第207話 待っているから
地面に力なく打ち付けられ、転がる望月ちゃん。
――な……に……
すーっと、頭が冷えていく。まるで全身の血が凍ったような感覚。
そして目の前の光景が、頭に飛び込んでくる。
『っ!?』
弾かれるように足を動かして望月ちゃんの元へ急げば、体中に痛みが走った。
けれどそれを無視して、必死に彼女の元へ。
『望月ちゃん! 望月ちゃん!』
紫電も黒雷も解除して、彼女に呼びかける。
視界がはっきりとしたことで、望月ちゃんの様子がはっきりと分かる。
頭を打ったのか、気絶しているようだ。
しかも奴からの一撃のせいで一気に体力を持っていかれたらしい。
避けきれなかった左腕は焼け焦げていたし、余波で体中もボロボロだった。
とてもではないが、戦場にいられる状態ではない。
『虎太郎!』
上空に居た竜乃に呼ばれ、俺は彼女の方を向く。
竜乃が俺を見て息を呑むのが、分かった。
『た……つの……どうしよう……望月ちゃんが……望月ちゃんが!』
『落ち着きなさい虎太郎! 理奈はまだ生きてる! でも、こっちはまずいわね……』
竜乃が向いた方に視線を向ければ、遠くで嗤う奴と目が合う。
望月ちゃんをこんな姿にした元凶が、ただ見ているだけ。
まるで俺達なんていつでも殺せると言わんばかりだ。
その姿を見て、悔しさを感じた。さっきまで感じていた強い怒りは、もうどこにもなかった。
『理奈からテイムの力が来ていないわ。この状態であれと戦うのはいくら虎太郎でも厳しい。
でも……逃がしてくれそうにもないわね』
『そう……だな……』
望月ちゃんとはまだ細いテイムの絆で繋がっているが、彼女からの力は一切感じなかった。
竜乃の言う通り、今の俺達は万全の力が出せない状態だ。
仮に出せたとして、あれに敵うかは分からないが。
『虎太郎……二人なら行ける? 勝てなくてもいい、理奈を抱えて逃げるでもいいわ』
『……無理だ』
望月ちゃんなしに、Tier0に勝つ。そのヴィジョンが、どうしても思い描けなかった。
『虎太郎!』
そんな俺を叱責するように、鋭い竜乃の声が飛んだ。
目を見開いて彼女を見れば、口調とは裏腹に彼女は微笑んでいた。
『でも、やるしかない。でしょ?』
『……あぁ』
『あの様子を見るに、あれが使えるのは殺した探索者のシークレットスキルだけ。
それなら私の蒼い炎だって、虎太郎の黒雷だって使って問題はないわ。
死に物狂いで倒すわよ。虎太郎』
竜乃の言葉に頷き、俺は大きく息を吐く。
(そうだ、心を決めろ。望月ちゃんがこの状態じゃ、ここで勝たなきゃ俺達はみんな死ぬ)
勝たなくてはならない。勝つという以外の意識を捨てろ。
そう自分に言い聞かせ、頭の中に5発の弾を込めて、5発分すべて回す。
(ぐっ……体の負担が……デカいな……)
先ほどの戦いの影響か、あるいは奴から受けたダメージか。
5発回しただけで、体から軋むような音と痛みが響いた。
痛みに堪えながら地面を蹴れば、奴が両の腕を二回振るった。
そこから発生して俺に跳んでくるのは、黒い斬撃。
その二つを体を最大限に動かして、右、左とステップを踏むことで避ける。
背後で轟音と岩が崩落する音から、当たればただでは済まなかったようだ。
そして俺は奴の間合いに入る。いや、奴を間合いに入れる。
準備していた魔法を発動させて、後ろ後方に風を射出。
四つの手足の力もフルに使い、斜め後方に飛び上がる。
目線は奴から離さない。武闘家のような構えを取っているので、黒雷はないと判断。
後ろ前脚で空気を足場にして、氷堂の一撃をもって奴を切り裂く。
足を延ばし、勢いよく腕を振り上げ。紫電の弾を込めて同時に回し、さらに黒雷も纏う。
左斜め下に、跳躍。
音をも超えるスピードでの突進を、俺は奴ではなく奴の右隣に行った。
タイミング的に、かつ用意している技の数からまさに仕掛けると思うであろうタイミングで、フェイントを入れた。
そのフェイントすら超高速で、誰にも捉えられはしない。
(ここだっ!)
『竜乃ぉ!!』
叫び声をあげるよりも早いタイミングで、俺の横っ腹を衝撃が襲った。
声をかける必要すらなかったかもしれない。
彼女は俺がフェイントをかけることを、読み取っていてくれたのだから。
俺の紫電と黒雷に、竜乃のブレス。今の俺達が出来る必殺の一撃を爪に乗せて、力の限りに振るう。
氷堂の一撃まで加えた、いくら奴でも当たればただでは済まない攻撃。
それが、奴に当たる前に何かに当たった。
空気に当たっているのに、金属に当たるかのようなキンッという音が響いた。
刹那、奴の姿がブレ、俺の体が衝撃を感じると同時に痛みを訴える。
攻撃を、受けている。目にも見えない速度で、あらゆる方向から切り裂かれている。
奴が目の前に再び現れて初めて、俺はようやく何が起こっているのかを理解した。
(カウンター……技……)
おそらくは剣士の職業系統のシークレットスキルだろう。
攻撃を受けた場合に、強力なカウンター攻撃を返すというもの。
そんな人間にしかできない芸当をしてくるなんて、いくら奴が探索者のシークレットスキルが使えるとはいえ、思いもしなかった。
奴の指が俺の額に触れ、上からの衝撃で俺は地面に叩きつけられた。
地表を走る黒い電流から、真上から黒雷を当てられたことが分かる。
その威力は俺や深層ボスが使用した黒雷よりも高い。
望月ちゃんの援護を受けていない俺では到底出すことも、防ぐことも叶わない威力だった。
(無理……なのか……)
望月ちゃんは倒れ、俺と竜乃が出来る最大火力の攻撃すら奴には届かなかった。
奴は五体満足で大したダメージは負っていない。一方で俺はボロボロで、立ち上がるのも厳しい状況だ。
なによりも奴にはまだまだ手があるだろう。
けど俺達に打てる手はもうない。
(獣になっても勝てないなら……もう……無理か……)
誰かが助けに来てくれるわけでもない。
力に目覚めても、それでも奴には敵わない。正真正銘の、詰み。
目線を動かせば、俺のすぐそばには俺を見下ろす奴の姿。
しかしその顔は笑ってはいない。まるで失望したかのような、そんな目をしていた。
その目を見て悔しさが湧き起こるけど、俺にはもうどうしようもなくて。
俺はお前とは違うんだ、と内心で諦めて。
『虎太郎!』
視界に紫が走り、奴の姿を攫っていった。
突然の事に目を見開き、紫の行く先を見る。
紫の火を纏った竜乃が奴に突っ込んでいた。
いつの間にそんな技を習得したのか、それ自体は今は良い。
(竜乃……ダメだ……)
俺ですら敵わない奴に自分の身ごと突っ込むのは無謀だと、自殺行為だと、そう言いたかった。
けれど口から出たのは言葉ではなく苦しさによる咳だけで。
奴の右手が勢いよく振り上げられ、すぐに振り下ろされる。
真上からの衝撃を受けて竜乃は悲鳴を上げ、地面へと力なく墜ちた。
最後にただ一匹大地に立っていた奴が、自分の足元に転がる竜乃を見て忌々しそうな顔をしている。
(望月ちゃんは俺と奴の戦いに割って入って大けがをした。だから奴が竜乃を許すはずがない!)
最悪の光景が頭を過ぎり、俺は必死に叫ぶ。
『やめっ……やめろ! はぁ……くっ……お前の敵はっ……俺だ!』
そう言いながら体に命令を出して、立ち上がろうとする。
けど体のどの部分もボロボロで、どれだけ動けと命じてもピクリとも動かなかった。
黒雷で痺れているからとか、そういった感じではない。
単純に望月ちゃんの力なしの俺は、今、満身創痍だ。
(くそっ……動けよ! こんなのっ……クイーンの時と同じだろうが! ふざけんな!)
自分自身を叱責し、必死に体を動かそうとしても思うようにはいかない。
心ばかりが焦るばかりで、体がついていかない。
『…………』
視界に映る奴がニヤリと笑った。嫌な予感のする、笑みだった。
目を見開く俺の前で奴は竜乃を踏みつけた。その状態で右手の人差し指を立てる。
ゆっくりと、その指を下に向ける。
何を指しているのか、すぐには分からなかった。
『Gruuuuu……』
うめき声をあげながら、奴は左手で竜乃を抱えた。
体の大きさは竜乃の方が大きいのに、まるで重さを感じさせないような動作だった。
そしてその行動で、分かってしまった。奴が何を言いたいのかを。
竜乃を抱えたままで、奴は俺を一瞥する。
深紅の瞳が、まっすぐに俺を射抜いていた。訴えていた。
【下層の最深部で待つ】
そんな言葉が、聞こえたような気がした。
視線を外し、奴は奥へと消えていく。竜乃を抱えたまま、消えていく。
『待て……待ちやがれっ……』
奴の気持ちは分かる。もう一度、全力の俺と戦いたいということだろう。
それなら竜乃は置いていけ。彼女無しでも俺はお前の元に行く。
だから。
『竜乃を……置いていけ……置いていけよっ……』
だから、俺の大切な相棒を巻き込むな。
そう思うけど体は動かなくて。今の俺はどうしようもなく無力で。
竜乃が気絶から目覚め、俺と目が合う。
彼女はきっと自分が置かれた状況なんて、分かっていない筈だ。
ただ俺を、じっと見ているだけ。
『竜……乃! 竜乃ぉ!』
その目がゆっくりと閉じられる刹那、竜乃の口が動いた。
本当に小さな動きだったのに、読み取れた。
『……待ってるからね』
俺が、何度も竜乃に言ってきた言葉だった。
『竜……乃……』
(絶対……絶対行くから……だからっ……だから少しだけ待ってろ!)
奴と竜乃の姿は消え、後には地に伏した俺達だけが残る。
今、俺達は初めて完全なる敗北を喫した。