶の欠片を必死に組み合わせようとしているところに、病室のドアが開いた。
「初めまして」
優しそうな表情をした男性と、厳しい顔つきの女性が入ってきた。
「うちはウィリアムウォルターです。エミリーのおじさんです」
「ソフィーウォルターです。エミリーの母親よ」
二人は病院に運ばれる前のことを詳しく話してくれた。
記憶のパズルがだんだん形になってきて、でも...まだ何か足りない。
「そうそう、アレクス...」
ウィリアムさんがその名前を口にした瞬間。
胸がドキドキした。
アレクス...
その名前が、記憶の中で一番大切な欠片みたい。
彼が...足りなかった最後のピースなの。
でも、まだ終わりじゃない...
エミリーの母親がわたしに近づいてくる。そして、今まで聞いたことのない言葉を口にした。
「貴方は、私たちの仲間ね」
え?何のこと?
困惑しているわたしを見て、エミリーの母親が説明を続ける。
「貴方の霊輝を感じるの。とても強い力よ」
エミリーが霊輝の持ち主だから、お母さんも持っているのは当然だけど...でも、なんでわたしにそんなことを?
「貴方の本当の両親が誰なのか、知っているかもしれないわ」
その瞬間、世界が止まったような気がした。
頭の中が真っ白になる。
どうして?どうしてエミリーのお母さんが、わたしの本当の両親を知っているの?
そういえば...考えたことがなかった。
わたしの本当の両親って、誰なんだろう?
どうしてわたしを捨てたの?
なんでわたしは孤児院で育ったの?
エミリーの母親がさらに近づいてくる。厳しかった表情が和らいで、優しい声で言った。
「今すぐ真実を知れとは言わないわ。でも、貴方の霊輝を分析した結果...間違いないの」
間違いない?
「貴方は、ヴェスパーの血筋よ」
ヴェスパー?
聞いたことのない苗字だった。全然知らないなの。
エミリーの母親が小さなカードをわたしに手渡す。
「準備ができたら、すべてお話しするわ」
去っていく彼女を見送りながら、わたしは震える手でカードを受け取った。
電話番号が書いてある。
急に現れた真実に、頭がくらくらする。
記憶の断片化という問題を抱えているのに、今度は本当の両親のことまで?
やっと全部が解決しそうだと思っていたのに...
また新しい謎が増えてしまったなの。
わたしは一体、何者なんだろう?
頭の中でいろんなことがぐるぐる回って、気がついたら眠くなってしまった。
布団に入って目を閉じようとしていると、誰かが静かに部屋に入ってくる音が聞こえた。でも、なぜかその気配は嫌な感じがしなかった。むしろ...懐かしいような。
目を開けて確かめたい気持ちもあったけど、そのまま目を閉じていた。しばらくして、その人はまた静かに出て行った。
そのまま眠りについた。
『4月20日 / 8:49』
朝になっても、昨日聞いた話のことや、最近の断片的な記憶のことばかり考えてしまう。
そんな時、家に泊めてくれている人… わたしが『お父さん』って呼んでる人が部屋に入ってきた。名前は… アクセル朝倉だったかな。
一緒にピンクのネクタイをした男の人も来ている。
「ライラちゃん、最近ずっと考えてることがあってさ...その、どう言ったらいいかな...」
お父さんを見上げたけど、なぜか緊張している様子。
「覚えてるかい?一緒に夕飯食べながら話したこと...へへ、孤児院から逃げ出した話を聞かせてくれた時は本当に楽しかったよ」
それは覚えてる。でも、その記憶の中に何か欠けている部分があるような気がする。何も言わずに聞いていると、お父さんが続けた。
「それから、リビングでアレクスと一緒にテレビを見てた時も...本当に兄妹みたいに見えたんだ」
また、その名前。アレクス...。
でも、誰なのか思い出せない。お父さんの話だと、わたしも一緒に時間を過ごしたことがあるみたい。なのに全然覚えてない。
やっぱりアレクスは何か知ってるのかな。
そう考えていると、パパの声でハッと現実に戻った。
お父さんの顔を見上げる。今、本当に笑顔を浮かべている。
「ライラちゃん、俺たちの家族になってくれるかい?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が止まりそうになった。
孤児院での日々が頭に浮かぶ。希望に満ちた夫婦たちがやってきて、友達を一人ずつ連れて行く。でも、わたしには誰も興味を示さなかった。
何がいけなかったんだろう。どうして両親はわたしを選んでくれなかったんだろう。
そして、あの日のことを思い出す。最後の友達が家族に迎えられた時、わたしは嫉妬で心が歪んでしまった。ひどい言葉を浴びせかけて...
あの時の自分の声が耳に蘇る。
後悔はすぐにやってきた。でも、もう遅かった。罰を受けて、その時に霊輝がわたしの中に宿った。もう生きているとは言えない体になってしまった。
きっと、あの日の行いに対する罰なんだ。友達だけじゃない、アンジュまで失ってしまった。
でも、今...
今、誰かがわたしを家族として迎えてくれるって言ってる。
涙が止まらない。鼻水まで出てきて、恥ずかしいけど止められない。こんなこと、前はなかったのに。
「ライラちゃん...」
お父さんがそっと抱きしめてくれる。服が汚れるのに、それでも優しく包んでくれる。
「う...うん...」
嗚咽で声がうまく出ない。
「い...いたいの...家族と一緒にいたいの...」
エミリーのお母さんが、本当の両親のことを話してくれた。もしかしたら、わたしの本当の家族が見つかるかもしれない。
でも、それでも...
ここが自分の居場所だって感じる。お父さんの腕の中が、一番安心できる場所なんだ。
そして、アレクス。
まだ思い出せない。まだ理解できない。でも、彼が大切な存在だってことはわかる。
あと一つだけ...
彼にもう一度会いたい。そうすれば、きっと全部わかるはず。
やっと家族の一員になれる。そう思うと、胸が温かくなった。記憶が断片的でも、足りない最後のピースを見つけたら、きっと全部思い出せるはず。
…それから数時間が過ぎた。
お父さんの声が聞こえて振り返ると、誰かと一緒に部屋に入ってきた。距離を保って、わたしを見ないようにしている男の子がいる。でも、どうしてもその人から目が離せない。
「ライラちゃん、大丈夫かい?」
お父さんが心配そうに聞いてくる。
「はい、大丈夫なの」
そう答えたけれど、視線はずっとその人に向いている。混乱していた。この人が、わたしが探していた人なのかもしれない。確かめたくて、思わず口から言葉が出た。
「この人、誰なの?」
お父さんが驚いた顔をして、答えた。
「ライラちゃん、アレクスを覚えてないのかい?君を助けて、家まで連れて帰ってくれたんだよ...覚えてないの?」
お父さんの心配そうな顔を見て、答えないわけにはいかなかった。
「ごめんなさい...覚えてないの」
お父さんが何か言いながら部屋から出て行ったけれど、聞こえなかった。ただアレクスを見つめていた。
アレクス。やっと会えた。
何かを我慢しているような表情をしている。ベッドから降りて、そっと近づいた。何か言わなければいけない気がして。
「だ、大丈夫……か? お兄ちゃん……」
その瞬間、アレクスがその場に膝をついて泣き始めた。
こんな風に泣いている姿を見ると、胸が苦しくなる。今までいろんな人から聞いた話に、この人が関わっていたことを知っている。きっとこの人が、わたしの記憶の最後のピースなのだ。間違いない。
しゃがんで、そっと抱きしめた。
「忘れても...覚えてなくても...わたしの気持ちは変わらないの」
…アレクスの温もりが、なんだか懐かしいな。
前に抱きしめたこと、あるのかな?
思い出せないけど、この気持ちは嘘じゃない。
この人、ほんとは… わたしのお兄ちゃんなのかも。
記憶のピースは全部、アレクスに向かってたんだ。
そう思ったら、アンジュの言葉も浮かんできた。
『忘れても、失うわけじゃない。だって、気持ちは残ってるから』
…うん、そうだよ。
わたし、きっと大丈夫。
そして、またいつものライラに戻るんだ。
…必ず。
記憶を失っていても分かる。この人がいたから、わたしは今また自由になれたのだ。もう霊輝に縛られることはない。
何も言わずに、ただ抱きしめ続けた。
足音が聞こえて、お医者さんが部屋に入ってきた。
それから何時間も経って、やっと他の医学的な分析とかも終わった。
アレクスが部屋を出て行った後、一人になった。
でも、今は寂しくなかった。帰る場所ができたから。
ただ、まだ整理しなければならないことがある。今まで起きたことの最後の謎を解く必要がある。
その答えを知っているのは、あの人だけ。
「アンジュ、どこにいるの?」
小さな声で呼んでみた。
壁に映った影がゆらゆらと動いて、そこからアンジュが現れる。
「呼んだ?」
久しぶりに会えて、ほっとした。
時間を無駄にしたくない。
「アンジュ、最後の答えを知ってるのは分かってるなの。前はいつも暗号みたいに話してたけど...」
アンジュがそばに来て、じっと見つめてくる。
「今度は本当のことを教えてくれるでしょう?前は何かが邪魔してたんでしょう?」
アンジュがため息をついて、諦めたような表情になる。ベッドの縁に座って、こっちを見た。
「そうよ。全部話してあげる。前は霊輝があったから何も明かせなかったけど、今は自由になったから全部教えてあげる」
真剣な表情になったアンジュを見て、集中して聞く準備をした。
「人工霊輝から解放するために、アレクスがオマエの心に届く必要があったの。そして彼は成功した...でも...解放の代償は...彼を忘れてしまうことよ」
アンジュの言葉を聞いても、驚きはしなかった。今まで何かがおかしいと感じていたから。
「その感情が人工霊輝に結びついていて、それがオマエの中から抜き取られた時、オマエに何かを感じさせたその記憶も一緒に人工霊輝と共に消えてしまったの。だから彼を覚えていないのよ」
思考を巡らせながら、頭の中でパズルのピースがはまっていく。あの人...アレックスとの瞬間は覚えていないけれど、話した時間も覚えていないけれど、彼がわたしの記憶の欠けた部分だということはわかった。
「ごめんなさい、ライラ。完全に真実を話すことができなかったの。もし最初からアレクスの意図を知っていたら、霊輝から解放されなかったかもしれないから」
アンジュは、一瞬だけ唇を震わせた。
「だから話す時はいつも、アレクスについて暗号のような言葉で話していたの。直接彼の名前を言ったら、アレクスのことだけでなく、オマエと私の会話ごと全部、忘れちゃう恐れがあったんだよ」
アンジュを見つめる。悲しそうで、後悔しているように見える。でも、わかっている。彼女は悪い人じゃない。アンジュに悪い意図なんてない。親友だから、そのことはよく知っている。
微笑んで言った。
「アンジュ、これからも友達でいようね」
アンジュはわたしの言葉に驚いたような表情を浮かべて、ゆっくりと頷いた。でも少しずつ、その瞳に涙が浮かんできている。
アンジュが人間のように泣いている。
何も言わずに抱きしめた。
アンジュは霊的な存在だって、わたしにはそんなの関係ない。普通の人には見えないかもしれないけど、アンジュは人間を見ることができるし、触ることもできる。人間の物だって使える。
わたしにとってアンジュは超自然的な存在でも霊的な何かでもない。ただの親友なの。
アレクスのことは覚えてないけど、今度は違う。この新しい人生では、あの人工的な霊輝がもうわたしの中にない。今度こそ、本当に生きていける。家族と一緒に、友達と一緒に。
まだ何も終わってない。アレクス...いえ、お兄ちゃんにもまた会えるかもしれない。わたしにとって、あの人はずっとお兄ちゃんなの。
アンジュは孤児院で一番孤独だった時に現れてくれた親友。少しずつ成長して、自分なりに友達を作れるようになる前に、いつもそばにいてくれた。
今はエミリーのことももっと知ることができた。あの日、わたしを助けてくれた人。それに、ルーシーのことも思い出した。彼女の気持ちがわかる。二人とも人工霊輝を持っていたから。二人とも、わたしの新しい友達。
この新しい人生は、覚えてないけど、お兄ちゃんがくれたものなの。それは何があっても変わらない。
だって、もう一人じゃないから。
「アンジュ」
やっと声をかけた。
「大丈夫よ」
「うん...ありがとう、ライラ」
アンジュの声は涙で震えていた。
でも、わたしたちはもう大丈夫。一人じゃないから。
次回はアナスタシアが、自分の記憶から欠けていた「アレクス」の存在に気づく時。彼は真実を告げ、全員へも明かすことを決意する。そして、彼を取り巻く日常にわずかな変化が芽生え始める――その一歩目を見逃さないでほしい。




