第82話 砂漠のオアシス
Tier1ダンジョン上層は広大な砂漠地帯である。
俺達は砂竜の墓場で無事に鍵を入手することには成功したが、入手した頃にはかなりの時間が経過していた。
とはいえ、探索を終えるにしても外に出れる機器を見つけなくては望月ちゃんは現実世界に帰れない。
入口の方に戻って出口のゲートまで向かうよりも、転送機器を見つけた方が早いという結論に至ったのだ。
それに、次回の探索は見つけた転送機器の近くから行うことが出来る。
一石二鳥の意味も兼ねて、上層ボスの居るピラミッドに進んでいたのだが。
「……あれ? なにか見える」
うんざりする日差しに耐えながらモンスターを斬り裂いたとき、望月ちゃんの声が聞こえた。
振り返ると彼女は遠くの方角を見ていて、そちらに目を向けると緑を見つけた。
人の時よりも良くなった視力が、あれがオアシスであることを伝えてくれる。
『砂漠にあんなのあるのね』
同じ方角を見ていた竜乃も感心したように呟いた。
ダンジョンの世界観はかなり凝ったものであり、あのオアシスは本物だ。
ただ、必ずしもあそこにあるわけではない。さっき見たときにはあそこには何もなかった筈だ。
砂漠でオアシスというのは夢幻のようなもの、ということなのだろう。
あれは、この上層をランダムに移動する施設というのを聞いたことがある。
実際に、以前俺がここを通った時には見つけられなかったものだ。
「行ってみようか。なにかあるかも」
『ええ、そうね』
『了解』
あまり情報が出回っていないため、俺もオアシスの情報は持っていない。
これが、初体験という事になる。
オアシスに向けて進むとなかなかつかないというのがよく聞く話だが、ここでそんなことはなく、段々とオアシスの姿が大きく、鮮明になっていく。
見つけられたこと自体が幸運という事なのだろうか。
しばらく歩き、もうオアシスにたどり着くことが確定した段階で、足元に草木が広がり始めた。
「オアシスって初めてだけど、本当に緑があるんだね」
望月ちゃんも人生初のオアシスに興奮状態だ。
『へー、いいところじゃない』
オアシスは緑豊かな地域で、中心には泉ほどの大きさの水源があった。
周りの木には果物が成っていて、他に人が居た形跡はない。
『ここ、本当にただのオアシスなのか。アイテムとかないかなと思ったんだが……』
見渡してみても特に施設のようなものはない。
地下に行けるような気配はないし、本当にただのオアシスなのだろうか。
そんな事を思いながら進むと、一つの木の側に機器を見つけた。
「うわ……すごい、蔦に包まれちゃってる。でも、これで」
望月ちゃんが機器にかかる蔦をどけて端末を認証させると、起動した。
どうやら機器としての機能は生きているらしい。
「あれ? 登録されない。出口にしか使えないみたい」
機器にはその地点から再び入れるものと、出口専用のものがある。
どうやらここの機器は後者のようだ。
『虎太郎、なんかすごいことになったわよ』
『え?』
声に彼女の方を見れば、竜乃は遠くを見つめていた。
視線をそちらに映すと、先ほどまで遠くまで見えていたのに砂塵が舞っている。
『お……おぉ?』
ぐるっと一周体を回転させたが、やはりどこも砂塵が舞っていた。
あれでは入ることも出ることも難しそうだ。
「閉じ込め……んー、機器で出れるから違うのかな? どういう事なんだろう?」
周囲の状況を知った望月ちゃんも首を傾げる。
“キミー:ちょっと話聞いてきたよ。そのオアシスは機器を認証した探索者のパーティが出るまで誰も入れなくなるみたいだね”
するとすぐに優さんがコメントで答えをくれた。
なるほど、あの砂塵は閉じ込めるためのものではなく、入れなくするためのものだったのか。
「なるほど……優さん、ありがとうございます。特に危険はないみたいだし、もうちょっと見て見ようか」
望月ちゃんに頷き、俺達はオアシスを探索する。
とはいえそこまで広くはないために、すぐに周り終わってしまった。
草木が溢れ、泉がある以外は特に何もない。
しかし、望月ちゃんは不意に泉に近づき、手を入れた。
「あ、冷たくて気持ち良い。見た感じ結構浅いみたいだし……水浴びに良いかも」
泉全体を見渡して、そう呟いた望月ちゃん。
確かに暑くて汗をかいたし、砂も気持ち悪いし、水浴びも……水浴び!?
衝撃を受けて望月ちゃんの方を見ると、たまたま近くを飛んでいた配信ドローンが目に映った。
“み、水浴び!?”
“ここで!?”
“だ、ダンジョンの中だぞ!?”
“いやでも砂塵で外からは見えないわけで……え、そういうこと!?“
“ふぁあああああ”
“ま、まさかのボーナスタイム!”
同じようなことを考えたのか、コメント欄も大盛り上がりだ。
そんなとき、強調されたコメントが一番上に固定された。
“キミー:あ、じゃあ代わりに配信切っておくよ”
優さんの一言にコメント欄は一気に減速した。
“この鬼! 悪魔! キミーパイセン!”
“人の心はないのか!”
“音だけ! 音だけでいいですから!”
“映像は切って構わないので、音だけでも!”
見苦しいですぞ、コメント欄。
優さん、やっておしまい。
“キミー:はい、配信切りますー。今日はお疲れ様でしたー”
「あ、優さんありがとうございます。皆さんもありがとうございました。明日には上層ボスに挑みますので、よろしくお願いします」
“よろしくだし、絶対に見るけど……見るけど!”
“まだ、まだ切らんといて”
“切らんといてや!”
“うわああああああん”
優さんの手で配信は切られ、配信ドローンもオフになる。
収納されていくドローンから、何やら呪詛のようなものが聞こえた気がしたが気のせいだろう。
望月ちゃんの水浴びシーンなんてね、お兄さん許しませんよ、ええ。
絶対にないが、仮に望月ちゃんが配信を切らなくて音だけにしていても、配信ドローンを壊していただろう。
そうなっても虎太郎は悪くない。悪くないよね?
「ふぅ、竜乃ちゃん、虎太郎君、お疲れ様。じゃあせっかくだし水浴びして今日は終わりにしようか」
そうだね。俺は周りに危険がないか見張っているよ。
少しだけかっこつけてその場から離れようと遠くを見る。
モンスターなど居るわけもないが、出来る飼い獣は違うのである。
水浴びは後からすればいい。虎太郎は紳士な獣なのですよ。ええ。
「ほら虎太郎君も行くよ」
『あんたが一番砂が絡まってるんだから、さっぱりしなさい』
……えぇ?
×××
よーい、スタート。
風になり、泉の中央へ。獣なので服を脱ぐ必要がなく、一番乗りでゴール。
そして伏せの姿勢を取って、目を瞑った。ついでに耳もペタンと倒した。
けれど感覚が鋭くなった獣の聴覚は、背後の音を聞き取ってしまう。
布が擦れる音、衣服を床に置く音、そして……水中を歩く音。
「虎太郎君、おまたせ……えへへ」
背後に来た望月ちゃんが泉の中に座り、俺に抱き着いてくる。
「あ、虎太郎君冷たくて気持ちい……砂漠のオアシスは極楽だねぇ……」
そんな呑気なことを望月ちゃんは言っているが、ここは泉の中。
水に濡れるわけにはいかないので、先ほど彼女は衣服を脱いだのである。
つまり望月ちゃんは今、生まれたままの姿なわけで。
ひっ、は、はだ……感触が……い、いつもと違う!
伝わる生々しい感触に、心臓の鼓動が止まらない。
俺のそんな葛藤を知る由もなく、望月ちゃんは無邪気に戯れてくる。
ひぇぇぇ……し、刺激が……刺激が強すぎる!
大天使望月エルのご神体を拝見するなど、飼い獣の風上にも置けない。
だから俺は目を瞑って決して彼女の方を向いていない。
こうでもしないと誘惑に負けてしまいそうになるので仕方ないのだが。
目を瞑ったことで望月ちゃんの感触が逆に鮮明と感じられて困る!
煩悩退散! 煩悩退散! 俺は虎太郎、俺は虎太郎! うおおぉぉぉぉ、負けてたまるかぁ!
Tier0よりも手ごわい天使様から意識を逸らすために、ひたすらに別の事を考える。
『あぁー、本当に気持ちいいわね。暑かったし、砂も消えて癒されるわぁ』
おっと、どうやら近くに竜乃が居るようだ。
この際、彼女に意識を向けることで気を逸らそう。それが一番いい。
「ふふっ……竜乃ちゃんも綺麗になったね」
『流石に砂に塗れていたから……それにしても』
何か含みを持たしたように竜乃は言葉を切る。
『理奈は本当にお肌が綺麗ね。若いって羨ましいわ』
いや、お前何歳だよ。っていうか人間じゃないだろ、竜だろ。
望月ちゃんとお肌を比較しても……望月ちゃんの……お肌……。
いけないことを考えそうになったので水に浮かべていた頭を下げた。
鼻先まで水に浸かり、沸騰しそうな頭を冷やしていく。
『にしても、理奈は絶対そっちの方がいいのに』
「ん? どーしたの竜乃ちゃん」
『眼鏡外した方が可愛いわよ。まぁ、眼鏡もいい味を出してはいたけど』
「うーん、戦闘時とかはなんとなく分かるんだけど、今は何を言ってるのか分からないなぁ」
え? 望月ちゃん今眼鏡外してるの!?
そ、そりゃあそうか、眼鏡つけたまま水浴びしないか……。
み、見たい。望月ちゃんの眼鏡なしバージョン。
で、でも見れない!!
望月ちゃんの笑顔を思い出してしまい、再び彼女に意識が行ってしまう。
そんな望月ちゃんは今、俺のすぐそばにいるわけで。
「ねえ虎太郎君、虎太郎君は竜乃ちゃんが何て言ってるのか分かるんだよね? 羨ましいなぁ」
お願いなので話しかけないでください。さらに強く抱き着かないでください。
もう……どうにかなっちゃいそう!
さらに頭を下げて目元まで水に浸かる。こうしないと、誘惑に負けてしまいそうだった。
『理奈、辞めてあげなさい。虎太郎は今、自分と戦ってるんだから』
笑いをこらえながら言うな、竜乃ぉ!!
結局俺はこの後しばらくして泉から目を瞑ったまま出て、木の側で眠っているふりをした。
望月ちゃんが泉から出て服を着るまでの動きは全部把握していたが、それは耳で聞いただけで、目で見てはいない。
ちょっと気になって目を開け……開け……開けそうになったが、それだけだ。