見えない絆の行方
ライラが語る曖昧な言葉、そのひとつひとつに隠された秘密。
アレクスは違和感に気づき始めるが――真実を語るのは、彼女ではなかった。
今回、ついにアンジュの視点から語られる「過去」。
ライラとの間にあった、誰も知らない出来事とは……?
『4月15日 / 17:34』
外で雨が止む音が聞こえた。今まで聞いていた全てのことを頭の中で整理しながら、静寂が戻ってくるのを感じていた。
ライラの状況をもっと理解しようと思った。
「どうやってその霊輝を体内に取り込むことになったのか、覚えてないのか?」
ライラは記憶を辿るように遠い目をした。
「あの姿の前…誰かと、ほんの少し…会った気がするの。黒い服で…それ見たあと、いつのまにか…寝ちゃってた」
ライラの言葉を少し考えてみた。なんだか話を完全に共有するのを避けているように見える。話している時の間でそれが分かるんだ。それに黒い服の人について触れた... それはアンジュのことを指しているとしか思えない。でもアンジュは強い感情によって霊輝を得る女の子たちのことを話していた。なのにライラは特に何がそれを引き起こしたのかについては何も言わないんだ。まだ俺たちに全てを話すことを完全に信頼していないからなのか?
「…孤児だったの。 いろんな年のお友達とおうちで暮らしてたけど…ある人に会ったとき…こうなっちゃったの…」
ライラの声は憂鬱そうだった。またしても、自分の過去について完全に話したがらないか、言及を避けている誰かがいるかのようだった。
静寂が辺りを包み、重苦しい空気が流れた。誰も何も言わない。
その時、頭の中で声が響いた。
『アレクス...もう家に帰った方がいいわ...ライラのこと、全部教えてあげる...』
眉をひそめた。アンジュの言い方が妙に意味深だった。まるでライラについて何か知っているような口ぶりだ。
何かしなければ。
「ライラ!」
手を差し伸べながら声をかけた。
……が、ライラはただその手を見つめるだけだった。まるで、人間の温もりが理解できないかのように。
「大丈夫だ。死なせたりしない。何があってもお前を救ってみせる」
ライラが再び驚いたような表情を浮かべる。でも、気になることがあった。
「ライラ、一つ聞きたいことがある。泊まる場所はあるのか?」
首を横に振るライラ。
このまま放っておくわけにはいかない。
「エミリー、ライラを君の家に泊めてもらえないか?」
「ええ?!」
エミリーは驚いて手をぶんぶんと振る。
「無理無理!ママになんて説明すればいいの?」
視線をルーシーに向けた。
「ひゃっ!」
肩をびくっと跳ね上げたルーシーが慌てて首を振る。
「わ、あたしも無理です...今は教会の避難所で暮らしてるので...」
エミリーもルーシーもライラに仮の住居を提供できないと分かった瞬間、俺は迷わず言った。
「じゃあライラは俺の家に泊まればいい!」
即座にエミリーが反対した。
「ダメですよ先輩!そんなことできません!」
首をかしげて彼女を見つめる。ライラを助けたいだけなのに、なぜエミリーがそんなに反対するんだ?
「何が分からないって、エミリー。ただ助けたいだけだ。家がないんだぞ」
エミリーの顔が真っ赤になった。どもりながら奇妙な理由を説明し始める。
「そ...それは...だって...ライラさんみたいな若い女の子が...男の子の家に...そんなの絶対ダメです!!」
何を言いたいのか理解できた。だが、俺がライラに何かするとでも思っているのか。それが腹立たしかった。
「おい聞けよエミリー!俺は変なことなんてしないぞ、もしそう思ってるなら!」
エミリーは怒ったような表情を浮かべたが、顔はまだ赤いままだった。
「わ...私はそんなこと言ってません!もしかして先輩の方がそんなこと考えてるんじゃ...」
このバカげた議論をこれ以上続けたくなかった。
「なんでそんなに心配するんだよ。俺は父親と一緒に住んでる...」
エミリーはその事実に気づいたようで、俺から視線を逸らして何も言わなくなった。
しかし突然、ルーシーが話を聞いた後で質問してきた。
「ねえアレクスくん、でもお母さんは?お父さんのことしか言わなかったけど?」
その質問で胸に何かが重くのしかかった。エミリーも振り返って俺を見つめる。ライラも同じように俺を見ていた。なぜか圧迫感を感じて、何の躊躇もなく答えた。
「母は昔、事故で死んだ」
そう言った瞬間、エミリーが驚いた表情を見せ、小声で呟くのが聞こえた。
「知らなかった...」
ルーシーは俺の発言にさらに驚いているようだった。
「……ねぇ、なんで昼休みに話してた時……言わなかったの?」
ルーシーが、俯き気味のまま問いかけてきた。
昼休み――たしかに、あのとき。
会話の断片が脳裏に蘇る。
あの時……わざと話さなかった。
「……あの時はさ、ただ楽しく過ごしたかっただけだ。別に隠したわけじゃねぇ……」
理由は単純だった。
重たい話なんて、あの笑顔を曇らせるだけだったから。
でも――
「……もういい。あたし、帰る」
ルーシーがバッと立ち上がった。
いつもの笑顔も、あの軽い口調も、すっかり消えている。
彼女はこっちをまっすぐに見つめた――その視線は、何かを問いかけているようで、でも、俺にはわからなかった。
そして、無言でリュックを掴むと、くるりと背を向けて歩き出した。
ルーシーが去っていく。
何も言えず、ただ見送るしかなかった――
彼女の足音だけが、妙に大きく耳に残った。
「……先輩、今きっと、どうしてルーシー先輩があんな風になったのか、考えてるんですよね?」
隣にいたエミリーが、静かに声をかけてきた。
何も返さなかった。
でも、たぶん顔が物語ってたんだろう。エミリーは、優しく言葉を重ねる。
「ルーシー先輩……たぶん、少しでも話してほしかったんだと思うのよ。だって、あの人……今の人生では、ひとりだから」
「……ひとり?」
「うん。ルーシー先輩の過去を聞いたとき……思ったの。今の彼女には……お父さんもいないし、お母さんも……」
……そうか。
ようやくわかった。
ルーシーにとって、家族って言葉は、もう過去のものなんだ。
だから……。
俺が母さんのことを何も言わなかったのが、まるで――家族の存在を、なかったことにしたように映ったのかもしれない。
ルーシーは、すでに全部失ってる。
でも、俺は……まだ心の奥に、母さんが残ってる。
ほんの少しだけ、あのぬくもりを覚えてる。
撫でてくれた手のひら。
抱きしめてくれたあの背中。
「……俺に、守るって気持ちを教えてくれたのは、母さんなんだ」
ぽつりと独り言のように呟いたそれは、懐かしさでも後悔でも憧れでもなく、ただ「守りたい」という想いの原点で――忘れていたのは、きっと俺の方だった。
窓から外を見ると、雨が止んでいた。
「エミリー、もう帰るよ」
エミリーに別れを告げて、ライラを連れて家に向かった。
『18:15』
家に着くと、ライラは目を輝かせながら俺の家を見回していた。まるで子供が遊園地に来たみたいに興奮している。
「すごいなの!こんなお家に住んでるの!?」
中に入ると、ライラはさらに驚いた様子で辺りを見回している。可愛いもんだが、問題は山積みだ。親父をどう説得するか、それにアンジュとも話さなければならない。
「ライラ、上の階にお風呂がある。使っていいぞ」
「本当なの?やったー!」
ライラは嬉しそうに階段を駆け上がっていく。その後ろ姿を見送りながら、俺はリビングに向かった。
「アンジュ、いるか?」
小声で呼びかけると、ソファの影から彼女が現れた。いつものように突然だが、今日の表情はいつもと違う。真剣で、どこか憂鬱そうだった。
近づいていく俺を見て、アンジュはソファを手で叩いた。隣に座れということだろう。
腰を下ろすと、アンジュは床を見つめながら口を開いた。
「まず、あの子の『特性』について知っておいてもらわないと...」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「ライラの霊輝は...ちょっと問題があるのよ」
そう言って、アンジュは更に深いため息をついた。まるで俺に何か重大なことを伝えようとしているかのように。
アンジュが口を開いた。
「ライラには、他の子たちとは違って、とても厄介な『特性』があるの」
眉を上げる。
「ライラは無意識のうちに、周りの人の感情を操作してしまう。『彼女を守りたい』という気持ちを植え付けてしまうのよ」
感情を操る?守りたいという気持ちを...
エミリーのことが頭をよぎった。さっきライラに対してやけに従順だったのは、そういうことか。ライラが素直に願いを伝えて、エミリーの感情が操られて、結果的にライラを優先して助けることになった。
確かに厄介な力だ。ルーシーやアナスタシアの場合とは全然違う。
「でも、それだけじゃないの」
アンジュが続けた。
「ライラの霊輝には重要な詳細があるの。天然の霊輝を持っていて、それが人工霊輝と混ざったせいで、他の子たちとは違うことが起きてしまったの...」
それを聞いて胃の辺りがきゅっと締まった。ライラが天然の霊輝を持ってるって...薄々感づいてはいたけど、アンジュからはっきりと確認されると、やっぱり驚かずにはいられない。でも説明はまだ終わってないようで、何となく全体像が見えてきそうな予感がしていた。
「ライラが霊輝の武器を使うたびに、『個性』が発動する...自分の命を吸い取ってしまうのよ」
息が止まった。
でも、アンジュはまだ話を終えていない。まだ下を向いたまま、何か言おうとしている。
拳を握りしめた。これから聞かされることに備えて。
アンジュの声が静かに響いた。
「ライラは...他の子たちとは違う。本当に死んでしまう可能性があるの。夢喰いと戦い続けていたら」
背筋に冷たいものが走った。でも、アンジュはまだ話を終えていなかった。
「でも...戦いをやめても、あの極めて稀な霊輝の組み合わせが少しずつ彼女を蝕んでいる。そして私は、その理由をよく知ってるの...」
思わず顔を近づけた。
「なぜだ?」
アンジュの唇が震えた。腕を組んだ...いや、組んだというより、自分自身を抱きしめているように見えた。
「誰よりもよく知ってる。なぜなら私は、ライラがあの霊輝に反応した時、その場にいたから」
頭の中が混乱した。
「でも、それは前にも言っただろう?お前があの子たちに霊輝を与えた張本人だって。なぜ今更そんな言い方を...?」
アンジュが振り返った。
黄金色の瞳と視線が合う。その瞳に宿る悲しみが、なぜかはっきりと見えた。
「ライラとは...直接知り合ったの。他の子たちとは違って、ライラは唯一会話を交わした相手」
少し視線を逸らして。
「だから、彼女については全て知ってる。他の子たちは……霊輝を持ってる期間や、出会った場所、顔くらいしか分からないけどね」
指を絡めるように動かしながら、そう口を開く。
「……でも、ライラだけは違う。彼女の名前も、全ても、最初から知っていた」
瞬きを繰り返しながら、必死に状況を理解しようとした。
確かに、アンジュと出会ってから今まで、あの子たちの名前も具体的な情報も一切教えてくれなかった。でも今、ライラとは直接話をしたことがあると認めた。
信じられなかった。
アンジュの表情が、今まで見たことがないほど真剣になった。
「あの時のこと...二十年前に何があったのか、話すわ」
これまでのアンジュとは明らかに違う。いつもの飄々とした雰囲気が消えて、まるで重い決断を下したかのような顔をしている。
俺は息を呑んだ。
『××××年 / アンジュ』
レイスドールの中央本部で、私は霊輝の研究に没頭していた。他の仲間たちと共に、人間のそれを上回る霊輝を完成させることが目標だった。魂の転移を可能にするために。
「霊輝の実験、第五回目を開始します」
もう四回も失敗している。作り出された霊輝を使う度に、私はサップ隊長の期待を裏切り続けていた。
……それなのに、彼は私を罰することさえしなかった。
「続けて、アンジュ」
彼の低い声が背後から聞こえた。振り返ると、いつものように無表情な顔でこちらを見ている。隊長のその言葉だけで、また立ち上がることができた。
「ニンゲンは今、進化する必要がある。特殊な霊輝の存在を知った今、レイスドールとしてのワタシたちの使命はニンゲンの魂を霊的に導くことだ。分かるか、アンジュ?オマエにしかできないことなんだ」
隊長のその言葉が、深く刻まれた。そうよ、私にしかできない。私が特別なのよ。
新しい霊輝を手渡された時、小さな青い光を放つ球体が私の手のひらで輝いていた。人工的に作られた霊輝だったが、本物と同じように機能するはずだった。
サップ隊長は私の前に歩み寄り、真剣な表情で続けた。
「これで五回目...」
小さな球体を手のひらで転がしながら、私は呟いた。
「今度こそ、あの四人を見つけ出してやる」
つぶやきながら、霊輝を小さな布袋に大切にしまった。
人間界への降下準備を整えながら、考えていた。この霊輝がどのように反応するのか、どれほどの力を持っているのか。
でも、その時の私は知らなかった。
この霊輝もまた、感情に共鳴する性質を持っていることを。
ただ、今度こそ成功するという確信だけを胸に、袋を腰に結んだ。
「行ってきます、隊長」
「今度こそ、成功させろ」
頷き、振り返ることなく、人間界への扉へと向かった。
街を歩き回りながら、人工霊輝に捕らわれたあの女たちを探していた。人間の街の構造なんて私にはわからない。適当に歩いていたら、小さな公園の近くに辿り着いてしまった。
子供たちの声が聞こえる。遊んでいるのだろう。
振り返って彼らを見た。ここで特別に霊輝を感知する必要はない。そのまま通り過ぎようと歩き始めた時だった。
何か...視線を感じる。
この公園で、誰かが私を見ている。
でも、どうして?どうしてそんなことが可能なの?
普通の状況で人間が私を見ることなんてあり得ない。なのに、なぜこんな視線を感じるの?
動揺しながら公園の周りを見回し始めた。そして...見つけた。
少し離れた場所のブランコに、一人で座っている女の子。
その子の視線が、確実に私を捉えている。
信じられない。人間が私をこんなにも直接的に見つめるなんて、初めての経験だった。
試しに左に数歩移動してみる。ブランコの女の子の視線が、私の動きを追ってきた。
歯を食いしばった。振り返って、その子を見ていないふりをしようとする。でも、立ち去ろうとした瞬間、足音が近づいてくるのを感じた。
再び振り返ると...もうそこにいた。
私の目の前に立っている。濃い緑色の長い髪の女の子。好奇心に満ちた目で、見上げている。
何をすればいいのかわからず、その子の前で完全に固まってしまった。
私を見ることができる人間が、こんなにも近くに。
目の前の女の子、ただ見つめるしかなかった。体が硬直し、指先にじっとりと汗が滲む――動けない。逃げられない。この視線だけが、全てを縛りつける。
すると彼女がぴょんと一歩飛び出し、向日葵みたいな笑顔を炸裂させた。
「ライラって言うの! お姉さんは?」
(は? いきなり自己紹介!?)
喉がカラカラに渇いて、言葉がギシギシと軋んだ。
「……アンジュだ」
「わあ! アンジュってかっこいい名前!」
ライラが突然私の手をがしりと掴んだ。
「それよりなんでその服? 宇宙人みたい!」
―――っ!?
脳裏で配線がブツブツ切れる音がした。この小さな手の温もり……
(……!? この感覚……人間の体温なんて、知らなかった……)
「あ、あの……そ、それは……」
舌がもつれてアルファベットもろくに出ねぇ。ライラが私の指をユサユサ振り回すたび、思考がメリーゴーランド状態だ。
「ねえねえ、返事してよ~?」
彼女の声が耳朶に絡みつく。くそ……人間ってこういう生き物だったか?
(落ち着け私……まずは霊輝をチェックだ)
目を細めて観測モードに切り替えた瞬間――
―――ッ!!
背筋に電流が走った。この純度……ありえねぇ。天然の霊輝保有者!?
(教科書でしか見たことねぇ伝説のケースが……こんな田舎で!?)
「おい、オマエ……」
声が裏返りそうなのを必死で押さえて問い詰める。
「その体の光……自覚あるのか?」
ライラはケラケラ笑いながら、私の鼻先に飛び跳ねた。
「え~? アンジュお姉ちゃん変なこと言うなぁ!」
(マジかよ……無自覚の天然素材か)
レイスドールの研究所が血眼で探してるレアケースが、目の前でぴょんぴょん跳ねてるなんてな……
次回も引き続き、アンジュの視点から物語が展開します。
彼女とライラに一体どんな過去があったのか。
それは偶然か、それとも必然だったのか――
すべての始まりに触れるエピソード、お楽しみに。