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第72話 とある切り抜き応募者の小さな受難

 霧島英二は今年28歳の会社員である。

 勤めている会社はやや業績低下のため給料は良くないものの、ブラック企業というわけではなかった。


 霧島は、入社当時は熱意のある青年だった。

 会社のために様々な案を思案しては、提案してきた。


 それが変わったのは、2年くらいが経過してからだ。

 何をしても、無駄だという事が分かった。自分一人が声を上げても、会社は動かないことを知った。


 熱意があるのは自分だけで、他の人はそうでもないことを知った。

 そこを機に、霧島は諦めた。


 熱意を失ったとはいえ、熱意は元はといえば今の会社に対するものだったために、転職する気にはなれなかった。

 日々、会社に行って、帰ってきて、ゆっくりとするだけの日々を送っていた。


「……なんだ? これ」


 転機は、本当に何でもないことだった。

 元々好きだったダンチューバーの配信がなかったために、適当に検索していたときのことだった。


 その配信者は、霧島の聞いたことのない探索者だった。

 配信を確認したところ、ダンジョンのレベルはTier2の中層で、いつも見ているダンチューバーよりも上のダンジョンに潜っていた。


「すげえな……」


 一瞬で、彼女達の戦いに魅入られた。

 配信者の望月は完全に援護に回り、竜乃は中距離からの攻撃で相手の攻撃を封じる。


 そして前衛を張る虎太郎は物理、魔法共に探索者ではない霧島から見ても高いレベルであることが伺えた。

 なにより彼ら3者の間には強い絆が感じ取れるのが良かった。


 これまでのダンチューバーとは違う楽しさが衝撃となって霧島に襲い掛かった。

 それからは毎日のように配信を追った。


「すげえ……すげえよ虎太郎の旦那!」


 スカイホースを虎太郎がトールハンマーで墜としたときには、思わず立ち上がってしまった。


「いけえぇぇぇぇ! 燃やせぇぇぇぇえええええ!!」


 ダーク・エンペラーを竜乃が燃やし尽くしたときは、叫んで隣の部屋から苦情が届いた。


「竜乃ぉぉぉおおお! 竜乃ぉぉぉおおおお!!」


 クイーンを竜乃が圧倒したときには年甲斐もなく泣いてしまったくらいだ。


 そうして彼女達がJDCで1位を取るまで、霧島は毎日が興奮の連続だった。

 けれど運命の日はある日突然訪れた。


「……モッチーの、動画編集パートナー?」


 霧島が配信を見始めてからしばらく経った後に公開された望月のSNS。

 JDC最終日の深夜に、その投稿はあった。


“【急募】 配信パートナー

 こんにちは、望月です。今回は個人的なお願いです。

 私達の配信を私の要望に沿って切り抜いてくれる方を募集します。


【以下の注意点に気を付けてください】

 ・動画はプライベートなものなので、公開しないでください

 ・作ってくれた動画の数に応じて、報酬をお支払いいたします

 ・かなりの頻度でお願いするので、作業が早く、やる気がある方だとありがたいです

 ・個人情報を控えさせていただきます。あくまでも念のためです


 興味がある方は是非ともDMまでお願いします”


 今人気絶頂の望月の公認切り抜き師になれるということで、霧島はモニターに噛り付いた。

 間違いなく望月の投稿である。これを逃す手はない。


 書かれている募集内容に疑問は少し持ったし、リプライ欄にも何やら不穏な動きはあったが霧島は無視した。


「応募……してみるか……」


 仕事はここ数年ずっと落ち着いていて、毎日定時に帰れている。

 土日の休出も基本的にはない。


 さらに霧島は大学の頃に趣味の配信を行っていたこともあり、動画編集は経験済みだ。

 この日は、選ばれれば凄いラッキーくらいにしか考えなかった。


「……えぇ……モッチーってあんなヤバい子なの……?」


 けれど翌日の望月の雑談配信を見て、霧島は戸惑っていた。

 今までも言葉の端々に彼女の狂気は垣間見えていたが、それがありありと見て取れた。


 彼女のファンであることは変わらないが、知らない一面を知ると、どうしても驚いてしまう。

 そしてその日の深夜に望月からDMが届いた。


 つい先ほどまで雑談配信を見ていたために霧島は起きていた。

 そしてそこに書かれた内容を見て、驚いた。


“こんばんは、望月です。


 応募、ありがとうございます。

 動画の切り抜きの件ですが、必ずやっていただけますか?”


 おそらく応募者全員に送っているであろうコピペ文。

 しかしその文の中には、どこかおかしさを感じた。


「必ず……やる?」


 機密情報の扱いやSNSに拡散しないといったことではなく、やって欲しいとはどういう事だろうか?

 やや怪しい仕事のようにも読み取れるが、まさかなと思い、霧島はすぐに返信した。


 もちろん、やり遂げるという事。

 自分は会社員のため時間は比較的あるという事に加えて、必要ならば関係者から直接連絡を受けて、急がされても良いという事も追記した。


 深夜でかつ酒を飲んでいたために、霧島のテンションはおかしかった。

 けれど霧島としては、望月の配信切り抜きに参加したいという思いが強かった。


 興奮をくれた彼女達に、少しでも関わりたいと思ったからだ。

 だから、自分がいつから配信を見ていることや竜乃や虎太郎についてどう思うかも書いた。


 望月の3行のDMに対し、数十行のDMを送った時には睡眠時間の確保が難しいくらいだった。

 その日は眠り、そして起きて会社へ向かった。


 いつも通りの作業を行って、そして夕方になんとなく端末を見たとき。


「え!? ……あ、す、すみません」


 大きな声を出したためにオフィスの他社員に目を向けられてしまった。

 霧島は頭を下げ、非常階段へと逃げるように一時避難する。


 端末には、驚きの内容が書いてあった。


“霧島さん


 こんにちは、望月です。ありがとうございます。DMからとても熱意と愛情が伝わってきました。是非とも霧島さんに依頼したいと思います。内容ですが、以下になります。


・私達の配信から竜乃ちゃんと虎太郎君が映っているシーンのみを抽出し、それを拡大して切り抜き動画を作成してください

・私達の配信がダンジョンで行われたものを、これから先全てお願いします

・竜乃ちゃんと虎太郎君をメインで映してください。二人のカッコよさを表現するために他のモンスターやボス、私を映すのは構いませんが、これらをメインで絶対に映さないでください

・字幕や編集も要りません。ありのままでお願いします。

・無理を言うつもりはないのですが、これから先の配信を全て、なるべく早く欲しいので時間はかけて頂くことになると思います”


「……はぁ?」


 書いてある内容は、霧島からすると到底信じられない内容だった。

 既にある配信を用いて、新しく動画を作る。


 やって欲しいのは竜乃と虎太郎をメインで映すだけで、テロップも編集も要らないらしい。

 求められているレベルとしては、かなり低い。


 だが、よくよく考えてみると作成した動画は望月が個人的に楽しむもの、という事なのだろう。

 彼女が竜乃と虎太郎に対して並々ならぬ思いを抱いていることは知っているために、霧島は驚きはしたものの納得はした。


 その後の文を見るまでは。


“もし上記の内容でよろしければ、動画一本につき――”


「……えぇ?」


 動画1本の値段は、目を疑うほどの金額だった。

 一般的な動画編集の、数十倍の金額だ。


 打ち間違えたのかと思うほどだが、3つ区切りで,が打たれているし、カッコつきで漢字でも記載されている。

 一体どういうことなのかと思い文章を下にスクロールするが、そこから先は竜乃と虎太郎に関する賞賛の言葉が延々と書かれているだけだった。


「えぇ? ……いや、いやいや……えぇ?」


 霧島は頭を抱えてしまう。仕事内容に関しては全く問題ない。

 望月達、いや望月本人の要望に応えられるのは嬉しい。


 竜乃や虎太郎をメインで切り抜くというのも楽しいだろう。

 少しでも推しの配信者の助けになるなら、それも嬉しい。


 自分は望月と竜乃と虎太郎のファンでもあるので、やりがいはある。


 けれど、こんな金額を受け取っていいのかと思う。

 しかも相手は自分よりも年下で、まだ学生だ。


「えぇ? お、大人としてDMで言った方が良いのか? でもそれで気を悪くしたら申し訳ないし……やりたいのは事実だし……受け取って配信で投げまくるとか? いや、受け取ること自体が問題だろ……」


 結局この日の仕事はこれから先に手がつかなくなり(そこまで量はなかったので問題はなかった)、家に帰った後も霧島は悩み続けた。


 ちなみにこの後、夜に送られてきたキミーパイセンのDMにより事情聴取が行われ、ありのままに話したところ、キミーパイセンから望月に話をすると言ってくれた。


 一時間ほど待ったところ、再びキミーパイセンから連絡が来て、申し訳ないが適正な価格で受けてくれないかという打診があり、霧島はむしろ逆にそうしてくれと快諾した。


 なお、キミーパイセンから提示された金額は相場の3倍ほどとなっていて、動画編集にかかる時間を考慮して遠い目をした。

 まだ貰い過ぎだと思ったが、もうDMで連絡をするのは諦めた。


 君島優もまた、姉が最上位探索者であるために金銭感覚が若干ズレていることを霧島は知らない。


 こうして望月専用の動画切り抜き師が誕生した。

 望月と優と霧島しか知らない、秘匿された切り抜き師だ。


 このあと、霧島はさらに竜乃と虎太郎の沼に嵌ったり、彼らの姿に感化されてついに転職を決意し、動画関連の会社に就職したりするのだが、それはまた別のお話。


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