第70話 一人の情報屋の楽しみ
「……こんなところかな」
自室でノートPCに向かって作業をしていた君島優はそう言って伸びをする。
椅子の背もたれが後ろに動き、ギシギシと音を立てた。
ストッレチも兼ねて首を回した優は、はぁ、と息を吐いてモニターに目を向ける。
書かれているのは望月達の事。
望月のレベルやスキルはもちろんの事、竜乃のスキルについても、さらには虎太郎の事についても詳細に記載されていた。
虎太郎に関しては配信から分かる範囲でしか入力が出来なかったが、それでも量は他の2人に並ぶくらいだ。
今や日本で屈指の人気探索者となった望月達。
彼女達のバックアップを担当している優が日本の誰よりも彼らに関する情報を持つことは当然だ。
「やることは……山積みだなぁ」
苦笑いをする優の視線の先には、ノートPCの周りに散乱した書類の束。
一般的な高校生はおろか、社会人ですら扱わないような量の書類は、全てがダンジョンに関するものだ。
これまでは望月が潜っていたTier2ダンジョンのものが多かったが、今では東京のTier1ダンジョンの情報も増えてきている。
探索者にとって情報は命だと、そう優は考えている。
Tier2下層ダンジョンのボス戦では悔しいことに情報は役に立たなかったが、だからと言ってこれから先の情報を疎かにして良いわけではない。
彼らを支えると、そう決めたから。
「……7時か」
覚悟は決まっているが、Tier1の情報はTier2のダンジョンのものとは質が違う。
量は減るが、曖昧なものが多くなる。では曖昧なものを具体的にするにはどうするか。
結局のところ、果てしないネットの海から情報を集めて多角的に見るしかないのである。
調べ始めたのは昨日からだが、すでに骨が折れる気持ちを優は抱いていた。
「ご飯食べよ……」
ポツリと独り言をこぼして優は椅子から立ち上がる。
学校での彼女の印象からは程遠い、可愛らしいピンクの椅子が回る。
ぬいぐるみが置かれた(望月がプレゼントしたものも配置されている)ベッドのある自室を出て、下へと向かう。
2階建ての一軒家の1階、リビングの扉は閉められていた。
夕日の光が射しこんでいるが、その中に誰も居ない事は分かっている。
優の両親は共働きで、夜にならないと帰ってこないからだ。
子供の頃はそれが寂しかったこともあったが、たった一人の姉が居たので孤独だったわけではない。
「何食べようかな……」
自宅にいるときの悪い癖である独り言を言いながら扉を開けて中に入る。
夕日の射しこむリビングの食卓が、目に入る。
「……おねえ……ちゃん?」
立ち止まり、優は戸惑った声を出した。
食卓には端末を操作する一人の女性が座っていた。
長い黒髪を綺麗にまとめた、ややきつめな印象を受ける美人だ。
自らの姉、君島愛花が自宅にいる珍しさに優は目を瞬かせた。
「あら、優。何か食べる? って言っても、注文になっちゃうけど」
優に気づいた愛花は冷たい雰囲気を霧散させて、穏やかな笑みを浮かべた。
けれどその笑みには、どこか優を気遣う雰囲気がある。
「……帰ってきてたんだ。声かけてくれればよかったのに」
「集中しているの……知ってたから」
ややぎこちない笑みを浮かべる愛花から視線を外し、四人掛けのテーブルに腰を下ろす。
位置は隣でも対面でもなく、もっとも遠くなる斜めの位置だ。
「何にする?」
「僕はピザがいいなぁ……照り焼きで」
「いつもの所ね。OK」
優の声を聞いて、愛花は端末を操作し始める。
手持無沙汰になった優もポケットから端末を取り出して配信を確認し始めた。
スクロールしていけば、望月達に関する切り抜きがこれでもかというほど出てくる。
そんな中でも、特にサムネイルなどに力を入れていないシンプルな配信が目を惹く。
どれよりも再生数を稼いでいる、望月達の配信アーカイブだ。
今やTOPクラスのダンチューバーとなってしまった彼らを見て思う。
最初に思った通り、望月達はどこまでも行けるだろう。
自分が挫折した東京のTier1ダンジョンの上層すら軽く突破し、さらにその先へ。
優は望月達が、未だ誰も到達していない東京のTier1ダンジョンの深層にも到達できると信じている。
ひょっとすると、京都のTier1攻略中の氷堂を抜いて、先に東京のTier1を攻略してしまうかもしれない。
(流石に身内贔屓かな……)
思わず笑みがこぼれた、その時。
「ねえ優」
操作を終えたのであろう愛花が声をかけてきたので、頭を上げた。
「望月さんのサポートは、楽しい?」
続いて問われた言葉に、優は目を見開いた。
ドロップアウトしたあの日から、姉はダンジョンに関する話を避けてきたからだ。
望月に自分が関わっていることは愛花にも知られているようだった。
それでも、愛花は望月に関する話を一切しなかった。
望月達が下層に挑んだ時も、JDCランキングの首位争いをしているときもだ。
姉に気を使われていると、そう感じていた。
(お姉ちゃん……)
だが、愛花は縋るような目で優を見ている。答えを待っている。
だから、自分に出来ることは。
「うん。楽しいよ。望月ちゃん達のサポート。……すっごく楽しい」
今の気持ちを正直に伝えることだ。
楽しくて楽しくて、仕方がないという事を。
満面の笑みで答えれば、言葉の意味を理解した愛花の表情が明るくなった。
「そ、そう? それは、うん……すごく、良かった」
「下層ボスの情報は、役に立たなくて悔しい思いをしたけどなぁ……」
あははと苦笑いをすれば、愛花はフルフルと首を横に振る。
「配信見てたけど、あれはイレギュラーパターンだったわ。今までにないものを対策するのは無理よ」
「そうだけどさぁ……なんかこう、悔しいじゃん?」
「なによそれ」
二人して笑いあう。
「優……頑張ってね。もしTier1で知りたいことがあったら聞いて、何でも答えるわ」
「お姉ちゃん……ありがとう」
「構わないわ。……あ、ピザ30分後に来るってさ」
「あ、うん……」
会話が一段落着き、部屋に沈黙が落ちる。
これまでのように居心地が悪い静けさはないが、優はこのタイミングを逃したくないと思った。
「お姉ちゃん、ありがとうね。僕をダンジョンに誘ってくれて」
「……優」
「あーほら……お姉ちゃんとダンジョン行かなかったら、望月ちゃんとこんな関係にならなかっただろうし? 竜乃ちゃんや虎太郎君とも出会えなかっただろうし」
「…………」
恥ずかし気に視線を外して頬を掻く。
斜め前から痛いくらいの視線を向けてくれる姉に対して、何か言ってくれと思った。
けれど愛花は何も言わずに、数秒後。
「……ふふっ。じゃあ感謝のしるしとして駅前の新しいスイーツ店のケーキ買ってきてもらおうかな」
「なっ……い、いや、まあこれからも情報くれるらしいし、いいけどさ。じゃあ、明日買ってくるよ」
「ええ、楽しみにしてるわ」
会話が一段落し、部屋を再び沈黙が支配する。
けれど優と愛花の間には、居心地の悪さも、何かを言わなければという気持ちも無くなっていた。
二人は端末を操作しながら、ピザが届くまで各々したいことをする。
優の端末の画面に映るお気に入り配信者の欄。
そこには新しい順で望月と君島という、2人の配信者の名前だけが表示されていた。