第63話 変えてしまった敵
纏う空気の変わったクイーン。
そんな彼女に対して、俺は深く考えることなく飛び出した。
心の中の不安故の行動だった。
全身の四肢を動かし、速度を維持したままに右の前脚を振るう。
紫電でコーディングした、少し長くなった爪でクイーンの細い胴体を狙う。
(ここでは鎌での防御の筈。なら防御させて、風魔法で浮かび上がりながら尻尾で――)
事前に動画で学習していた部分を頭の中でおさらいしながら振るった爪は。
見事に空を切った。
『はっ?……っ!?』
僅かに後ろに跳んで、そこからの鋭い鎌での斬りこみ。
今まで動画では見ることがなかった攻撃パターンに対応できたのは、これまでの戦いのお陰だ。
心のどこかで常に油断しないことを覚えていたのだろう。
身を低くして避けられたものの、本当にギリギリ――
鎌を振るったクイーンは、そのまま鎌を頭上に掲げて向きを変える。
その全てが、速度を維持したままで行われた。
頭に迫る刃の切っ先を寸でで避ければ、鼻先に掠った。
(なんっ……どうなって!?)
クイーンは鎌を地面に突き刺した状態で大きく一歩踏み出し、地面から抜きながら俺を斬り裂こうとしてくる。
先ほどと同じように、今まで見たこともない攻撃に対して、俺は紫電でコーティングした爪で弾くことしか出来なかった。
(重いっ……でも、それより!)
先ほどからの攻撃は全て動画にはないもの。
なぜこのクイーンだけがこんな動きをするのか、迫りくる刃を躱し、防ぎ、弾きながら考えて。
『いや、獣であり人でもあるものとして、戦うとしよう』
その言葉を思い出して、気づいた。
いや、あくまでも予感でしかないがおそらくは。
(俺が原因か!?)
モンスターにはあくまでも予想だが2種類の対応が見受けられる。
探索者のような人間相手と、テイムモンスターに対する対応だ。
同一モンスターに対する後者の経験が圧倒的に少ないので予想でしかない。
だがかつてのパーティで戦った相手は、俺達とパーティメンバーのテイムモンスターをハッキリと区別して戦っていた筈だ。
ゲームで言うところのAIみたいなものがモンスターにもあるという事だろう。
だが、俺はクイーンからすればモンスターであり人間だ。
クイーンは心こそあるように見えるが、モンスターであることに違いはない。
彼女は最初、俺に対してモンスターに対するAIで戦っていた。
しかし彼女自身が気付き、彼女の中で俺は人間であり、かつモンスターであるとなった。
であるならば、彼女にはモンスター兼人間であることに対するAIなど備わっていないのだから、これまでにない行動を取ることも一応納得はできる。
(あるいは、俺に用意された完全なイレギュラーなのか……)
最近はより思うようになりはじめた最悪の想像を頭からかき消す。
こんなことを考えている間にも、クイーンの刃は俺の体を捉えようと縦横無尽に襲い掛かってくる。
竜乃のドラゴンブレスや、望月ちゃんの雷の魔法。
望月ちゃんの攻撃はそもそも食らっていないようだが、竜乃のブレスを受け止めながら、よくもまあここまで苛烈な攻撃が出来るものだ。
そんな攻撃を、俺は避け、防げている。
もはやこれまでの予習は意味をなさない。今俺がクイーンと戦えているのは、純粋な元探索者としての経験だ。
『まったく、人のように避けるものよ!』
『うる……せえ!』
体内から紫電を発し、放電のように四方八方に放つ。
これまでとは違い、量の多い電流。
『効かんわ』
当たるとまずいことは理解しているのか、しっかりと視て避けてくる。
一方向に放たれた電流ならばともかく、ただ放電しただけならば対応は容易という事か。
クイーンは左手を上げ、竜乃のドラゴンブレスも先ほどのように。
『なっ!?』
その左手に紫の電流が走り、思わず手を引いた。
先ほど放った放電の一部がドラゴンブレスに当たって運ばれ、そのままクイーンの左手で弾けたのだ。
思ってもみなかったであろう攻撃にクイーンは驚いたが、俺はそうではない。
こうなるように、仕組んだのだから。
『もらった!!』
クイーンが痺れる前から動いていた俺は、右の前脚に全ての力を集中させて振り抜く。
あの無垢の白球すら一撃で葬り去った、今の俺に出来る最大の一撃。
いくら中層ボスのクイーンとはいえ、受ければただでは済まない強力な一撃が、入った。
紫に輝く爪で力の限り斬り裂いたために、クイーンは吹き飛ばされ、壁に激突した。
土煙の上がる壁を、じっと睨みつける。
『っ……』
痛みに視線を落としてみれば、右の前脚を黒い炎が包んでいた。
その炎は目線を向けると消えたが、今もじわじわと痛みが続いている。
だが、こうするしかなかった。
今のクイーンを相手に、紫電の刃で直接攻撃をするという手段は選んでいられない。
俺が多少ダメージを受けたとしても、奴に大きなダメージを与えることが重要だ。
代償として、同じ攻撃はもう出来なくなったが。
『くっそ……』
忌々しく吐き捨てれば、大きな音を立てて瓦礫が吹き飛んだ。
今も立ち込める煙の中から、一人の影が出てくる。
ゆったりとした動きは歩いているのではなく、ふらついているようだ。
クイーンは体中がボロボロになり、右の側頭部からは出血して黒髪が赤黒くなっていた。
もっと酷いのは左のわき腹で、俺の爪による一撃で今も血が流れている。
ダメージとしては多大なのは間違いない。
しかし、防御に特化した無垢の白球を倒した一撃から考えると、やや足りないように見受けられる。
その理由も、俺は分かっている。
『あの状態で防げるのか!?』
右の前脚に今も残る確かな違和感。あの時、俺の一撃は防がれていた。
クイーンが右手に持つ、柄が少し曲がってしまった鎌によって。
あろうことか、あの一瞬でクイーンは右手を動かして鎌で爪を防いだのだ。
なんという反応速度か。
(防御力はあの白球より高くはない。でも、総合力はこっちの方が上。けど!)
苦しそうに息を吐くクイーンからは余裕は感じられない。
防がれたことには驚きだが、それでも十分すぎる程の傷を残せはした。
『はぁ……はぁ……くくくっ……トカゲの攻撃など代わり映え無く、品もないと感じていたが……なるほど、貴様が利用するとなると煌めいたな。褒めて進ぜよう、虎太郎』
『……嬉しくねえよ』
睨みつけたままで返答したが、クイーンは依然として笑みを携えたままだ。
『……生まれて初めて頭を下げよう。妾は貴様を明確な敵とみなしておきながら、力を抜いた。許しておくれ? 虎太郎!』
目を見開き、大きな声で俺を呼んだ瞬間に風が吹いた。
強風であるが、そのどれにも黒い何かが混じっている。
強い風に目を背けそうになるが、薄めでも奴を見続けた。
紫色の闇に身を包んだ、奴を。
背中には黒い炎に包まれた1対の翼。
全身を包むのはおびただしい量の闇。
曲がったはずの鎌の柄はどこにも歪みが見受けられない。
奴の右側頭部は出血が止まるどころか、これまで出ていた血すらも消え去っている。
そして俺の爪が多大なダメージを与えた左のわき腹に関しては完全に元通りになっていた。
しかしクイーンの全てが最初に戻ったというわけではないのか、やや呼吸が荒い。
『こっからが、本番だな……』
疲れてはいるが、逆に言えばそれだけでクイーンは持ち直した。
今回は第二形態に移行したという事で、流石に同じことはもう出来ないだろう。
だが俺としても、もう一度同じ一撃を繰り出すにはまだ時間がかかる。
一体どうやってこの女を沈めるか……そのビジョンがまだ見えていなかった。