追跡の始まり
『4月10日 / 16:20』
エミリーがポテトの最後の一片を口に入れ、俺は残ったコーラを飲み干した。
心臓が軽く高鳴っていた。
エミリーと話しているうちに、ふと気づいた。
……こんな風に、学校のことやら、くだらない趣味の話やらで盛り上がれる相手は久しぶりだ。
まるで、昔から知ってたみたいに。
何だか、不思議な安心感が胸に広がる。
——それが、一瞬で崩れた。
「……近くに、変な霊輝を感じる」
エミリーの表情が急に硬くなる。声まで冷たくなった。
(……もしかして、探してる彼女か?)
鼓動が一気に速くなった。
「行くぞ」
椅子を蹴って立ち上がる。迷いなんてない。
エミリーが追いかけてくるのが背中でわかる。
足音、息遣い——全部が、今の“繋がり”を確かにした。
次の瞬間――
『アレクス、気をつけて。その女……近くにいる』
(アンジュ……!?)
『……あの女の霊輝、感じる。近い……けど、何かがおかしい』
(なに……?)
「エミリー……どっちだ!?」
咄嗟に聞かれて、彼女は少したじろいだ。喉が震えた。
「えっ……!? あ、あっち……!」
──指先が、ふらつきながらも、前方の路地を指し示す。
エミリーが路地を指さした瞬間、俺たちは同時に走り出した。街の喧騒。行き交う人々。車の音、風の音。だけど、あの“レキ”は――確かにどこかにいる。
背後から、エミリーの息切れが聞こえた。
「先輩……はぁ……もう、走れない……。この先……一人で……!」
振り返れば、彼女は膝に手を当て、必死に息を整えようとしている。
……こっちのターゲットだ。止まってる場合じゃねえ。
歯を食いしばり、前を向いて再び加速する——エミリーの姿は、瞬き一つで見えなくなった。
『……アレクス、気をつけろ。彼女の周りには人間がいる。……しかも、連中はもう“やられて”いるみたいだ』
(どういう意味だ、それ……!?)
不安が加速をくれる。速度を上げ、路地を曲がり、小さな服屋の前で立ち止まった。
扉を開けると、店内は静まり返っていた。
誰もいない。物音ひとつ、しない。
冷房の効いた店内。季節外れのコートを着たマネキンが無機質に並び、白い照明が不気味に揺れる。
だけど、数歩進んだ先――床に転がる手が視界に入った。
「っ……!」
駆け寄る。だが、そこにいたのは彼女じゃない。
「これって……」
一人、二人、三人――数人の客や店員が床に倒れていた。
「なにが……起きたんだ……?」
奥から漏れる嗚咽。
(……誰かいる)
音のするほうへ進むと、服の試着室の奥――そこに、いた。
床に座り、膝を抱えて泣いていた。
「……また、君か」
彼女は俺に気づき、顔をあげる。
「また……君……どうして……なんともないの?」
涙に濡れた目で、そう言った。
(……何が彼女を、ここまで……)
言葉じゃ届かないかもしれない。けど、せめて気持ちだけでも。
「大丈夫。君はもう――」
……あの少女の肩に、そっと手を伸ばした。
指先が触れる寸前——
ふと、背筋が凍りつく。
『ダメよ、アレクス!!』
アンジュの声が、脳に刺さった。
「っ!」
咄嗟に動きを止める。
『バカ! この女に触ったら、また意識失うわよ! 前みたいに倒れる気!?』
(っ……そうか。前、あのとき……!)
倒れた理由が、ようやく繋がった。
「……ここで何があった? 教えてくれ」
返事の代わりに、彼女の瞳が恐怖で見開かれる。
そのとき、遠くから足音が近づいてきた。
(エミリーか……)
「先輩! どこに……!?」
遠くでエミリーの叫び声が響いた瞬間――
目の前の彼女の身体が硬直し、突如、両手で俺の胸を強く押した!
バランスを崩した俺は、そのまま地面に尻餅をつき、埃を舞い上げた。
「っぐふっ!」
床に倒れ込む俺の視界に、走り去る彼女の姿。
また、逃げられた。
(くそっ……! 足が……動かない……)
目が霞む。けど、その視界の先、試着室から出た俺の視界に、エミリーと彼女がぶつかり合う瞬間が映った。
「――エミリー……!」
エミリーが、彼女の逃げ道を塞ぐように立っていた。
彼女が身構える。
でも、エミリーは振り返って俺を見た。
エミリーは咄嗟に彼女から離れ、俺のもとへ駆け寄った――その一瞬、逃げ道が空いたのを見逃さず、彼女は影のように走り去った。
「……先輩!」
俺のそばに膝をつき、両手で肩を支えてくれた。
その瞬間――
(……!?)
体が、ふわっと軽くなった。
温かい風が吹き抜けたような、不思議な感覚。
「……なんだ、これ……?」
「先輩の霊輝、吸われてたの。あの人に。だから今、戻しただけ」
「えっ……」
「この店の人たちも同じ。大丈夫、命に別状はない。でも、しばらく混乱するかも」
彼女の顔を見つめた。
エミリーが真っ先に俺のもとへ駆け寄ってくれた――
あの緊急事態で、迷わず誰を選ぶべきか判断する冷静さ。
(…こいつ、随分と頼もしいじゃねえか)
口元が思わず緩んだ。彼女は確かに、俺が今一番必要とする“支え”だった。
もしかすると――
エミリーのあの決断は、かつて誰も俺に示してくれなかった信頼の形だ。
(…俺も、いつかこうありてえな)
「……ありがとう」
俺たちは店を離れ、夕焼けの中、黙って歩き続けた。
分かれ道に差し掛かった時、街灯が俺たちの影を不気味に伸ばした。
「……じゃあ、また明日」
「……うん」
そう言って、エミリーは背を向けた。
でも数歩進んで、ふと立ち止まり、振り返る。
「どうしてそんなに落ち込んでるの?」
「……また、近づけなかった。話すことすら……」
俯く俺を見て、エミリーは少し微笑んで言った。
「……先輩、忘れたの?」
「……え?」
「私、霊輝の気配、記憶できるって言ったじゃない。あの人のも、もう覚えた、明日には――」
その言葉に、胸の奥がぱっと明るくなった。
「じゃあ……今、どこにいるか分かるのか?」
「分かるよ。約束します」
「教えてくれ!」
「だーめ。今日はもう終わり。まずは休んで。明日はまた明日」
彼女はそう言って、今度こそ本当に歩き出した。
立ち尽くしたまま、彼女の後ろ姿を見送った。
(でも……)
心はまだざわざわしていた。
(どうして……あの娘はあんなに怯えていた? 何を背負ってるんだ……明日こそ、その真実を暴いてやる)
『4月11日 / 7:30』
登校途中、曲がり角に立っていたのは――
「……エミリー」
当然のように、彼女がそこにいた。
ここは、いつも通る道。初めてぶつかった場所。
「おはよう、先輩」
登校路の角で、彼女が手を振る。
「おはよう……待ってたのか?」
「当たり前。今日はあの女性を探すんでしょ? 計画、立てなきゃ」
「……ああ。でも――」
歩き出す俺たち。
だけど途中で、エミリーがぽつりと聞いた。
「ねぇ、先輩。『助ける』って具体的にどうするんですか? もしかして…あの人を救う方法、ひそかに知ってたりするんですか?」
「え……」
口を開こうとした瞬間、喉が焼けるように渇いた。
(くそ… どう説明すりゃいいんだ?)
俺の脳裏を、忌々しい記憶が走馬灯のように駆け巡る――
“あの娘と恋愛し、キスして霊輝を回復させる”
――そんな言葉が、舌の上で溶けた毒のように渇きを増幅させた。
拳を握りしめ。
(……まさか言えるかよ!)
頬が火照り、心臓が暴れ馬のように跳ねた。
――結局、出てきたのは曖昧な唸りだけだった。
「えっと……その……あの……」
『ぷっ、なにその反応。言えないくせに真面目ぶって』
(アンジュっ……!)
『さぁ教えてごらん、王子様♪ ロマンチックな方法だって』
「……ッ」
思わず頭を叩いた。
「え? ど、どうしたの? 急に……」
「な、なんでもない! 本当になんでも!」
「ふふっ… 今は言えなくても大丈夫よ。でも、心の準備ができたら…いつか教えてくれる?」
「ああ、必ず教える」
俺がそう答えると、エミリーは満足そうにうなずいた。その後、沈黙が訪れた――靴音だけが舗道にリズムを刻む、奇妙に長い数分間だ。
ふと気づけば、エミリーの視線がチラチラと俺に向いている。
地面を見つめていたはずの彼女が、なぜか3歩に1度、こっちを盗み見る。
(……なんだ? 今の視線。俺の顔に何かついてるのか?)
背筋がゾワリと熱くなる。四度目で堪忍袋の緒が切れた。
「……おい、そんなにジロジロ見んなよ。気味が悪いぞ」
エミリーは飛び跳ねるほど驚いた。
「きゃっ!? 違、違います! ただ……先輩の霊輝を感じてただけなんです!」
顔を真っ赤にして必死に言い訳する様子が、逆に怪しい。
(はあ? 今か?)
思わず口が滑る。
「……へえ。無許可でこっそり俺の霊輝を感知するなんて……お前、立派な変態だな?」
「ええっ!?」
エミリーの耳まで一気に赤く染まった。
「変態じゃありません! 霊輝感知と覗き趣味は全然違います!」
怒っているのに、なぜか涙目になっている。
(……まずい、やりすぎたか)
俺は慌てて手のひらを向けて和解を提案した。
「……悪い悪い、冗談だ。忘れてくれ」
エミリーはプイと顔を背けたが、十歩も歩かないうちに、突然クスッと笑い声を漏らした。
「……ふふっ」
「……今度は何だ?」
眉をひそめて問い詰めると。
「なんでもないです……ただ、相変わらず先輩の霊輝、懐かしいなあって」
――その言葉に、俺は黙り込んだ。
彼女の横顔を見れば、口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。
(……この感覚、一体何なんだ? 家族のようだなんて……)
答えのない問いを抱えながら、俺たちは校門へと歩を進めた――
「そうそう、今日のお弁当は? 持ってきたんでしょ?」
「……あ」
その場で凍った。
「……まさか」
「わ、わすれてました」
「もうっ! 先輩ったら……!」
エミリーが軽く俺の肩を叩くと、そのまま校門へ駆け出していった。
「いってぇ!」
「ま、待てって!」
そのときだった。
人混みの向こう――
俺の目に、あの姿が映った。
(……ルーシー)
彼女が、こちらをじっと見ていた。
その表情は、どこか寂しげで……でも何かを堪えているような、そんな顔。
(やばい……この瞬間だけで……心臓が……)
何かが崩れそうだった。
胸の奥で、何かが――音を立てて、軋んでいた。
視線がぶつかったのはほんの一瞬だった。
だけど、間違いなく見た。あの光を秘めたような瞳。俺を見て、そしてすぐに――逸らした。
ルーシーは早足で校門をくぐり、そのまま生徒たちの波に紛れ込むように姿を消した。
まるで俺の存在を消したかのように。まるで、見られたくなかった何かを隠すように。
その場から動けなかった。心臓の奥が、妙にざわついてる。
(……なんだよ、今の)
「ねえ、どうしたの?立ち止まって」
背後から、エミリーの声が聞こえる。振り返ると、少し不思議そうな表情で俺を見上げていた。
「あ……いや、なんでもない」
笑ってごまかす。けど、自分でもその笑顔がかなり無理してるのが分かった。
授業中、何度もルーシーの方を盗み見てしまう。けど、彼女は平静そのもの――いや、演じてるのか?
それでも、あの朝の一瞬が引っかかって、離れなかった。
俺が悪いのか?
エミリーと一緒にいるとこを見られたから? でも、それが何だってんだ。
それに、別に……付き合ってるわけでもない。
……ぐるぐる考えても、答えなんか出るはずない。
だから、今は目の前のことに集中する。あの「彼女」を――助けるために。
『12:25』
昼休み。俺はエミリーと、また一年生校舎の階段に集まった。
「ほら、これ。さっき買ってきたんだ」
エミリーは目を輝かせて受け取った。
「……先輩、そんなに気を遣わなくていいのに。……でも、ありがと」
笑って受け取るエミリーは、昨日とは少し違って見えた。ほんの少しだけ、心の距離が縮まった気がする。
……あ、ちがうな。
こうやって誰かと普通に話して、冗談言って、笑って――
多分、今「友達」を作ってるんだ。そんな当たり前のことが、なんでこんなに新鮮なんだろうな。
二人で弁当を食べながら、今日の行動について話した。といっても、実際に決めることなんてほとんどない。
「記憶してるから。あの人の霊輝の感じ、まだはっきり残ってる」
エミリーがそう言ってくれた時、少しだけ安心した。頼れる味方がいるって、こういうことなんだな。
『15:38』
放課後、昇降口でエミリーと再び合流する。
言葉は交わさなかった。――いや、必要なかった。こいつの表情を見れば、それで十分だったからな。
これから行く。見つけ出す。そして、話す。
ただ、それだけのことなのに――心臓がうるさいほど鳴ってる。
俺たちは学校を出て、人混みをすり抜けながら歩いた。エミリーが立ち止まるたびに、俺も止まり、彼女の感覚に身を預けた。
「このあたり……すごく近い」
彼女の声が低くなる。その瞬間、俺も背筋にゾクッとくるものを感じた。
(間違いない……この感じ)
そして、彼女がぴたりと止まる。
「ここ。間違いない」
エミリーに指差された先は――廃れた裏道だった。
いつもの通学路や、コンビニまで続く賑やかな道とは
まるで別世界の裏道に足を踏み入れた。
――ここだけ、色が褪せてやがる。
路地の奥から吹いてくる風が、髪の毛を逆立てる。
「……っ。市街地のど真ん中なのに、誰もいねぇのか?」
――ぎしり
風で軋む廃屋の看板が目に入る。
一軒、また一軒と、窓もドアも壊れた家々。
……まるで、何かに喰われた後の骨のようだ。
「……ここ、まじで通ったことねぇな」
空はやけに静かだった。風もほとんど吹いていない。街のはずれ、古びた住宅地の一角を俺たちは歩いていた。
エミリーと二人きり。ほかに誰の姿もない。いや……誰もいないのが、逆に不気味だった。ここは、かつて人が住んでいたはずの場所。今は……廃墟のような家が並んでる。
道端に止まったままの自転車。壊れかけた郵便受け。閉ざされた窓。まるで時間が止まったように、すべてが沈黙していた。
そんな中、エミリーはピタリと足を止めた。
「……あそこよ」
指差した先には、道の一番奥。ぽつんと建つ、二階建てのボロ家があった。
俺の喉がゴクリと鳴った。
(あの中に……いるのか)
鼓動が速くなるのを感じる。ついに見つけた……この数日、ずっと追いかけていた“彼女”。
それなのに、足が勝手に止まりそうになる。
エミリーは、そんな俺の緊張に気づいたのか、そっと一歩引いた。
「私は外で見張ってる。逃げられたら意味ないから」
言葉は淡々としてたけど、彼女なりの気遣いなのかもしれない。
「……ありがとな」
そう返して、ゆっくりと家の前に立った。
ボロボロの木のドア。手をかけた瞬間、ミシッと嫌な音が響く。
深呼吸を一つして、中へと足を踏み入れた。
――ギイ。
ドアがきしむ音とともに、室内の空気が肌に触れる。
埃っぽい匂いが鼻を刺し、思わず口元を手で覆った。天井の隙間から差し込む光に、舞い上がった埃がキラキラと浮かぶ。
ひとまず、誰もいない。
……そう思った矢先、階上から微かに音がした。
(……足音?)
心臓がドクンと跳ねた。
恐る恐る階段に足をかける。板が軋まないよう、できるだけ慎重に。
一歩、また一歩。
静けさの中に、自分の呼吸と心音だけが響いていた。
二階に上がると、廊下がまっすぐに伸びていた。左右の壁に数枚の扉。
一番近い扉に手を伸ばし、静かにノブを回す。
――ギイ。
中は……風呂場だった。誰もいない。
静かに扉を閉める。そこから、視線を右の奥に向けた。
(……どっちだ?)
耳を澄ます。でも音はしない。代わりに――
胸の奥が、ジリジリと熱を帯びていた。
不思議な感覚。いや、もうわかってる。これは――
(……霊輝だ)
集中する。余計な音を切り捨て、自分の中心だけを頼りにする。
……感じる。右端の部屋だ。あそこに、いる。
緊張で手が汗ばむ。震える指で、ノブを掴んだ。
ゆっくりと、扉を開ける――