第204話 最後のTier0
茨城のTier2ダンジョンに戻ってきたとき、懐かしいと思った。
雄大な自然も、吹き抜ける風も、すべてがあの時のままだったからだ。
けれど、それは中層で感じた懐かしさ。
俺が今居るのは上層で、ここに足を踏み入れるのは本当に久しぶりだ。
植物の少ない岩場は、中層とはうって変わって荒野のような印象を与えてくる。
ここが、俺達の始まりの場所。ここが、俺達が出会った場所。
「懐かしいなぁ……こっちに戻ってきてからは中層にしか居なかったから、
上層に来るのは……それこそ配信を始めたばかりの頃だね」
『しかも虎太郎が居なかったから全然知名度がなかった時代ね』
“俺らの知らない時代か……”
“知ってる人なんて本当に一握りの時代だなぁ”
“下手したら氷堂さんも知らないんじゃね?”
“ココア:肯定。悔しいが、知らない”
“氷堂さんもよく見てるなぁ……”
「あ、氷堂さん、今日のオンライン講義の録画、頑張ってください!」
コメント欄に氷堂がいるのを確認したのか、望月ちゃんは彼女に語り掛けた。
このように知り合いがちょくちょくコメント欄に顔を出しては、簡単に会話をする流れも配信の名物になりつつある。
“ココア:肯定。頑張る”
“てぇてぇ”
“二人が仲良くて、お兄さん感激だよ”
“尊い……やはりこの二人は世界を救う”
“挟まろうとしている男がいたら言ってね。処すから”
“男嫌いのモッチー&裸足で逃げ出すような恐ろしさの氷堂さんで隙は無い”
“挟まれるのは竜乃の姉御と虎太郎の旦那だけ”
“そういうこと”
天元の華の愛花さんや、俺達の元バックアップの優さんが来た時はそうでもないのだが、氷堂が来た時だけコメント欄は少しおかしくなる。
君達、今日も元気だね。
時折コメント欄とそんなやり取りをしながら、望月ちゃんと俺達は奥へと進んでいく。
そうしてしばらく歩けば、見えてくる。
「ここですね」
配信ドローンを操作して画面をONにした望月ちゃん。
彼女の言う通り、そこは何の変哲もない、俺達が出会った場所だった。
“ただの通路”
“分かってたけど、なんもない”
“まあ、モッチーが言うことだからそうだと思ってたけど、本当に何もないww”
“ここが聖地……俺達の聖地、地味じゃね?”
「ここで倒れていた虎太郎君を解放して、すぐそこの……あれですね。
あの茂みに隠したんです。モンスターでしたが、ボロボロで流石に見過ごせなかったのと、
何か分からないんですけど、助けなきゃって思ったんですよね。
でも今思うとどうしてなんだろ? 虎太郎君以外にはそんなこと思ったことないんです」
うーん、と首を傾げて悩む望月ちゃん。
確かに見ていても、彼女の愛情は俺と竜乃に向いていて、モンスターには向かっていない。
ただ初めて会ったときは、俺の目に望月ちゃんが天使だと映るくらいには心配してくれていた。
望月ちゃんは、俺から何かを感じ取ったのだろうか。
「でも、その結果また別の場所で虎太郎君と出会えて、今こうして一緒に居られるので良かったです。あの時の自分を褒めたいくらいですね」
“流石の英断ってやつ”
“そのときから、モッチーは無意識に虎太郎の旦那が大切な人だって気づいていたのかもね。いや、大切な獣か”
“なんかロマンチックでええわぁ”
“普通じゃないモッチーと普通じゃない虎太郎の旦那の出会いの場所にしては普通の場所だと思ったけど、普通じゃないエピソードがあったんやな”
“虎太郎の旦那もモッチーに見つけてもらえて本当に良かったね“
(あの時は本当に……危なかったからなぁ)
下層で目を覚まし、必死に上へ上へと駆け抜け上層まで死に物狂いで上がってきて。
その途中では希望に裏切られ、もう何のために体を動かしているか分からなくなっていた。
けどそんな時に望月ちゃんに出会えたことは、俺にとって幸運以外の何物でもなかった。
もしあのとき、この道を選んでいなければ。
もしあのとき、望月ちゃんがここに来ていなければ。
もしあのとき、俺が途中で走るのを辞めていたら。
今この瞬間は、絶対に訪れなかったのだから。
(――?)
ふと、風を感じた。
ここは中層と違い風など吹かないのに、風を感じた。
ぞくりとするほど、冷たい風だった。
(なん……だ……?)
ゆっくりと振り返る。遠くに、影が見える。
どこか見覚えのある影だ。あれは確か、フランスで審判の銀球を撤退させたときに見たと思った影だろうか?
目を凝らし、もう一度見る。
やっぱり思った通りだった。あの時も思ったが、スールズのような影だ。
(…………)
そして気づいた。気づいた瞬間に、背筋が凍った。
フランスで見た影がどうしてここ、日本で見れるのか。
モンスターはダンジョンごとに異なる。それならば、国ごとにも当然異なる。
同じ影を違う国で見ることは、ありえない。
「あれ? なに……あれ?」
Tier2上層を攻略し終えている望月ちゃんもその見慣れる影に気づき、声を上げる。
彼女が知らないモンスターがこの場にいることなど、ありえないのだ。
だって彼女はこのダンジョンを上層から下層まですべて攻略している。
レベリングも行い、情報も十分すぎる程集めた。
もはやユニークモンスターであろうと、望月ちゃんの知らないこのダンジョンのモンスターは居ない。
つまりここで彼女が知らないモンスターに出会うことは、ありえないのだ。
それに彼女はまだ気づいていないのか、望月ちゃんはモンスターチェッカーを起動して影に向ける。
その瞬間だった。
「っ!?」
重圧が、俺達を襲った。強敵が放つ、独特な威圧感。
つい最近では深層ボスであの化け物が発していたのと同じ、明らかに「違う」感覚。
「……あ」
望月ちゃんがモンスターチェッカーを見て呟くと同時に、俺は彼女に跳びかかった。
遠くにいる影が、腕をあげたからだ。そしてその赤い瞳は、望月ちゃんを見ている気がした。
「Tier0――」
呟きを途中で留められる形で望月ちゃんは体勢を崩し、その場に倒れ込む。
手にしていたモンスターチェッカーが、少しだけ遠くに投げ出された。
その液晶に表示された内容を見て、俺は内心で舌打ちをする。
――
[個体名]???
[強さ]???
[HP]???
[MP]???
・
・
・
――
あの時と、同じだ。けれど姿はあの化け物とは違う。
スールズと似たような姿をした、俺とは違う姿の獣。
本能が叫んでいる。
あいつこそがフランスで俺が見た影であり、深紅の花、審判の銀球に次ぐ最後のTier0。
地獄からの呼び声だと。
×××
『Tier0……』
その呟きが、最後だった。
直後黒い球体が飛来し、ドローンを撃ち抜いたのか、地面に落ちる音を最後に配信は停止した。
Tier0。最後に望月が放った言葉。そしてあの影といい、状況が最悪なのは配信を見ていた氷堂が一番理解していた。
「っ!」
弾かれるように座席を立ち、向かいにある受話器を手にする。
「神宮!今すぐ車を止めて! 今すぐ!」
自分でもこれまで出したことがないほど大きな声。
それを出していることに気づかないほどに、氷堂は取り乱していた。
声を聞いた神宮はすぐに車を止めて、スピーカーで語り掛けてくれる。
『どうかしましたか? まだスタジオまでは距離が――』
「理奈が危ない!彼女のいるダンジョンにTier0が出た!今すぐ茨城のTier2ダンジョンに連絡して、閉鎖して! あとそこまで車を飛ばして!お願い!」
『わ、分かりました!けれどここから茨城まではどう頑張っても時間が――』
「いいから! 早く!」
『は、はい!』
叫び、受話器を置いて息を荒げた状態で、氷堂は再び座席に沈み込む。
手を組み、額に当てて祈るしかできなかった。