ある朝の風景
『ずっと一緒』
それが叶わない夢だと
僕らは知ってる
―― 由貴・敦 小学六年生 ――
「オハヨーございます!」
高条 敦は瑞智家の玄関を開けるや否や、挨拶もそこそこに慣れた足取りで2階に駆け上がる。そして勢い良く部屋の襖を開け放った。
そのままズカズカとベッドまで近付くと、何の躊躇もなく布団を剥ぎ取る。それでもスヤスヤと惰眠を貪る幼なじみの耳元で怒鳴る様に言う。
「オハヨー!グッモーニン!」
「……うー……敦?……後………5日……」
「馬鹿か、お前!後5日も寝るつもりかよ!起きろ!5日も寝たらお腹すくだろ!?」
的外れな要求に、これまた的外れなツッコミを入れながら、敦は幼なじみの上半身を半ば無理矢理起こして揺さぶる。
「今日は日曜日だろー……」
クワァッと大きな欠伸を一つすると、ボサボサ頭を掻きながら抗議の声を挙げた。
「まだ、7時前じゃんかー……」
「甘い!甘いぞ、由貴!」
文句を言いつつダンゴムシの様に丸まってしまった由貴に、仁王立ちした敦が喝を入れる。
「日々の鍛練こそ、夢を叶える第一歩!今日その第一歩を踏み出すんだったろ!」
言われた言葉に由貴は昨日を思い出した。
『夢を叶える為には、鍛練することだな』
人の悪そうな笑みを口の端に浮かべてそう嘯いたのは、敦の兄 鋭である。
「毎日ジョギングしただけで、ダンクシュートが出来る様になるんだぞ!?」
無論、鋭のついた出鱈目である。走るだけでダンクシュートが出来る様になれば苦労はない。
………が、非常に残念な事に、その事実を糾せる人間が ―― とどのつまり、ツッコミ役がいなかったのだった。力説する敦に由貴は生返事を返すと、モゾモゾと落ち着く体勢を作る。
そして、また夢の中へと戻って行った。何となくそのやる気の無さにカチンと来た敦は、ムッとして由貴の耳元に囁く様に言う。
「走ったら、走った分だけ背が伸びるんだって……」
言葉が終わるか終わらないか……とにかく、スイッチが入ったらしい由貴の行動がいきなり機敏になった。テキパキと着替えを済ませて敦に言う。
「よし!敦、行くぞ!」
「おう!」
—— いつからか……
そんな事、二人とも覚えてはいない。
気が付けば隣にいる
そんな存在で……何をするにも常に一緒だった。
だから、敦としては今回も由貴は一緒だと信じて疑っていなかったのだが……
「なあなあ、バスケ楽しい?」
並走しながら由貴が聞いて来る。
その言葉に敦は即答する。
「おう!なあ由貴、やっぱり一緒にやんないか?」
テレビでたまたま見たバスケットボールの試合風景 ――
敦はそれからバスケに夢中になった。
今では週末欠かさずに、中学生に混じってバスケに明け暮れるのが日課となっている。勿論、いつもの様にすぐに由貴の所へ駆け込んだ。
『バスケ!バスケやろうぜ!』
しかし、何度誘っても返って来るのは同じ言葉……
「んー…俺はいいや……」
困ったように少し笑って、由貴は応える。
「そっか……」
敦もしつこく言うでもなく大人しく引き下がった。
一緒に出来れば倍楽しいだろう
―― だが成長すればする程、互いの道が離れて行く事は判っていて……
今回も単に由貴と敦の趣向が合わなかっただけの事だと、敦自身納得していた。
「背がな……」
ぽつりと呟いた由貴に、敦は思わず聞き返す。
「え?何か言ったか?」
「背がもうちょっと高かったら、してみたかったな……」
由貴の言葉に思わず立ち止まった。
それに気付いて由貴も止まる。
「何だよ……敦?」
俯いたまま動かない幼なじみに、心配そうに覗き込む。
—— その時……
「なぁんだ……」
堪え切れずに、敦は笑い出した。事の次第について行けず、由貴はポカンと相手を見遣る。
「なぁんだ…俺だけじゃなかったんだ…」
いつまでも同じではいられないと、判っていた。ずっと一緒、ずっと同じなんて有り得ないと既に知っていた。
—— でも……
判っていても望んでしまう。
知っていても期待してしまう。
それは由貴も一緒だった。だが、バスケをするには致命的な欠点があったのだ。小学6年生にして、まだ140㎝に満たない。四捨五入したら130㎝だ。いくらまだ成長期がまだとはいえ、敦が今入っているチームでプレイするには、余りにも低すぎた。
前々からではあったが、最近は特に由貴が身長を気にしていた理由が判っ気がした。
そんな由貴の心情が、不謹慎にも嬉しくて……
「笑う事ないだろ!」
何を勘違いしたのか
―― 自分の身長を馬鹿にされたとでも思ったのか
由貴は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ああ、由貴ごめんなー……ちびっこにはバスケ無理だよなー……」
敦も、今更本心を曝すのは気恥ずかしくて、そんな野次で隠したのだった。
「人が気にしてる事をー!あ!?こら!待てぇ!」
「ははは!足の長さが違い過ぎるからな!追い付けまい!」
「今に見てろよ!毎日走れば、ジャイアント馬場も夢じゃない!」
後方から叫ぶ由貴に、敦は残酷な現実をさらりと暴露した。
「走った距離分、身長伸びたらホラーだろ」
由貴は再び言葉を失ったまま足を止めた。
敦は気にせず先に進む。敦の地を蹴る音が、軽快なリズムを刻みながらいやに大きく響く。
「待てぇ!敦ぃ!!」
「ハッハッハッ」
笑い声を追う様に由貴が駆け出した。
『ずっと共に……』
その約束に、ずっと縛られている。
―― 否 ――
自分が望んだ約束の鎖だ
かつて夢に描いた現実がここにはある
ここに居れば、あの忘れられない凄惨な悪夢にうなされる事もない
—— でも……
知っている
逃れられない
運命の歯車は廻り始めた
軋む音は、血の原を彷彿させる
思い馳せる“故郷”は
どんなに手を伸ばしても
触れる事の出来ない
泡沫の彼方
—— でも……
忘れようとする自分を
戒める様に
時折傷むのは
消えない額の傷痕
それは確かな罪の証
「それでも……今だけは……」
そう祈る様に呟いた瞬間……
「追いついたぁ!ていやぁ!」
追い付いた由貴が、敦の背中に勢い良く飛び乗る。
「うわぁ!?ちょっ!ギブギブ!」
首にぶら下がられて本気で苦しくなり、焦って自分の首に回された由貴の腕を叩く。
「天誅だぁ!!」
朝の澄んだ空に、少年達のじゃれ合う声が響き渡った。
END