地上の星を、あなたに
翠琉、璃庵(夏)
縁側に、翠琉は独りぽつんと座っていた。周りには猫や犬、カラスなど多種多様な動物が集まって来ていて、中には翠琉の頭や肩、膝に乗っているものもいる。
着ているのは甚平だ。
パジャマは着慣れなくて、居心地が悪そうにしていることに気が付いた年長組が買ってきた、可愛らしい柄の甚平を着て、手の中にあるものを眺めていた。
ここは、とても温かい。
初めてのことばかりで、戸惑うばかりだが、でも、どこか心の奥がくすぐったくて、優しさがじんわりと自分の中に広がっていくのが判った。
『夏だしね。せっかくだから、着てみない?』
『浴衣もいいけど、動きやすくてお勧めだ』
耳によみがえるのは、そんな紗貴と蘭子の声。
―― 無理にとは言わないから……
押し付けて来るのではなく、どこまでも尊重してくれる。
恩を着せるのではなく、そっと寄り添い差し伸べてくれる。
『久しぶりに街に出られて、いい気分転換になったよね』
『少しずつでいいから……人に慣れたら、翠琉も一緒に行こうな?』
そう言って優しく頭を撫でてきたのは、緋岐と将だった。
「……とと様……」
手の中にあるのは、唯一翠琉に遺された父親の遺品である竜笛。
(いいの、だろうか……)
自分がこんなにも優しい時間を享受していいのかと、自責の念に苛まれる。
(まだ、真耶の仇も取れていない……何一つ、果たせていないのに……)
溜息をひとつ零して空を見上げれば、そこには満天の星空が広がっていて。
風が木々を揺らし、優しく歌うようにさざめく。
「翠琉、眠れないのですか?」
その声に反応するように、四方に動物達は散って行ってしまう。声の方に振り返れば、そこには苦笑を浮かべた璃庵が佇んでいた。
ゆっくりと近付いて来ると、翠琉の隣に腰を下ろす。
「怖い夢でも見ましたか?」
案ずるようなその声音に、そっと目を一度伏せ、少し考えてから小さく首を横に振って、そして再度空を仰ぎ見た。
「いいのかなと……思ってしまって……」
風に攫われるくらい、小さな声がひとつポツリと落とさる。
「何も、成し遂げていないのに……何も、約束を果たせていないのに……こんなに、優しくして頂いて……沢山、もらってばかりで……」
空を仰ぎ見たままだった翠琉は、璃庵がどんな表情をして自分を見ているのか全く気が付かない。まるで、自分の方が傷付いているような、そんな沈痛な面持ちで翠琉を見つめていたのだが、小さく頭を振って思い直すと、フッと笑みを浮かべて翠琉に言う。
「どうせ眠れないというのなら、少し、お付き合い頂けますか?」
言うなり、白虎の姿となる。
(背にお乗りください)
「だが……」
―― もしも、自分がいなくなったら、心配を掛けてしまうのでは……
そんなことを考えていることは明白で、璃庵は思わず苦笑を零した。
(私と主は繋がっていますから……もしも翠琉、貴女がいなくなったことに気が付かれたら、私が共にいることをお伝えするので問題ありません……さあ……)
言うなり、乗りやすいように屈む。
遠慮がちに翠琉がその体躯に跨った瞬間、トンとジャンプするように駆け出した。そのまま空を駆け上る。
思わず目を固く閉じてギュッと璃庵の体躯にしがみつく翠琉にひとつ、笑みを零して璃庵が促すように、優しく諭すように翠琉に言う。
(目を開けて、ご覧ください)
その言葉に誘われるように、そろっと目を開ける。そして、眼下に広がる煌めく街並みに目を見開いた。
(あの灯、ひとつひとつが、人の営みです……翠琉、貴女が守ってきたものだ)
「な、にを……言って……」
翠琉の身体が強張るのが判ったが、気付かない振りをして璃庵は続ける。
(貴女が傷付きながら、一生懸命その両手を広げて守ってきたものです。間違いなく……貴女が祓師として頑張ってきた証です)
「……ッ……」
バケモノ、と……怪物だと罵られることが常だった。
守りたいと思ったものは、何一つ手の中に残らず、全て壊れて零れ落ちていってしまったと思っていたのに。
「わた、しも……ちゃんと……守れたものが、あった……と、……」
―― 母も、兄も守れなかった……
―― 真耶の、水比奈の……白銀の命を奪ってしまった……
―― もしかしたら、覚えていないだけで、もっと多くのものを壊してしまったのではないか?
優しさに触れる度、温もりに包まれる度、自責の念が心を塗り潰していって。
だけど、そんなこと誰にも言えなかった。この、優しい人たちを苦しめることを、悲しませてしまうことを口にすることが出来なかったのだ。
(貴女が、多くの妖を祓ったからこそ……今があるのです)
限界だった。堪えていたものが堰を切る様に零れ落ちる。声を押し殺すように静かに泣く翠琉を背に乗せたまま、眼下に見えた山の開けた部分に降り立つと、そのまま人型になり、そっと翠琉を抱き寄せた。
「よく、頑張りましたね……」
きっと、一番欲しかった言葉……だったのかもしれない。背中を数度撫でれば、しゃくりを上げながら遠慮がちに璃庵の胸元に顔を埋めて、涙を堪えようと必死に歯を食いしばる。だが、そんな翠琉の気持とは裏腹に、涙はとめどなく溢れて来て。
翠琉が落ち着くまでずっと、璃庵は優しく抱き締めたまま、背中を撫で続けたのだった。
どれくらい経っただろうか。
やっと涙の止まった翠琉と璃庵は、大きな丸太に並んで腰を下ろして、眼下に広がる街並みを眺めていた。
ばつが悪そうに、翠琉が口を開く。
「璃庵には、いつも……情けない姿を見せてしまう……」
照れ隠し、なのだろう……少しだけ拗ねたようにそう言えば、璃庵はフッと小さく笑みを零した。
「良いのではないですか?……ずっと溜め込んでしまっては、いつか決壊してしまいますから……」
言いながら、そっと翠琉の頬に手を添えると、まだ少し残る涙の跡を辿る様に唇を寄せる。
「!!???」
璃庵の行為に驚いて飛び上がったのは翠琉だ。何も言えず、口をハクハクさせるばかり。そんな翠琉の初々しい反応に更に璃庵は笑みを深めた。
「これくらいの触れ合いで慌てる様な幼子なのですから、遠慮する必要はありませんよ」
完全に、子ども扱いをされていると悟った翠琉は璃庵を睨みつけた。だが、璃庵にしてみれば子猫が一生懸命毛を逆立てて威嚇しているような姿にしか見えなくて。
思わず苦笑を浮かべれば、更に翠琉はムッとしたように顔を顰めると、口を開いた。
「お前、無理に敬語を使っているだろう」
それは、璃庵も予想していなかった言葉で、ぴたりと笑うのを止めると思わず目を見開いてしまった。そんな璃庵の様子にしたり顔になった翠琉が続ける。
「やっぱりな……私に対して敬語は不要だ」
「そ、れは……」
常に余裕しかなかった璃庵が初めて見せる動揺した姿に、少しだけ溜飲が下がった翠琉は、改めて璃庵の隣に腰を下ろすと遠慮がちにトンと璃庵の腕に自身の身体を預ける。
「どうせ、お前にとって私は幼子なんだろう?幼子に、敬語は使いづらいだろうしな」
「いいえ、そういう……わけでは……」
言い淀む璃庵に、今度は翠琉がフッと小さく笑みを浮かべると視線は街並みに向けたまま続ける。
「いい。何だか璃庵に敬語を使われるとむず痒い……とはいえ、主である兄様の手前、私にも敬語を使わざるを得ないんだろう?」
「……ええ、まあ……」
何とも歯切れの悪い返答に、翠琉は苦笑を零した。隣にある温もりに、なんとなく気持が緩んでしまい、小さなあくびをすれば、睡魔が襲ってきて。
だけど、伝えたい言葉があって。うつら、うつらしながら口を開く。
「それでも、私に対しては無理やり、敬語を使う必要は無い」
そう、きっぱり言い切る翠琉に、降参したかのようにひとつ嘆息してから、璃庵は応える。
「なら、2人きりの時は……」
だけど、そんな璃庵の応えに翠琉の反応がなくて……ふと、隣にある小さな温もりに目をやると、璃庵に身体を預けたまま眠ってしまっていた。
そっと起こさない様に、身体を支えるように抱き直すと、額に一つキスを落とす。
「お休み、翠琉……良い夢を……」
仰ぎ見れば、星が歌うように煌めいていて。
月が優しく笑った気がした。
END




