第192話 これまでで最も恐ろしかったモノ
じりじりと距離を詰めてくるスールズ達を見ながら、俺は四肢を折り曲げて威嚇しつつ僅かに後ろにさがる。
竜乃のブレスで敵を分断できないなら、必然的に俺とスールズ達の戦いになる。
これだけでも状況は悪いが、俺の背後には望月ちゃんが居る。
彼女に危害が及ぶのはダメなのももちろんの事、彼女がやられれば俺達への支援も無くなる。
(なるべく俺に引きつけて、時間を稼ぐか……)
なんとかして状況を打開する方法を思いつくために、俺は思考の半分をそちらに割いて床を蹴る。
挑発の意味も込めて先に倒したスールズの死骸を踏みつけ、跳び上がる。
上空で足場を作り出し、それを蹴って下方向に方向転換。
右前脚に力を入れて、全力で振るう。
『斬る!』
一閃。スールズの一体の脇に滑り込むように着地しながら、氷堂の一撃を再現。
「!?」
スールズが痛みに呻く様子を視界の端に入れながら、俺は次の標的を視界に入れる。
対象は3体。それらの間を、紫電を使った加速と氷堂の攻撃と共に駆け抜ける。
一発一発に確かな手ごたえを感じつつも、俺は内心で舌打ちをした。
(くそっ! ほんの少しだけ倒しきるのに足りない!)
再現したにも関わらず、俺の一撃ではスールズを倒しきれない。
これがシークレットスキルを使用したときの氷堂ならば問題なく倒しきっていただろう。
(完璧に再現は……無理か!)
見よう見まねでもかなりの威力だが、流石に本家には敵わない。
そう思いながら、俺は攻撃を仕掛けてくるスールズの一撃を避け、反撃を仕掛ける。
数の暴力もそうだが、その全てが紫電を使用している俺とほぼ同じ速さというのが問題だ。
先のクイーンほど技術はなく、ステータスの面でもやや低いように見受けられる。
けれど、数の多さは敵の強さを何倍にも跳ね上げる。
それが同じ個体の集まったスールズの群れとなれば、なおさらだ。
(それが……どうした!)
群れの中を縦横無尽。それこそ天地無用に駆けまわりながら、俺は次々とスールズ達にダメージを与えていく。
たまにダメージを受けることもあるが、まだまだ戦える。
(これまで……どれだけのモンスターをこの体で倒したと思っている!
お前達よりも強い奴と戦った!)
頭を過ぎるのは、京都深層で相まみえた武者。
倒したわけではなくても、対峙したときのプレッシャーは今の比ではない。
(お前達よりも多くの敵と戦った!)
頭を過ぎるのは、下層にて戦った幻想の起源。
深海を埋め尽くすほどの敵を相手にして、それでも俺は勝利した。
――ポツン
鼻先に水が落ちるのを感じ、俺は空中で静止する。
見上げれば、室内にもかかわらず雨が降っている。
対象を弱体化する漆黒の雨、ブラックレインが。
それも一つではなく、複数のブラックレインが同時に行使されている。
『…………』
無表情で見下ろせば、スールズ達の笑みが見えた。
まるでこれで落ちろと言わんばかりの、汚い笑みが集まっていた。
紫の炎が、群れに突き刺さる。
竜乃のブレスは先ほどからずっとスールズ達を焼いているが、大したダメージは与えられない。
体に紫の炎が残っているので着火するように改良されたらしいが、それでも火が弱すぎてダメージは微々たるものだ。
目を見開き、空気を蹴って横へと飛ぶ。
俺が今まで居た場所に火や水や風、様々な魔法が通り過ぎる。
範囲の小さいものから大きいものまで、レベルも上級がメインと、かつてのスールズからは想像もできないほどに強い。
スパイラルフレアやブラック・クロスなどの魔法を避けて避けて、避け続けて。
そして目の前に、巨大な津波が不意に何重にも重なって押し寄せた。
やや魔法の攻撃の手が緩いと思っていたが、これを準備していたということだろう。
水の超級魔法、グランドウェイブ。これで俺達を纏めて流そうということか。
(まだ……気づかないのか)
大きく息を吸って、俺は黒雷を最大火力で放つ。
下から上に向けて、首を勢いよく振り上げる。
地上にいるスールズの群れの内の何体かを巻き込んだ黒い雷撃は、軌道を変えて津波に直撃。
そしてそのまま上へと角度を変えていき、左右に津波を一刀両断した。
俺達に襲い掛かる部分を、黒雷がかき消した。
今までの俺が放っていたものと全く同じ威力の、黒雷が。
「「「「「…………」」」」
その光景を、唖然として見つめるスールズ達。
そしてそのうちの何体かが気付き始める。
俺が、全くブラックレインの影響を受けていないことに。
「「「「■■■■■―!!」」」」
読み取れない叫び声をあげて怒りの感情を向けるスールズ達を見て、俺は一言だけ発する。
『竜乃』
『ええ!』
それだけで十分だった。
竜乃は縦横無尽に紫のブレスを行使し、スールズに火をつけていく。
(例え深層ボスだろうが……結局元はスールズだ。さっきのクイーンの方が、まだ歯ごたえがあったな)
暗黒の女王ならば、ブラックレインの重ね掛けをたった一人で打ち消している望月ちゃんの事に気づいただろう。
彼女ならば、俺が今やろうとしていることもなんとなく察したかもしれない。
少なくともさっきの段階でグランドウェイブを放つようなことはしなかっただろうし、体に灯る火を放置しておくこともなかった筈だ。
(お前達は……ただ大きな力を持っただけの獣だ)
恐怖を再現する歴史が聞いて呆れる。
望月ちゃんに言ってあげたいくらいだ。君の怖いものは、大したことないんだよ、と。
準備が整ったのを感じて、俺は大きく息を吸う。
この瞬間にも竜乃の火はスールズ達を常に燃やし、望月ちゃんはブラックレインを打ち消しつつも俺に力をさらにつけてくれる。
『全員、斃れろ!!』
咆哮。
漆黒の雷を、スールズの群れに射出。
これまではそのまま突き抜けた雷は、先頭のスールズに当たる寸前で分裂する。
それぞれが全く見当違いの方向へ飛ぶ、下層で幻想の起源を倒した攻撃。
スールズはステータスだけは高いので即死はしない。
けれどそれが狙いではない。俺の狙いは、竜乃の紫の炎だ。
俺と竜乃の相性はすこぶる良い。紫電だろうが黒雷だろうが、竜乃のブレスと融合することで威力を増す性質がある。
それなら、スールズの体に灯った紫の炎だって、黒雷と融合することで威力を増す。
ただの火傷ならば、スールズに対してダメージはないだろう。
だが火が威力を増し、スールズ全体を包むような火だるまの状態ならどうか。
そしてそこに対して、何度も何度も黒雷が当たればどうなるか。
例え威力が小さくても、ダメージの総量は計り知れないだろう。
「「「「「■■■■■!!!」」」」
うめき声をあげて、苦しみ続けるスールズ達。
それを無視して俺は黒雷を、そして竜乃は紫のブレスを吐き続ける。
まるで燃え上がる焚火に薪と酸素を与え続けるように。
やつらの命の灯が燃え切ってしまうように、何度も何度も。
そうして出来上がった暗いながらも鮮やかな輝きを放つ炎の中で、スールズが斃れていく。
一体……また一体と、床に伏せていく。
人に害をなした獣たちが、火葬されていく。駆逐されていく。
戦いとは呼べない害獣狩りが、終わりを迎える。
すべてのスールズが床に沈み、姿が灰となって消えていく。
第二形態がないことはもう分っていた。だからこれで終わりだ。
もう終わったという意味を込めて後ろを振り返る。
するとスールズの火に視線を向けていた望月ちゃんが気付いてこちらを見て、にっこりと笑った。
その笑顔には、もうどこにも恐怖の感情は見えなかった。
(望月ちゃんの中の恐怖も……なくなったみたいだな)
安心すると同時に、その横に浮かぶ配信ドローンが目に映る。
こちらもこちらで、大盛り上がりだった。
“うおおおおおお!二連勝!”
“モッチー達マジ最強!”
“これで終わりか? それともまだあるのか?”
“クイーンにモンスターハウスに、ひょっとしてモッチー達の数に合わせて三連戦?”
“どっちにせよこのままなら全然いけるでしょ!”
コメントでも多くの人が予想しているが、おそらくあと一回、俺の恐怖の歴史を再現した敵が出現する筈だ。
そしてそれがヘル・ドッグであることも予想はついている。
あのモンスター以上に俺を恐怖させたものは居ないからだ。
(でも……ヘル・ドッグなら問題ないだろ)
世界が白く染まりはじめ、次の光景へと切り替わろうとする。
(結局はスールズと同じ獣だ。あの時ならともかく、今の俺達が負ける筈がない。
例え深層ボスと同じスペックだろうが、さっくりと倒して――)
白い景色が掻き消え、目に入ったのは洞窟だった。
ここが茨城のTier2ダンジョン中層だと思った直後。
配信カメラのドローンが、「黒紫」の電流を発して、地面へと落ちる。
光はなく、機能していないことは明白だった。
(うそ……だろ……?)
ゆっくりと振り返る。
見覚えのある場所が視界に映し出され、俺ははっきりと理解した。理解させられた。
(あぁ……そう……か……違う。違うんだ。確かに今の俺の一番の恐怖はヘル・ドッグだ。
でも「俺」の一番の恐怖なんて、こいつしか……いないじゃないか)
「こ……たろう……くん?」
隣で唖然として呟く望月ちゃんの声を聞いて、俺の中で絶望が湧き上がる。
あの時と全く同じ恐怖が、体を支配する。
目の前に現れたのは、あの時と全く同じ姿。
巨大な黒い毛並みの体躯に、体を覆う黒いオーラ。そして表面を絶えず流れる紫の電流。
俺――探索者、織田隆二――がもっとも恐怖したTier0の化け物だ。