第97話 音を越える強敵
首に力を入れ、勢いよく振り払うように動かす。
そうすることで白い虎を弾き飛ばした俺は、地面に着地するなり、すぐに奴を観察した。
その体のどこにも、傷は見当たらない。
響がつけたであろう傷も、須王の大剣の切っ先が斬り裂いた傷さえも。
響の攻撃を防いだのではない。
奴は、傷を自分で癒したのだ。しかもおそらくそれは魔法の類ではない。
「再生能力……だと?」
須王の呟きを聞いて、俺は奥歯を噛みしめる。
こいつは受けた傷を癒す体を持っている。
その発動条件が時間経過によるものなのか、それとも一定以上のダメージを受けるものなのかは分からない。
どちらにせよ、驚異的すぎる力なのに変わりはない。
(どっちがユニークの能力なのか分からないけど……)
遠距離攻撃を防ぐ白い風の盾がユニーク能力かと思っていたが、こちらの能力の可能性も高い。
だがこうなってくると話は変わってくる。
傷つけても傷つけても回復する敵に対して、それでも取れる手はあるのかと自問したとき。
背後から声をかけられた。
「虎太郎……くん……?」
時間もないので素早く首だけを振り返る。
声を発したであろう須王は瞳を揺らしながら、俺を見つめていた。
(……なんだ?)
なぜ彼女がこんな表情をするのかは分からないけれど、今は奴を何とかする方が先決だ。
後ろ髪を引かれる思いで前を向いた瞬間。
音を聞くよりも前に、体が動いた。
目は目視している。地面を蹴った奴が、俺目がけて腕を振るっているのを。
――タンッ
音が、遅れて耳に届いた。
振り払われた爪に対して、俺はかろうじて頭突きが間に合う。
奴の右前脚を弾き、すぐに四本の脚に力を入れて左側に飛び去ろうとしたが。
『ぐっ!?』
直後に振るわれた左前脚により体の側面を強打され、俺は吹き飛ばされた。
ボロボロの白い家屋に突っ込み、外壁を瓦礫へと変えながら痛みに顔を顰めると同時。
影が射すことを感じて、咄嗟に紫電を放った。
俺に腕を振り下ろす寸前だった奴の動きが電流でわずかに止まり、その白く輝く体を尻尾で強打する。
俺から見て左方向に、さっきの俺と同じように家の外壁を壊しながら吹き飛んでいく。
それを確認すると同時、俺はそちらに駆けた。
奴の再生能力には驚いたが、その速さも一段階上に行っていた。
もしもユニークにもボスと同じように第二形態があるのなら、それがあの状態なのかもしれない。
俺しか反応できないほどの超スピードが。
(本当……どれがユニークのスキルなんだか……できれば全部であって欲しいくらいだ)
正直、あんな強敵が下層でそこら辺を徘徊しているなんて信じたくはない。
目の前で起き上がり、獰猛に牙を剥いた凶悪な表情を見ながら、そう思った。
俺は立ち止まり、一定の距離を取って奴とにらみ合う。
奴の白い体の力が、俺から見て左に動いたように感じた。
(逃がすか!)
それと同時、俺の体も無意識に動く。
家屋内部の部屋をいくつも抜けて、左へ。
外壁と内壁によって奴の姿は見えなくなったが、その気配が左に動いていることだけは感じ取れた。
おそらく玄関であろう扉をぶち破り、白く舗装された大通りへ。
地面を抉りながらブレーキをかければ、大通りの先には予想通り奴の姿がある。
『■■■■■■■!!』
言葉にならないうめき声をあげ、こちらを威嚇。
そんな奴を見ながら、体の調子を最後に確かめた。
愛しの飼い主とは離れてしまったが、テイムの絆は依然として繋がっているし、支援の力も届いている。
状態は、万全だ。
極限まで集中し、そして。
奴が大地を蹴った瞬間に、俺も前に出る。
音すらも置き去る超速の突進と、それに反応する人では絶対に到達できない反応速度。
俺達はほぼ同時に強く地面を蹴り、互いに掴みかかる。
力比べは、僅かに遅れた俺の負け。
空中で体勢を崩し、背中から地面に叩きつけられる。
けれど、一方的にやられてやるつもりはない。
体内の電気を解放し、紫電を放つ。掴みかかっているからこそ、奴にも届くとそう信じた。
大したダメージは与えられなくても、奴を離すことはできると。
そして予想通り、奴は離れた。
自分から。
(なっ!?)
俺の紫電が発生するよりも早く、奴は俺から離れた。
結果として放出された紫電は遠距離攻撃とみなされたらしく、奴の白い風の盾の前に消えていく。
ここに来て、たった一度見ただけで持ち前の速さと防御を組み合わせ、紫電に対策してきた。
感心している場合ではない。
紫電を風の盾で吸収した白い虎は、すでに後ろ脚に力を入れている。
――来る!
超スピードで迫りくる奴に対して、出来たことは前足を振るう事だけ。
紫電を纏わせ、最大の威力で奴を横殴りに斬り裂く。
例え体の反応が追い付かなくても、そこに来るという予測が合っていれば成立する一撃だった。
そう、あくまでも予測が合っていれば。
音を置き去りにして襲来した奴目がけて振るったはずの右前脚は、空を切る。
奴は突進のスピードはそのままに、両前足に力を入れて俺を跳び越えた。
跳びあがった奴の眼下には、間抜けにも誰も居ない場所に向かって脚を振るう俺が映ったことだろう。
奴はそのまま俺の背後に着地し、それまでの勢いを無視するように切り返してくる。
体にかかる圧力も相当なものなはずなのに、それを気にもしない突進。
俺が出来たのは、体を僅かに左に逸らすことだけ。
けれどそれすらも把握されたのか、正確に俺目がけて突進され、背中から衝撃が貫いた。
音速を越える程の一撃を受けて、背後から嫌な音が聞こえる。
近くに居ない筈なのに、愛しの少女の叫び声が聞こえた気がした。
俺の硬さと、奴の音速の突撃。
それが合わされば、複数の家屋を貫通して吹き飛ばされることなど造作ない。
壁に激突し、それを突破するときの衝撃にひたすら耐えながら、俺は終わるのを待った。
威力はどれだけ内壁や外壁を破壊しても衰えることはなく、ようやく止まった時には、もう奴の気配を感じていた。
俺が吹き飛ばされたのなら、当然奴も追撃に来る。
(くそっ……)
今の奴からしてみれば、唯一反応できた俺だけが敵だ。
それ以外は有象無象に過ぎない。
須王も響も強いが、目で反応できない速さには対応できないだろう。
だからこそ、確実に俺の息の根を止めに来る。
(させ……るかっ!)
気配が大きくなったことを感じ、俺は苦し紛れの紫電を放つ。
頭から流れる血で開けずらくなった瞼に邪魔された視界で、確認。
奴は咄嗟に後ろに跳ぶことで、白い風の盾でそれを吸収し、そのまますぐに前へと進んでくる。
まるでお手本のような、100点満点の回答だった。
音を置き去りにするスピードに、白い風の盾をうまく使うだけのバトルセンス。
総合力では、クイーンよりも上だと言わざるを得ない。
けれど、このままやられてやるつもりもない。
(何かないのか……何かっ!)
残されたわずかな時間で、思考が加速する。
魔法は奴の白い盾に阻まれるからダメ。
仮に雷の超級魔法を都合よく会得できたとしても、通じない可能性もあるし、そもそも詠唱している時間がない。
望月ちゃん達から遠く離れたこの位置では、仲間の援護も期待できない。
紫電は通じず、爪での攻撃は間に合わない。
あらゆる思考の先が不可へと繋がる中で、奴の追撃が迫る。
そして凶悪な一撃が迫る中で。
俺の体という無意識が選んだのは、紫電の一撃だった。
奴が避けてから二撃目まで間髪を入れずの紫電。
それは、連撃と呼べるものに近かった。
先ほどまではなっていた紫電の残滓と融合し、さらに強くなった紫電が奴の体を捉える。
「■■■■■■!」
予想外の一撃を受け、奴は後ろに飛び退く。
その様子を見ながら、俺は自分の体を包むように展開する紫の電流を確認する。
レベルが上がったわけでも、進化したわけでもない。
俺の体を包むのは、いつも通りの紫電に違いない。
けれどその薄い紫の膜は、あの日、あの化け物が纏っていた黒いオーラにどこか似ている気がした。