第66話 とある白竜の独白
『しゃ、しゃべったぁぁぁぁあああああ!』
初めて会った日のことを、今も私は覚えている。
今みたいに大きくなくて、黒くなくて……白い毛並みに仲間意識すら感じた。
虎太郎と名付けられたその子は、少しおかしな子だった。
自分の事を元は人間だったって言ったり、モンスターの攻撃パターンについてやけに鼻が利いたりしていた。
けれどそれ以上に、あの子は私達のために戦ってくれた。
『後輩君、よろしく。分からないことがあれば、お姉さんに聞きなさい』
最初に決まった関係性は、少しずつ形を変えながらも今も続いている。
弟のようだと思った虎太郎は、いつからか相棒になった。
虎太郎がどう思っているか分からないけれど、私はそう思っている。
背中を預けて戦える、大切な仲間であると。
『虎太郎、待ってなさい、すぐに仕留めるからね!』
このダンジョンの上層ボス、アーマー・ベアと戦ったときはそう思っていた。
むしろ虎太郎と肩を並べて戦えることを誇っていた。
それが変わり始めたのはいつからか。
予感は前からあったが、確信に変わったのは中層ボスに挑んだ時だ。
中層ボス、スカイホースは明らかに私と相性が良いボスだった。
空中というフィールドで戦えるのは私だけだから活躍できると、そう思っていた。
信じていた。期待していた。
『堕ちろ!』
雷の上級魔法、トールハンマーという名前らしい。
私には到底出来ないような強力な攻撃を見たときに思ってしまった。
なんだ……これは、と。
その瞬間に賞賛の気持ちに嫉妬が、誇らかな気持ちに自責が混ざり始めた。
虎太郎の強さを妬み、自分の弱さを責めた。
私が仕留めきれなかったスカイホースを虎太郎のトールハンマーがとどめを刺したことが、余計に心を締め付けた。
理奈も虎太郎も、私が足手まといだなんてことは思わないだろう。
むしろ私がこんなことを思っているという事すら、気づいていない筈だ。
けれど私の心は何度でも残酷な言葉を突き付けてくる。
配信で流れていくコメントの中で、一瞬で消えていくモノを鮮明に映してしまう。
“竜乃のブレスだときついか”
“虎太郎の旦那が上手く動けないのがなぁ”
“もうちょっと竜乃ちゃんが足止めできれば……”
そしてそれは、下層に入ってからより鮮明になった。
下層のモンスターに対して、虎太郎は有効打を持たない。
だから虎太郎よりも活躍できる。そんな気持ちを抱いた。
抱いてしまった。
共に戦うはずの虎太郎に対してそんな思いを抱いた自分が、醜く思えた。
ダーク・エンペラーを私のブレスで倒したことで、その思いは強くなってしまった。
それすら虎太郎や理奈の助けが大きかったというのに。
『GaaaaaAAAAA!!』
だから無垢の白球と戦ったときはなにもできなかった。
特に虎太郎が覚醒し、紫電を手に入れた後は見ているだけだった。
圧倒的な力の前に、自分が小さく感じた。感じさせられた。
戦い終わった後に虎太郎に喜んで飛びついたときも、心のどこかでそれを遠くから見ているような自分が居ることが嫌だった。
そして私達は、下層のボスに挑んだ。
理奈もそれを望んでいた。虎太郎も賛成してくれた。
私達の夢を叶えるためには、それしかなかった。
“竜乃、ちょっと力不足だよな”
“虎太郎の旦那の足引っ張るなよ”
けれど私が下層ボスに挑む理由は、意地のようなものだった。
なんとかして自分の力を証明しなければならないという強迫観念があったから。
“全然クイーンの防御破れないなぁ”
“有効打が虎太郎の旦那しかないのはキツイ”
“パターン変わった? こんな動き知らないんだがヤバくね? 虎太郎の旦那押されてる……”
戦いに集中しなければならないのに、そういったコメントばかりが視界に映ってしまう。
配信ドローンのコメント欄は小さいのに、流れは目に負えないほど速いのに。
あぁ、そうじゃない。
そんなコメントなんてきっと最初から流れてなかったんだ。
ただ、私がそう思ってただけ。
×××
『トカゲ風情が、小癪な』
不意打ちのブレスすら失敗し、弄ばれるように地面に転がされた。
鈍い痛みが走り続けていて、満足に動けない。
そうこうしている間にも、クイーンの手のひらには黒い闇が収束していく。
――あぁ、もう終わりか
虎太郎が勝てない相手に勝てるわけがない。
思えば最初から、諦めていたのかもしれない。
『ああああぁぁぁぁぁ!!』
聞こえた声に顔を上げたときには、何かが落ちる音が耳に届いていた。
目の前には横たわる黒い毛並み。
私の体よりも大きな、頼りになる……けれど羨ましくて仕方がない相手。
虎太郎が、倒れていた。
――なんで?
檻に閉じ込められていた筈なのに、なぜここに居るのか。
どうして私なんかを庇ったりしたのか。
『虎太郎! 虎太郎!』
なんでそうな風に、安心したように微笑むのか。
――違う
妬んでいた。羨ましかった。
あんな風になりたいと思った。どうして虎太郎だけって、ずっと思ってた。
――でも、こんな姿になって欲しいなんて思ったことは一度もない
――こんな風に傷ついて欲しいと思ったことは一度もない
――だってずっと、私は胸を張って隣に立ちたかっただけなんだから
『お前ぇぇえええええええ!』
叫び、クイーンを強く、強く睨みつける。
体は悲鳴を上げている。少しも動く気配を見せない。
だから、その全てを無視する。
怒りを燃料に、クイーンに噛みつく勢いで前へ。前へ。
『囀るな』
鋭い痛みを感じ、気づけば宙に投げ出されていた。
視線の先では、体を回転し終えたクイーンがうんざりした表情を浮かべている。
噴き出す血が、やけにゆっくりと見えた。
飛ぶ力すら残っておらず、ただ地面に落ちるだけ。
痛い。痛い。
うっすらとしか開かない目で地面を見ながら、そう思うことしか出来ない。
もう動けない。
最後の決死の突撃すら届かなかった。
虎太郎は覚醒して無垢の白球を追い詰めたのに、私には出来なかった。
――あぁ、虎太郎みたいになりたかったなぁ
「やめて!!」
目を見開いた。
私とクイーンの間に、理奈が両手を広げて立っていた。
驚いたけれど、理奈ならそうするだろう。
虎太郎と私が傷ついて倒れているなら、この子は身を投げ出しても護ろうとするはずだ。
――あぁ、虎太郎を治せば……まだ……
いや今更間に合わないのは分かっているけれど、それでもと思ってしまう。
だって、そうでしょう?
スカイホースを倒したときも、虎太郎がトールハンマーでとどめを刺した。
ダーク・エンペラーに対しても、虎太郎が支援をしてくれたから倒せた。
無垢の白球だって、虎太郎が倒したんだ。
だからクイーンだって、虎太郎にやってもらわないといけないんだ。
私の左手が、強く掴まれる。
痛いほど強く握りしめられて、目を見開いた。
虎太郎が、私の手を握っている。
『た……つの……』
――あぁ、違う。違うんだよ
そうじゃない。そうじゃないんだ。
私は……そもそも間違えていた。
スカイホースを倒せるくらいのブレスを、私が撃てればよかった。
ダーク・エンペラーを焼き殺せるだけのブレスを。
無垢の白球の光帯を貫けるだけのブレスを。
だからクイーンだって、虎太郎にやってもらわないといけない?
――違うんだよ。私が、やらないといけないんだよ
虎太郎が羨ましかった。妬ましかった。
そんな事を思う自分が嫌いだった。そう思うしかない弱い自分が嫌いだった。
でも、それ以上に私は強くなりたかったんだ。
虎太郎と並んで、戦いたかったんだ。
――ただ、それだけだったんだよ
私は竜乃。理奈のテイムモンスターで、虎太郎の相棒。
虎太郎と、共に戦う者。
私が出来ないことは虎太郎に預け、虎太郎に出来ないことを私がやる。
誰に何と言われても、自分がどう思っても、それすら無視してそう在れるように。
胸の奥底で、ゆっくりと蒼い火が灯った。
ようやく、灯った。