第211話 君と一緒に、今まで戦ってきたから
さらに成長した虎太郎は望月とのテイムの絆を自ら切った。
そんなこと、しなくてよかったのに。
私が苦しんだから、彼は私を助けるために自分を捨てたんだ。
結局は自分が弱かったから。いつまで経っても、自分が弱いから。
そんな思いが心の中を駆け回るけれど、望月にはもうどうしようもない。
彼女に出来るのは彼の最後の一撃を、涙を流して見るだけ。
黒と紫で彩られた光は色に関わらず、なぜか温かい感じがした。
(あぁ……虎太郎君だ……)
その光は憎い仇の黒雷を吸収した。
もう悲しまなくていいと、怒りを抱かなくていいと、そう言ってくれているようだった。
(虎太郎……くん……)
光は敵を飲み込み、はるか遠くへと飛んでいく。
望月と竜乃を苦しめた存在を、消してくれる。
私達のために、彼は自分を犠牲にしてでも敵を滅ぼしてくれた。
「なん……で……」
望月はただ竜乃と虎太郎と一緒に居たかった。
幼い頃に父を亡くした彼女にとって虎太郎は兄のような存在だったし、竜乃も姉のような存在だった。
ただ三人で、ずっと穏やかに生きたかっただけなのに、それすら叶わないのか。
虎太郎を犠牲にして自分達が救われても、喜べはしない。
けれどそれは同時に竜乃を犠牲にしても同じこと。そして望月自身を犠牲にしても同じことだ。
結局のところ、「誰も犠牲にしない」選択肢を取る力のない自分が一番悪いのだと、望月は分かっていた。分かっていたけど。
「こ……たろう……くん……」
認められるわけがない。こんな終わりなど。
それなら、それなら今からでもテイムの絆を結べばいい。
深層ボスの戦いの後は出来た。なら今回だって出来る筈だ。
また三人で、一緒に。
「…………あぁ」
そう思ったところで振り返ってくれた虎太郎を見て、力ない声が望月から漏れた。
さっきまでは希望に満ちていたのに、まだ希望があったのに。
もう何もなかった。
振り返った虎太郎は、もう虎太郎ではなくなっていたから。
瞳にはいつもの聡明で、それでいて優しく、こちらを想ってくれるような感情はない。
それどころか色も全く違い、表情もまるで別物。
長い付き合いの望月にはよく分かる。あれは獣に落ちた虎太郎ではない。
あの獣の中に虎太郎はいない。きっと彼は、もう。
「……は……はは……」
乾いた笑みが漏れ、立ち上がっていたにもかかわらず膝から崩れ落ちる。
一筋の涙が頬を伝った。
もう、虎太郎君を助けられない。
そう思ってしまったのが読み取られたのか、漆黒の獣は地面を蹴って襲い掛かってくる。
死が、近づく。けれどそれすらもう望月はどうでも良くて。目を瞑って。
『HooooOOOO!!』
急に割って入った影に、予想外の攻撃だったのか、目の前の死は遠ざけられた。
「竜乃……ちゃん……?」
望月の目の前で、竜乃が飛んでいた。
ある程度傷は癒えたものの、まだ病み上がりの竜乃が獣を弾いたようだ。
『HooOO! HooOO!? Hoooooo!! Hoo!! Hoo!! HooooOOO!!』
何かを訴えるように絶えず鳴き声を発する竜乃を見て、望月は竜乃が虎太郎に呼びかけているのだと気づいた。
もうあの獣の中に虎太郎は居ないのに、竜乃は懸命に叫んでいる。
『Hoo! HooOO! Hoo!』
次に望月の方を見て叫ぶ竜乃。彼女の言いたいことを読み取って、望月は小さく声を漏らした。
「虎太郎君と……戦うの……?」
状況を知った竜乃は、虎太郎を救い出すために彼と戦うつもりだ。
けれど望月は急に言われても心が決まらなかった。
虎太郎と戦うのは嫌という気持ちも大きい。
けれどそれと同じくらいにもう一つ、不安がある。
今まで支えられてきた彼と戦って勝つことが出来る未来が、どうしても思い浮かばなかった。
『Hoo……Hooo! Hoooo!!』
「……竜乃ちゃん」
視線を交差させ、竜乃と心で会話をする。
自分のテイムモンスターは諦めていない。それなら自分だって、諦めるわけではない。
望月の中で、湧き上がってくる。それは望月の中の不安を少しずつ塗りつぶしていく。
完全に消えなくても向き合うには十分なほどの勇気が、満ちていく。
「……うん」
竜乃に様々な支援魔法をかけて、望月は立ち上がる。
「戦う……虎太郎君と、戦う。虎太郎君を……取り戻すために……」
取り返せるかどうかなんてわからない。けどやれるだけやるしかないと、望月は教わった。
他ならぬ目の前の彼から、教わった。だから。
「竜乃ちゃん! お願い!」
『Hoo!!』
ありったけを竜乃に乗せて、望月は虎太郎と戦う。
支援を受けた竜乃はさらに力を増す。テイムモンスターの中でも最強クラスの彼女は望月のシークレットスキルでさらに力を増し、紫のブレスを放つ。
Tier1ダンジョンでも十分通用する、ほとんどのモンスターを焼き殺すほどの威力のブレス。
まさに最上位探索者に相応しいだけの力を、望月と竜乃は発揮することが出来ていた。
けれど、相手が悪すぎた。
獣はステップを踏み、左に飛ぶことで紫のブレスを避ける。
後ろ足を曲げて勢いをつけて、跳躍。垂直に飛び上がった獣は、空中を足場にして力の限りに蹴った。
どれも、虎太郎が出来たのと同じ芸当だった。
獣が右の前脚を動かすのを、かろうじて望月の目は追えた。
もちろん長い付き合いの相棒にだって、それは追えただろう。
『Hoo!』
普通ならば切り裂かれて終わりの強大な一撃。
けれどそれを何度も見てきた竜乃は完璧に避けてみせる。
知っているからこそできる、竜乃にしかできない回避行動だった。
獣はそのまま目標を失い、再び空気中に着地する。追撃はない。ないというよりも、考えていないようだった。
(やっぱり虎太郎君とは違う……戦い方が、そもそもない)
いつもの彼なら魔法を使うことで竜乃に追撃を仕掛けただろう。
そもそも相手が竜乃という段階で、最初の攻撃の仕掛け方すらトリッキーなものになったはずだ。
けれど今の獣はそのどちらもしなかった。
これまで自分達が戦ってきたモンスターと同じ。戦闘を知らない、大きな力を持った獣だ。
勝機を見出すと同時に悲しい気持ちになる。
それはすなわち、あの獣の中にやっぱり虎太郎はもういないということだから。
(ダメだ……余計なことを考えちゃダメ!)
考えを頭から追い出し、望月は集中して力を送る。
自分と竜乃の全力を常に出しきってもあの獣に勝てるかどうかは分からない。
少しでも心を乱すことは敗北の要因だ。
空中で対峙する漆黒の巨獣と純白の竜。
漆黒の獣の体がさらに黒く光り、その光が消える。
虎太郎の必殺技、黒雷を発動したのだと望月は気づいた。
そしてもちろん竜乃も気づいていた。だから上から降り注ぐ漆黒の雷を避けるために、その場を猛スピードで離れた。
離れたのに。
『Hoo!?』
これまでとは大きさの違う漆黒の雷撃が天から降り注いだ。
降り注ぐ事すら速くなった雷が竜乃の翼を掠り、予想外のダメージに竜乃は声を上げる。
そしてその隙を獣は見逃さなかった。
空気を蹴って竜乃へと迫る獣。望月は咄嗟に手を伸ばして援護しようとした。
これまで竜乃が虎太郎にしていたように、雷の魔法をもって竜乃を助けようとして。
「っ……」
その手を引っ込め、さらに支援魔法をかけることを選択した。
同時に回復魔法もかけて竜乃に最大限の援護をする。
結果としてそれは正解だった。
傷をすぐに治した竜乃は獣の接近に気づき、身を翻してひっかきを避ける。
振り返ってさらに襲い掛かってきた獣を紫のブレスで迎撃するところまでやるのだから、白い竜は黒い獣について熟知していると言わざるを得ない。
「…………」
歯がゆかった。望月はあの時、魔法での援護を辞めた。
あの戦いに手を出せる程、自分は強くないとよく分かっていた。思い知らされていた。
戦いの流れで見たときに望月の選択は正解だったが、彼女の心は悔しさに満ちていた。
(まずい……)
戦いの問題はまた別にある。竜乃と獣は対等に戦いが出来ているように見える。
だがそれは竜乃が虎太郎とこれまで共に戦ってきたからである。
実際には竜乃は獣の攻撃を避け続けているだけで、竜乃の攻撃は獣に大したダメージを与えられていない。
このままでは先ほどの虎太郎と仇の戦いと一緒だ。
もしも竜乃が一手間違えて攻撃を受ければ、彼女はすぐに殺されてしまうだろう。
針に糸を通すほど繊細な回避をずっと繰り返せるわけがない。
なんとかしなければと力を送りつつも打開案を考えて考えて。
それでも強大な力の前に思いつける策はなく、それでも何かないかと考えたときに。
「……すごい」
目の前の光景を見て、望月は声を漏らしていた。
どれだけ長いこと考えていたのか分からない。けれど上空では、獣と竜の乱舞が続いていた。
もう数えきれないほど彼らは攻撃を繰り返している。
爪や黒雷、ブレスや風の刃が行き来した数でさえ数えきれないのだ。
にもかかわらず、竜乃はまだ舞っている。
大きな一撃を受けることなく、戦い続けている。
虎太郎にすらできなかったことが竜乃に出来ている理由など一つしかない。
相手が虎太郎だからだ。そうでなければもう竜乃は地に伏している。
それがはっきりと分かるくらいの彼女の神技だった。
(でも……状況は好転しない。なにか……なにかしないと……)
竜乃の頑張りに触発させて望月は考えを巡らせる。
その時だった。獣と目が合ったのは。
弾が込められ、弾丸が回る音を聞いた気がした。
その場から退避したのは勘だった。
けれど彼の、虎太郎のスピードならば距離など一瞬で詰めてくると知っていた。
全くの獣の不意打ち。竜乃相手では埒が明かないと考えたのか。
はたまた、たまたま目が合ったから倒そうと思ったのか。
上空にいた獣は紫電を使用して一気に望月に近づき、右の前脚を振るおうとしていた。
(私が……どれだけ虎太郎君のそれを見たと思ってるの!!)
心の中で叫び、完全な回避行動を取る。
虎太郎と戦って彼の癖を知っていたのは竜乃だけではない。
飼い主である望月もまた、それを知っていた。
何度も見返したからこそ、脳に焼き付けていたからこそ避けられる。
爪の軌道を完全に読んだ、見事な回避。
けれど望月はそれをする必要はなかったのかもしれない。
だって彼女と獣の間に、割り込む影があったから。
「キミは……誰に牙を剥いているの?」
紫電でコーティングされた爪を防ぐ水晶の剣。
小さな背中にも関わらず、望月は彼女を見て虎太郎と同じくらいの安心を感じた。
日本最強の探索者、氷堂心愛が駆けつけた。




