第53話 審判の刻
世界で確認されている3体のTier0モンスター。
その中でもっとも有名なものが目の前にいる。
“なに……これ?”
“なんか見たことないやつ来た”
“下層の雰囲気に全然合ってないだろ”
“ユニークモンスター?”
コメント欄もざわついているが、この球体の正体に気づいた視聴者はまだ居ないようだ。
ダンジョンの一番下の層でユニークモンスターは登場するが、それは必ず一つ上の層のモンスターだ。
だが目の前のモンスターは、このダンジョンどころかどのダンジョンにも定住していない。
“審判の銀球だ”
コメントで、答えが流れる。
そのコメントがすぐに優さんによって固定された。
「審判の……銀球?」
望月ちゃんがいつものようにモンスターチェッカーを取り出し、球体に向ける。
その結果がどうなるか分かっているから、何とも言えない気持ちで見届けるしかなかった。
いつものようにモンスターチェッカーは音を鳴らし。
「……え?」
けれどいつものようには情報を表示しなかったことを、彼女の反応から知った。
「……データが……見えない……」
当たり前だ。Tier0モンスターはそれぞれが独立したモンスターで、ダンジョンモンスターのように他のモンスター情報を参照に強さを測定できない。
また、目の前の球体は倒されたことがないので、情報などあるわけがない。
審判の銀球は正式名称ではない。
世界中で確認されたこの球体に対して、探索者が勝手につけた俗称だ。
“Tier0……ってことか”
“それってあれだろ? 流石に知ってるぞ。めちゃくちゃ強いモンスターだろ?”
“強いなんてもんじゃない。今まで倒せたTier0なんて1体しか居ない”
“しかもそれが出来たのアメリカの世界1位探索者だけだろ!?”
「に……逃げなきゃ……竜乃ちゃん、虎太郎く――」
取り乱し、逃げようとする望月ちゃんの元に素早く移動し、その背中を頭で押す。
逃げたいという気持ちはある。今すぐこの場から逃れたい。
けれど、それはできない。
“こいつが出た段階で、逃げるのは無理だ”
“もう祈るしかない”
“頼む。せめて……せめて偶数になってくれ!”
“なにを言っているんだ?”
“誰か詳しく説明してくれ!”
「……逃げ……られないんだね」
振り返った望月ちゃんが俺の目を見る。
さっきまで焦っていた表情が、ゆっくりと引き締まっていく。
けれどその手は、震えていた。
鐘の鳴る音が響き渡る。
その音を出しているのは球体だ。球体のどこにも鐘などないのに、音が響いている。
『なに!? なにが始まるの!?』
焦ったように叫び、目の前の球体を警戒する竜乃に、俺は答えを告げる
『……審判だ』
銀の球体。
その前面が揺らぎ、円形の光盤が出現する。
どう見ても現実世界のものではないダンジョン産の円盤は、時計のようにも見える。
しかし、刻まれている数字は1~14までのローマ数字。
それらの数字は順番ではなく、完全にランダムに配置されている。
Ⅰの右にⅥが、さらにその斜め右下にⅨがある。
配置はランダムだが、時計回りに見ると必ず偶数と奇数が順に描かれていた。
そしてたった一本のぐにゃりと波打った針がⅠを指している。
響く鐘の中で、針がゆっくりと回転を始める。
(頼む……せめて偶数であってくれ)
目を瞑り、神にもすがる思いで祈りを捧げるしかできない。
もしも針が奇数を指したら、終わりだ。
“この回転する針が奇数番号を指したら、この球体と戦うことになる。
今までこの球体と戦って生き残った探索者は……一人もいない”
Tier0と戦闘をするという事がどれだけ無謀なことであるのか、探索者であれば徹底的に教え込まれることだ。
それでもアメリカに居る世界1位の探索者がTier0を倒したことで、心のどこかできっとみんな思ってる。
実はTier0は大したことないのではないかと。
――冗談じゃない
相対してみれば分かる。
元探索者だった時に出会った黒い化け物も、目の前の銀の球体も人類が勝てる相手ではない。
もしも針が奇数を指してあの銀球と戦うなら、俺達は確実に死ぬ。
“頼む!頼む!”
“偶数!偶数!偶数!偶数!”
“ふざけんな! なんでこんなところにTier0出てくるんだよ! おかしいだろ!”
“おい……おい、本当に頼むって!”
回転する針のスピードが遅くなるにつれてコメントが阿鼻叫喚の嵐に包まれる。
その流れを見ながら、このモンスターに「審判」という言葉がつけられた意味が分かった気がした。
けれど、当事者である俺達は取り乱すこともなくただ球体を見つめる。
審判を待ち続ける。
望月ちゃんが苦しそうに息を吸うのが、聞こえた。
(止まる)
針の速度が遅くなり、目で十分に追えるほどの速度になる。
やがて時計の秒針のように1秒に1刻みに変化し、その間隔もどんどん長くなっていく。
奇数、偶数、奇数……そして偶数……次に奇数
針はなかなか止まらないが、俺達の中の緊張感はどんどん増していく。
この銀の球体は思った以上に性格が悪いらしい。
どうせなら、早く決めて欲しいと思うくらい――
針が、止まる。偶数のⅥを指し、そしてそこからじっくりと5秒後に「奇数」のⅪを指した。
突如、鐘の音が大きくなる。耳を塞ぎたくなるほどの音量。
球体の放つ光が増し、俺達が終わったことを理解する。
心の奥底から恐怖があふれ出すがすぐに押さえ込んだ。
(命を投げ捨ててでも、望月ちゃんと竜乃を何とか逃がす方法を考え――)
轟音。
先ほどでも大きな鐘の音が響いていたのに、今度は頭ごと揺らすような音が聞こえてくる。
いや、これは耳が聞いているのではなく頭に響き渡っているのだろう。
けれど顔を顰め、歪む視界の中で俺は確かに見た。
針が勢いよく動き、ⅪからⅣへと動くのを。
そう。「偶数の」Ⅳだ。
鐘の音が小さくなっていくのに合わせて、銀球の前に光が集まり始める。
ゆっくりと形を成したのは、銀球よりも3回りほど小さな白い球体だった。
銀球とは違い、2つの光の帯が周囲を回っている白い球体。
それだけを残して、審判の銀球は姿をぼかしながら蜃気楼のように消えていく。
まるでそんなモンスターは最初から居なかったと言わんばかりに、掻き消えてしまった。
いや、居た証拠はまだ目の前にあるのだが。
“たす……かった?”
“偶数だったよな? 偶数だったんだよな!?”
“マジで……本当にダメだと思った”
“奇数じゃん、オワタと思ったけど、偶数で本当に良かった”
“ほんとまじ……心臓に悪すぎるだろ……”
“あれはなんなん?……偶数だったら助かるんじゃねえの? すっげえ嫌な予感がするんだけど”
“さっきの審判の銀球に似てるんだけど。同じように消えてくれ……”
安心するコメントの中には、目の前の白球を不安視する声も多い。
そして、その不安は正しい。最悪の展開は避けられた。けれどまだ悪い状況であることに変わりはない。
ついさっき聞いた機械音が響く。
望月ちゃんが、モンスターチェッカーを使用したのだ。
この状況でも冷静にするべきことをできる胆力を身に着けていたことに、この危機的な状況ながら素直に感心した。
「……無垢の白球……強さは、Tier1ダンジョン上層から中層くらい……ですね」
審判の銀球が奇数を示した場合は、探索者は死ぬしかない。
だが偶数の数字を示した場合、審判の銀球は姿を消し、無垢の白球というモンスターが出現する。
こちらのモンスターは審判の銀球の下位モンスターと考えられているが、その強さはTier1ダンジョンに挑む探索者が何とか倒せるほどとなっている。
つまり、一般的な探索者が審判の銀球と接触した場合、数字が奇数を指そうが偶数を指そうが死ぬことになる。
現に審判の銀球からこれまでに生き残った人数は、これまで遭遇した人数の1割程度ではないかと言われている。
“Tier1上層って、ここより上だよな?”
“勝てるのか? いや、虎太郎の旦那ならワンチャン……”
“時間稼いでTier1ダンジョンの探索者に助けてもらった方が……”
“時間稼ぎが出来るような相手じゃないだろ。それに東京のTier1から来てもらっても時間がかかりすぎるぞ”
“頼む旦那!せっかく偶数を引いたんだ、勝ってくれ!”
“モッチー、竜乃ちゃん、虎太郎の旦那、頑張れ!”
言われるまでもない。
どうせ無垢の白球も審判の銀球と同じく逃げることを許してはくれない。
今ここで、このTier0の残した物を倒さなければ明日はない。
(まだ望月ちゃんの楽しみにしてた公式配信もまだなんだ。死んでたまるかよ)
それに絶望ばかりというわけではない。
こいつを倒せるかもしれないという希望も、気休め程度かもしれないがあるのだ。
望月ちゃんと竜乃を護るように、俺は前に出る。
無機質な白球に、特に動きはなかった。
ただ光の帯が一定のスピードで回転しているだけだ。