リグレット
呼びたい名がある
呼べない名がある
そこにあるのは
目には見えない
境界線
まるで雪の様に募るのは
―― 後悔 ――
―― 水比奈独白 ――
『名で呼んではくれないかい?』
彼の方は、いつも私にそう仰っしゃっいました。
でも、私はどうしても呼ぶ事は出来ませんでした。
『式神の分際で主の名を呼ぶだなんて……』
私は、いつもそう言って逃げてばかり。知っていたのに、私はいつも逃げてばかりでした。
『私は……水比奈も白銀も、大切な家族だと思っているんだけどね』
そう言って寂しそうに微笑む主を見る度、罪悪感に苛まれました。
でも……どうしても呼べませんでした。
私は“人”ではありません。
そんな私が、主の隣に……
私にとっては、こうしてお傍に居る事を許して下さっているだけでも、恐れ多い事だったのです。
忌部の屋敷は、主と私、白銀様に翠琉様、たった四人で生活をするには充分過ぎる程大きいお屋敷です。どこか閑散としていました。
でも、そこはとても暖かくて
まるで、優しい夢を揺蕩っているみたいで
―― 夢は醒めるもの ――
私は恐かったのです。
―― 幸せ過ぎて……
涙が出そうな程、穏やかな日々を失う事が恐かった。だから、私は主を名で呼ぶ事が出来ませんでした。
それは、一種の願掛けのようなもので。ですが、その願いは聞き届けられませんでした。
“正義”の名の下に
理不尽な暴力によって
主の命は奪われました
穏やかに
“最期”を迎える事すら
あんなに希っていたのに
主様が望んだ唯一無二のお方様との再会すら
赦されなかったのです
『お前は忘れなさい。全てを忘れて新しい道を歩みなさい』
主はそう言って翠琉様から全ての記憶を消し去りました。あの“日々”は、本当に夢想の彼方へと消え去ったのです。
こんな事ならば、名を呼んで差し上げれば良かった。
こんな事ならば、もっと望めば良かった。
愛しい
愛しいたった一人の私の主
「……翠琉さま……」
だから、今度は失わない為に
誰にも奪われない為に
死神に連れて行かれないように
愛しいその名を呼びましょう。
END