第25話 VS Tier2ダンジョン上層ボス
行く手を塞ぐ、黒く重々しい雰囲気の扉。
どれだけ探索の経験を積もうとも、初めてこの部屋に挑むときの緊張感は慣れないものだ。
(……とはいえ、実力的にはこちらの方が上。勝率はほぼ100%と言っていい)
実力的にも、情報的にも十分なはずだ。
今の俺達にとって、この上層のボスは通過点に過ぎない。
「……じゃあ、開けるね」
固唾を飲んだ望月ちゃんが、震える手で扉に手をかける。
声音も、態度も、緊張を物語っている。
探索者が触れ、押すことで扉は開く。
その階層を統べる、同階層のどのモンスターよりも強いボスが待ち構える空間への入り口が、俺達を招き入れる。
その先が越えられる試練になるのか、それとも越えられない地獄になるのかは挑戦者次第だ。
「……おっきぃ」
部屋の広さを知って、望月ちゃんは感嘆するような声を出した。
彼女はTier2ダンジョンに挑むのは初めてだと言っていたために、Tier3ダンジョンよりも広いボス部屋に驚いているようだった。
ダンジョンは階層を越えるだけで大きく異なるが、Tierが変わることでも劇的な変化が起こる。
Tier3のダンジョンとTier2ダンジョンでは、ボス部屋一つとっても広さや高さ、そして雰囲気が別次元だ。
逆に言えば、いよいよもって探索者を拒み、命を奪う場へと変わってくる。
部屋を囲む赤黒い石造りの壁。
そこに掛けられた松明が自ずから、この世ならざる青い火を灯す。
普通の火よりも暗く、重々しい光が、その奥に佇む巨体の鎧を鈍く照らす。
「あれが……アーマー・ベア」
何度も何度も動画で確認した望月ちゃんが拳を強く握った。
見るのと体験するのは違うとはよく聞くが、探索者以上にこの言葉が当てはまるものもないだろう。
望月ちゃんの目には、アーマー・ベアは何倍も大きく映っているに違いない。
けれど。
俺は彼女を護るように前に出る。
望月ちゃんは一人じゃない。俺達で、倒せばいい。
「……竜乃ちゃん、虎太郎君、いくよ!」
放たれた言葉は、緊張感がすっかりと抜け落ち、力強さに満ちていた。
『おう!』
望月ちゃんの言葉に答えるように高らかに吠えあげれば、アーマー・ベアも高く唸り、大剣を勢いよく振る。
重量感のある黒鉄の剣は空気を斬り裂き、俺の耳に届くくらいの音を発した。
同時。
俺と奴は同時に地面を蹴る。
俺は四本足で、奴は二本足で。
軽やかに駆け抜ける軽い足音と、存在を証明するかのように重い足音。
それが部屋に不協和音のように響き渡り、消えたとき。
俺の振るった右前脚の爪と、奴の振り下ろした大剣が激突した。
(……っ、重っ)
耳が痛くなるくらいの高い金属音を響かせながら、ジリジリと拮抗する爪と大剣。
俺が力を入れれば奴も力を入れ、そして。
両者弾かれるような形で後ろへと下がる形になる。
(力はほぼ互角か……けど!)
下がる俺のすぐ上を、火の玉が通り抜ける。
望月ちゃんの魔法によって強化された竜乃の一撃。
俺とアーマー・ベアが離れた時点で打ってくれたのだろう。
だが少しだけ遅かった。地面に着地した奴は、それを空いている手で殴り、かき消した。
自らの右手が焼かれようとも、構わないような行動。
握って、開いてを繰り返し、感触を確認した奴の右手は多少焦げていても大きなダメージは無さそうだった。
(まぁ、ボスだからHPも桁違いだな)
階層ボスはステータスが階層のモンスターよりも高い。
だがその中でもHPに関しては桁違いとまで言われている。
それゆえに長期戦になるパターンがほとんどなのだが、それはあくまでも同レベルの探索者の場合だ。
俺は火の魔法を行使し、背後に炎の剣を多数出現させる。
初級魔法、フレイム・ソード。だが俺の魔力量ならば、普通の探索者の中級魔法ほどの威力を出せる。
『いけ!』
奴が目を見開くのと同時に、射出。
そのうちの一本を奴が右手で弾こうとして、爆発。
怯んだ隙を見逃すはずもなく、火の剣は次々とアーマー・ベアに突き刺さる。
この戦闘が始まって初のダメージ。けれど奴も黙ってやられてはくれない。
大剣を振りかぶり、その場で勢いよく地面に突き刺せば部屋が揺れる。
「岩雪崩、来るよ!」
望月ちゃんの言葉に、分かってると言わんばかりに俺達は行動を開始する。
天井を確認し、落ちてくる石の礫を避けながら、奴に迫る。
「竜乃ちゃん!」
(!!??)
そんな俺の真横を、竜乃のブレスが通り過ぎた。
なぜこの岩雪崩の中で放てるのか、など思うことはいくつかあるが、背後は確認できない。
竜乃ブレスはアーマー・ベアに直撃し、少ないながらもダメージを与えた。
けれどその結果、奴の赤い瞳が俺の背後を捉えた。
おそらくは竜乃ではなく、望月ちゃんを。
(やばっ!)
前衛の重要な仕事はモンスターにダメージを与える他に、後衛に危険が及ばないヘイト管理にある。
けれど今のは、完全に奴を怒らせた。
これまで前に出ていた俺ではなく、俺達の行動を阻害するための岩雪崩中に妨害してきた竜乃を、そしてその指示を出した望月ちゃんに怒りを向けたのがはっきりと分かった。
雄たけび、そして突進。
凶暴化した熊は手が付けられないというのを見たことがあるが、今の奴はまさにそれだ。
鎧の音を鈍く響かせながら、一直線に望月ちゃん目がけて走ってくる。
奴の巨体で激突されたら、奴の大剣で薙ぎ払われたら。
いくらレベルの上がった今の望月ちゃんでも死ぬ。
『お前の相手は、俺だ!』
咆哮し、すぐさま雷の魔法を準備する。
けれど声を上げるだけでは、アーマー・ベアは視線を俺に向けない。
(なら、向けさせてやるよ!)
体を素早く動かし、奴と望月ちゃんの間に体を滑り込ませる。
目の前に俺が居るにもかかわらず、それでも奴はまだ俺の向こうに居る望月ちゃんを幻視しているようだった。
『俺を……見ろ!』
叫びと共に、轟音。奴の頭に雷が落ちる。
あのスールズ達に大ダメージを与えた雷の中級魔法、ボルテックス。
あの時よりも強くなったことにより準備時間は減り、威力は上がった雷は、奴の歩みを止めるには十分だった。
視線が、交差する。ついに奴は、俺を視認した。
そして怒りはそのままに、自分にとって最大の敵が誰であるかを思い出したようだ。
いや、思い出させてやったのだ。
『竜乃! 奴の右手を封じろ!』
望月ちゃんと俺達の距離は近い。今ここでやらなければならない。
俺は竜乃に叫び、奴の首筋目がけて飛び掛かった。
(くそっ、鎧が邪魔だ!)
硬い金属のお陰で爪は食い込まないし、ヘルムと鎧のせいで噛みつきにくい。
けれどそれでも、歯を突き立てることはできた。
スールズのように深々とはいかないが、それでも十分だ。
体の痺れから回復したアーマー・ベアは首の痛みに暴れはじめる。
俺を引きはがすために、空いている手を動かすのが見えたが、その瞬間に竜乃の火が右手を焼いた。
(ナイスだ! 竜乃!)
鎧とヘルムが頭に当たり痛みを訴えるが、口は決して離さない。
不愉快な血の味に耐えているんだ。これくらいの痛みで逃してたまるものか。
「虎太郎君! 虎太郎君!」
悲痛な叫びと共に温かい光が俺を包む。
痛みが少し和らぐ。それよりもこのくそ不味い血の味を何とかしてほしかったのだが、それは無理というものだろう。
(っ!?)
頭に衝撃が走り、しばらくしてから岩の礫が直撃したことを知った。
痛みはそこまでではないものの、右目に血が入り、開いていられなくなる。
「竜乃ちゃん! お願い! 虎太郎君を……虎太郎君を!」
『虎太郎、待ってなさい、すぐに仕留めるからね!』
望月ちゃんの魔法が、竜乃の火が、奴を終わりへと追い詰めていく。
そのどれもが俺に当たらないように注意されていることを感じて、より顎に力が入った。
(終わりだ、アーマー・ベア)
俺の牙がさらに深くアーマー・ベアの首に入り込み、肉を斬り裂く。
それと同時に望月ちゃんの風の魔法が鎧の隙間を上手く捉えて深く胴体を斬り裂き、竜乃のブレスが右足を焼き尽くした。
耳元に聞こえていた深く、興奮したような息遣いが一瞬止まった。
再開された呼吸は浅く、小さく、そして。
重力に従うかのように、俺は倒れ込んだ。
奴の上に倒れ込んでも、牙は決して離さなかった。
右耳に、奴の呼吸が聞こえる。
小さく、細くなっていく息遣い。やがてそれは褪せていき、無くなった。
(終わった……な)
体の熱を感じながら口を離し、奴の体の上から退いた瞬間。
「虎太郎君!」
背後からの強い衝撃に、俺は思わず伏せの態勢を取ることになった。
「虎太郎君、ごめん! ごめんね! 私が……私が間違えたから……こんなことに……」
必死に謝罪の言葉を紡ぎながら、強く強く抱きしめてくる望月ちゃん。
そんな彼女に対して何もするわけでもなく、俺はじっと彼女を受け止めていた。
(まぁ……よくあることだしな)
命のやり取りをするダンジョンで、予想外の行動を取るのは珍しい話ではない。
それが格上のボス戦ともなれば、取り乱したことのない探索者の方が珍しいだろう。
探索者だった頃も、パーティの後衛達にどれだけ迷惑を掛けられ、そして俺自身かけたことか。
だが、そういった関係性こそがパーティなのだ。
それは今の俺達だって同じことだ。
結果として全員無事で勝利すれば円満解決、というのも同じことだ。
(まぁ、勝ててしかも望月ちゃんに抱きしめられるなら、安いもんだ)
上層ボス、アーマー・ベア。
やや苦戦する場面もあったものの、終わってみてそんなことを考えられるなんて。
やはり通過点に過ぎなかったなと、内心で思った。