18年越しのバッテリー
『女子プロ野球史上初! 上里葵選手が決めた! 最優秀防御率、最多勝利、最多三振数、最高勝利数の四冠達成!』
日刊ベースボールスピリッツの一面。その紙面に女子プロ野球リーグ創立以来の偉業が掲載されていた。野球分析アナリストとしては、興味深いトピックだ。
データ・ライブラリーの社員として働いているが、ここまで出来のいい選手はいない。その選手が幼馴染なのだから、鼻が高い。
上里選手の快挙が取り上げられた新聞紙を片手に女子プロ野球の試合データ分析をしていると、自分のデスクにある内線電話が鳴り響いた。電話のディスプレイには『13』と表示されていた。受付からだ。
「はい、古田です」
『お疲れ様です。古田主席アナリスト宛に上里葵選手からお電話です』
「確認しますが、女子プロ野球の上里選手ですよね?」
『左様でございます』
「ありがとうございます。出ます」
保留ボタンを押し、外線番号01とラベリングされたボタンを押した。
「株式会社アスリート・データライブラリーの古田です」
『古田君! 久しぶり! 会わないうちに、真面目になった?』
「今、仕事中です。ご用件は?」
上里選手、いや、上里はタメ口で話している。こちらもタメ口で話したいところだが、今は仕事中。ビジネスに徹することにした。
『肩の調子はどう?』
「肩の調子ですか。特に、問題はないですが……」
『私の投球データを古田君に取ってもらいたいな、と思っていて。きちんとした話は球団通じて依頼したから、よろしくね』
「よろしく、って……」
反論する前に電話を切れた。俺はため息をついて、受話器を下ろす。
昔から上里はそうだ。俺をいつも振り回して……。
「古田君、いいかね?」
ため息をつきながら仕事を続けていると、後ろから野太い声が聞こえる。振り向けば、部長だった。
「急で申し訳ないが、今から幕張ガールズスタジアムに向かってくれ。測定機材は向こうで用意してくれるから、電車で行くといい。頼めるか?」
上里の言う通りに、正式な業務依頼が来たか。急ぎの仕事もないため、ここは引き受けることにした。
「承知しました。分析は明日以降の作業でも、納期に間に合いますので、今から向かいます」
貸与されたノートパソコンをバッグに入れる。
「終わりが定時すぎるので、今日は直帰になります」
「分かった。行きも帰りも気をつけて行けよ。あくまで俺の意見だが、この仕事はお前にとって、大きなプラスになる。頑張ってくれたまえよ」
俺は会社を出て、幕張ガールズスタジアムに向かった。仕事をこなすのは当然だが、幼馴染の上里に会いに行くためにおもむく。
時刻は午後15時。幕張ガールズスタジアムに到着する。
スタジアムは次世代を感じるデザインで、人気のある施設だ。世間から『男子の甲子園、女子の幕張』と呼ばれるほど、高校野球界では有名だ。また、今年度優勝チームである幕張アルテミスウイングの本拠地である。
到着後、幕張の球団スタッフが出迎えた。すぐさま、俺はブルペンの控室に案内された。
「ブルペンに上里選手がいらっしゃいます。機材はセッティングされており、各種データは機材で取れます」
ブルペンに入る前に、スタッフの説明を聞く。さすが、プロ野球だ。設備のセッティングがしっかりとしている。
「そうですか。それでは、早速投げてもらいましょうか」
「そう行きたいんですが、ブルペン捕手がいないんですよね」
「え? いないんですか?」
鳩に豆鉄砲を喰らった表情を浮かべていた。目は見開いており、口をあんぐりと開けていた。
通常、データを撮る際に、ブルペン捕手と呼ばれるキャッチャーがいるはずだ。いらはずの人がいない。どう考えてもおかしい。
「ですので、古田様にやっていただきたいのです」
「私にですか? 中学校までキャッチャーやっているので、やろうと思えばできるのですが……。どうして……」
唐突な業務依頼に、ただ戸惑うだけだった。一人のデータアナリストに分析をさせようというのだ。一体、幕張の球団スタッフは何を考えているのだろうか。
「古田じゃないか! 久しぶりだな! 社会人なりたてのときに、ストレス発散で、一緒にバッティングセンターに行った時以来か」
球団スタッフの理解ができない要望に戸惑っていると、黒のジャージを着た男が廊下の奥から声をかけてきた。背中にバッグを背負った男に俺は見覚えがあった。
「今西! なんでここに?」
「卒業後に入社したジムを辞めて、今はここでトレーナーをやってる」
思わず、俺は今西に手を差し出した。今西は満面の笑みで俺の手を握った。
「聞いたぞ、古田。お前、上里の幼馴染だってな」
なぜ、今西は俺と上里の関係を知っている? 俺は理由を聞かねばならない。
「どこでそんな話を?」
「本人が話していた。それでな。ブルペン捕手の件は、俺と上里が仕組んだ」
「それはどうして?」
「中学校を卒業する時に、約束してただろ? 上里は女子プロ野球のエース、お前はそれを支える存在になる、って」
「そうだった!」
「お前なぁ……。元バッテリーだろ」
約束を忘れていたことに、俺は空笑いするしかなかった。
確かに、今西の言う通りだった。中学生の頃に上里と約束していたのだ。上里はあの約束を本気で叶えようとしたのか。
「上里は女子プロ野球で日本のエースになった。来年の世界大会、WGBCに選出されるだろうな」
確かに、今西の発言通りだ。データを見ても、上里は国際試合で戦えるレベルの実力をやっている。
「お前はテレビでコメントするほどのデータアナリストになった。約束を果たす時が来たんじゃねぇか?」
今西はバッグから4つのアイテムを出した。キャッチャーミットとマスク、ヘルメット。そして、幕張アルテミスウイングのユニフォームとズボンを渡された。
「俺が無理を言って、用意してもらったんだ。ありがたく思えよ」
ユニフォームには、背番号は27。俺が中学生時代に背負っていた番号だ。しかも、現在アルテミスウイング所属の選手でこの番号の人はいない。
名前には、「K.FURUTA」と書いてある。幕張アルテミスウイング所属の古田理依奈選手に配慮した形だろうか。球団は俺をチームの一員として扱っているのでは?
俺は今西を睨んだ。
今西はウインクをして、サムズアップするだけだった。俺をはめやがって、こいつは。
「男子更衣室はブルペンの近くにあるから、そこで着替えてこい。逃げるなよ」
俺はポカンと突っ立っていた。そうしていても仕方がない。覚悟を決めろ、俺。
「ありがとう。行ってくるよ」と今西に言い、一目散に更衣室へ向かった。
更衣室で着替え、ブルペンへ入る。そこには、背番号18のエース・上里葵選手がマウンドに立っていた。
「賢也君、本当に待ったよ」
キャッチャーボックスに入ると、上里が声をかける。
やや癖のある黒髪のショートヘア。中学生時代と変わらない。変わったことといえば、胸の膨らみが、目のやり場に困るほどに大きくなっていたことと、ウエストが引き締まっていることか。実際の姿を見た時は、この体型で140キロも投げられるとは、実に驚いたものだ。
「葵もここまでくるのに時間がかかったんじゃない?」
キャッチャーマスクを外し、上野に話しかける。
「やっぱり、賢也君には敵わないなぁ」
屈託のない笑みを浮かべる。プロ野球選手になった彼女に、その笑顔に何度助けられたことか。アナリストとして、上野のデータ分析するのは確かに楽しかった。
俺は照れ笑いをしながら、キャッチャーミットを被り、左足をついて座った。ミットは真ん中に構える。どんな球でも受けれるような体制を取るためだ。
「全力で!」
この掛け声も中学生以来だ。中学校最後の大会の決勝を思い出す。あの試合の後、肩をケガしてしまい、選手生命が絶たれた。俺の野球人生はあの日で止まっていたのだ。
上里がセットポジションで構え、オーバースローで大きく振りかぶる。矢のような速さの球はど真ん中。ミットに構えた通りにボールがピシャリ!
俺は推測145キロの豪速球を懸命に受け止める。ブルペンには、バシンッ!という音が響いた。
女子が出していい球速ではない。
18年越しのバッテリー。最初の打球はストライク。個人的に、素晴らしい球を受けれたと思う。受け止めた手は痛いけど。
「ナイスピッチ!」
俺は上里に声をかけ、立ち上がる。
上里はグローブを顔と同じ高さで構える。それを見て、俺はボールを握り返し、投手の上里に返球する。ボールは狙い通り、ミットの中に収まった。
「お互いに夢叶えたよね!」
2球目の投球。これも、真ん中ストレート。ノビのあるストレートがミットに収まる。
「確かにそうだな! 約束は確かに果たした!」
返球。その後、俺は左足をつき、構えた。
「約束、果たしたから、もう一つの約束を果たして良いかな?」
3球目。今度はスライダーだ。大きく落ちるスライダー。俺は自分の体を盾にするようなブロック。ボールは自分の真下に落ちた。後逸は防げた。
「その約束を忘れた!」
俺はボールを拾った。
「けど、俺は破ったりしない!」
上里に向かって、ボールを投げ返した。投げたボールを上里はミットを動かすことなくとった。
「じゃ、次の投球の時に言うよ!」
4球目はドロップカーブ。上里の人生を支えている求人だ。上里のドロップカーブは分析済み。変化量の多い球を落とすことなく、掴み取る。
「おう、言ってくれ!」
また、ボールを投げ返す。さすがプロと言ったところか。上里はボールをグローブで掴んだ。
「結婚を前提としたお付き合い、してください!」
5球目。ど真ん中ストレート。
この一球に魂がこもっている。野球に携わる人間が約束を果たそうとする選手のボールを地面に落としてたまるものか。気合いと根性でボールを必死に掴もうとする。
しっかりとミットを鳴らして、捕球する。体感147キロは出ていた。非公式ながらも世界の女子プロ野球の速さが出ている。
思い出した。確か、卒業式の時、上里は「私は日本のエースになったら、賢也君は裏方として有名になったら、結婚しよう」とプロポーズされていた。
上里は、中学生の頃の約束を忘れていない。その約束に対する思いが、非公式記録ながら世界一の球速を叩き出したのだ。
俺も女子プロ野球のデータ分析を仕事にしていた。いろんな手法で分析しているうちに、上里葵という選手のことを好きになっていた。最初は興味だったが、やがて好意に変わっていた。
お互いの立場は違えど、夢は叶えた。約束を果たす時は来たんじゃないか。止まっていた時計を動かす時は来たのではないか。俺の野球人生は終わってなんかいなかった。これからだ、俺の野球人生は。
「賢也君!」と上里の声で、現実に引き戻される。
「ごめん、ぼーっとしていた!」
俺は立ち上がり、キャッチャーマスクを外した。きちんと、自分の想いを伝えるためだ。
「葵! 俺もそのつもりでマスクを被っていた! だから……」
俺は思い切り、ボールを投げた。送球は高め。上里の頭上を超えてしまいそうだった。
「結婚してくれ!」
何を言ってるんだ? 俺は熱くなってしまい、おかしなことを言ってしまった。でも、その言葉は本心だった。
「えぇ!? い、いきなり……」
動揺する上里。しかし、ジャンプしてしっかりとグローブで捕球した。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
上里はキャップを深く被った。彼女の頬が赤く染まっているのは、少し距離が離れた場所にいても分かった。
俺も同じ気持ちになってしまい、黙ったままキャッチャーミットを被る。左足をついて、ミットを構え、次の送球に備えた。
ふと、ブルペンにかけられている時計を見る。いつのまにか、時刻は午後4時。いつのまにか、時は動き出していた。
18年越しに再結成された俺と上里のバッテリー。今度は、一生続いていくと確信している。






