第208話 怒りを抑えて、穏やかな未来のために
手足が、ようやく動き始める。
態勢を整えて立ち上がろうと力を入れれば、それだけで呻くような痛みが体中に走った。
それを堪えながらなんとか立ち上がり、一歩、また一歩と歩き始める。
痛みと疲労で朦朧とする視界で、唯一鮮明に映る望月ちゃんの元へと歩く。
ようやくたどり着いたとき、望月ちゃんは気絶していたが、生きてはいた。
上下に動く胸を見てまだ息があることを確認し、頭で彼女の頭を擦りつけるように押す。
起きてくれ、目を覚ましてくれという念が通じたのか、彼女はゆっくりと目を開いた。
「ん……んん? 虎太郎……くん? ――痛っ!」
体を動かそうとして激痛が走ったのか、辛そうに顔を顰める望月ちゃん。
そんな彼女を見て、俺は咄嗟に右の前脚で彼女の肩に触れ、動きを制していた。
回復魔法が使えるのは彼女だけなので、先に彼女自身を回復してもらおうと思ったのだが。
「たいっ……へんっ……」
痛みに細まった瞼の間からボロボロの俺の姿を見たのか、痛みを気合でねじ伏せて手を伸ばす望月ちゃん。
彼女の手が触れた場所から、温かいものが流れ込んできて体を楽にしてくれる。
さっきあのTier0から受けた傷が治り始めるだけでなく、同時に支援魔法もかけてくれているのか、体が軽くなっていく。
望月ちゃんのシークレットスキルのくれる恩恵がここまで大きいことを、俺は改めて思い知らされた。
『望月ちゃん……望月ちゃんも回復しないと……』
「そう……だね……」
ある程度回復し終えたところで声をかければ、意図をくみ取ってくれたのか、望月ちゃんは自分にも回復魔法をかけ始めた。
次第に傷が治っていくものの、その表情は晴れない。
ふと治療の途中で、彼女は辺りを見渡した。
望月ちゃんが誰を探しているのか気づいたものの、俺は何も言えなかった。
「竜乃……ちゃんは?……」
縋るような目で俺を見る望月ちゃん。
俺が出来たのは首を横に振って、地面を首で指し示すだけだった。
「……嘘」
俺の伝え方が悪かったのか、そう力なく呟いた望月ちゃん。
彼女が勘違いしたと思い、俺は首を横に振る。竜乃はまだ、死んでいない。
するとハッとした様子で望月ちゃんは自分の胸に手を当てて、目を瞑る。
「……そっか、竜乃ちゃんは連れて行かれちゃったんだ。
下の方から竜乃ちゃんとの繋がりを感じる……大丈夫、竜乃ちゃんは、まだ生きてる。
まだ、まだ間に合うんだね」
ブンブンっと首が取れそうなほど頷けば、望月ちゃんは微笑んだ。
しかしすぐに彼女は奥歯を噛みしめ、悔しそうな表情をした。
ある程度自分の傷を治したからなのか、治療の途中なのにもかかわらず、彼女は俺に再び回復魔法をかける。
「……ねえ虎太郎君、さっきの地獄からの呼び声だけど……あいつ、パパの黒雷を使ったんだ。
何度も何度も見たから、間違いないよ。でも、それって……パパはもうこの世には居なくて、あいつに……殺されたってことなんだよね?」
『…………』
言葉は発せられなかったけれど、それが答えだった。
あいつは俺の本能が最後のTier0、地獄からの呼び声だと訴えていて、これまでに殺した探索者のシークレットスキルが使える。
そんな奴が望月ちゃんのお父さんの黒雷を使ったということは、彼女のお父さんは、もう。
黙るしかない俺に対して、望月ちゃんは静かに首を横に振った。
「いいんだ。分かってたことだから。
でも、さっき私は冷静でいられなかった。パパの仇であるあいつを見て、許せなかった。
自分がおかしくなるくらいに心が変になって……私が私じゃないみたいで……そんな私のせいで、虎太郎君も多分、そうなったんじゃないかなって……」
俺の手を取って、望月ちゃんは両手で強く握る。
痛いほど強く握るその様子は、まるで彼女が縋っているかのようだった。
「竜乃ちゃんは絶対に取り返す……絶対に……でも、でもまたあいつと出会ったときに、私は私でいられる自信がない……きっとまた、怒りに任せて戦っちゃうかもしれない。
私……分かんないよ……助けに行かないと竜乃ちゃんは死んじゃう……でも助けに行っても、私がさっきみたいな感じだと、勝てるかも分からない……でも助けに行かない選択肢なんてなくて、でも自分の怒りを抑えられる自信もなくて……どうすれば……いいの?」
真正面から望月ちゃんと向き合う。
彼女の表情は困惑の色に染まっていて、瞳は迷いに揺れていた。
助けてと、彼女の全てが叫んでいた。
(望月ちゃん……)
今この場に、頼れる相棒はいない。
だから彼女は俺に助けを求めるしかない。
そして虎太郎として、俺として、答えられるのは一つしかない。
この姿になってからずっと、いつだって俺は彼女のために生きてきたのだから。
『望月ちゃん……君の気持ちが分かるとは言わない。あいつを恨む気持ちがそう簡単に消えないのも分かる。でも望月ちゃん、望月ちゃんが欲しいのは復讐なのか?
それよりも大事な、竜乃との……テイムモンスターとの幸せな日々こそが、君が欲しいものじゃないのか?』
きっと彼女はもう答えを持っている。
後はそれに気づかせてあげるだけでいいから。だから、ほら。
俺の言葉が理解できない筈の望月ちゃんの瞳が、光を発した。
彼女に、俺の言いたいことが、100%伝わったじゃないか。
『行こう……あいつの待つ場所に。そこであいつを倒して、竜乃を取り返す。
大丈夫、俺が絶対……絶対に勝つから。君の大切なものを、取り返すから』
「でも……でもそれじゃあ虎太郎君がっ……」
彼女の頭の中にはリースの言葉が巡っているだろう。
今度俺とのテイムの絆が切れれば、俺はどこかのダンジョンのモンスターになってしまう、ということが。
それが分かっていたから俺の中にも、もう用意していた言葉はある。
『大丈夫だ。そんなことにはならない。俺があいつを倒して、竜乃を取り返して、それで終わりだよ。また穏やかな日々に戻るだけさ』
「こ……たろうくん……」
まっすぐに望月ちゃんを見つめ、有無を言わさぬように言い聞かせる。
起こるかもしれない俺の危機と、今まさに危機に陥っている竜乃。
そのどちらを取るかなど、考えるまでもない。
だから俺の可能性の危機は極力無視をして、そう全力で伝えた。
『竜乃を助けに行こう。俺と望月ちゃんの二人で、今度は絶対にあいつを倒すんだ』
自身の体の傷が完全に癒えたことを確認し、俺は強く吠える。
「……うん」
望月ちゃんは小さく頷き、自身にも回復魔法をかけ始める。
しばらく待てば、彼女の傷も完全に癒え、俺達は再び万全の状態になった。
お互いに同じタイミングで立ち上がり、互いに顔を見合わせる。
『行こう、時間がない。早くあいつの元に行かないと、竜乃が危ない』
「うん、虎太郎君、私全力でサポートするから……だから、竜乃ちゃんを助けて!」
『あぁ、もちろんだ! 行くぞ!』
目指す先は下層。暗闇に包まれた世界の、さらにその奥。
竜乃とあいつが待つ場所に向けて、俺達は駆けだした。
先ほどの激闘があった場所には壊れた配信ドローンと、同じく衝撃で破損して使い物にならなくなった端末が投げ捨てられていた。