第189話 再戦、暗黒の女王
「これは……どういう……」
望月ちゃんは恐る恐るといった形で部屋へと足を踏み入れる。
闇への一歩はかなり慎重だったが、そこに地面というか床はあるらしく、感触を確認していた。
体重をかけても問題がないことを確認し、望月ちゃんはさらに1歩。
それも大丈夫だと分かり、もう1歩。
足取りは非常にゆっくりで、左右を慎重に警戒をしているようだ。
それは俺も同じだが、目に入るのは闇だけである。
何かがある気配もしない。ただ、暗闇が広がっているだけ。
(いや、暗いんじゃない……「無い」のか?)
俺の横に立つ望月ちゃんを見上げても、その輪郭はくっきりと映っている。
まるで明るい部屋で彼女を見ているようだ。
“なんだこれ?”
“なんもない?”
“モッチー達は見えてるけど、他になんもなくない?”
“敵の姿はおろか、床も壁も天井もないけど”
“モッチーが歩いてるってことは床はあるんでしょ?”
“こんな暗闇の中を進めっていうのか?”
配信ドローンを見てみれば、視聴者達もこの状況は見えているらしい。
俺達が幻術にかかったのではなく、この部屋そのものが異質ということか。
そう思った瞬間、背後で大きな音が響く。
振り返れば、入ってきた扉は閉じていた。
「え? えぇ!?」
驚いた望月ちゃんの声が響く。
扉は閉じたものの、動く音は聞こえなかった。
それどころか、俺達はまだ部屋の中にほんの数歩足を踏み入れただけ。
扉が閉まるなら、俺達ごと押し出される筈なのだ。
なのに扉が俺達に激突することもなく、気づいたら閉じていた。
『虎太郎! 光が!』
竜乃の声を聞いて弾けるように前を見れば、少し遠くに光が集まっている。
背後の扉を開けるときに表示されたのと同じ光の集まり方だ。
文字を、形作っていく。
【演目は歴史。汝らの恐怖、見事打ち破ってみせよ】
「歴……史? どういう――」
望月ちゃんが文字を読んで声を上げるよりも早く、部屋に変化が訪れる。
白い光が奥から流星のように流れ、視界を一気に白く染める。
かと思えば次の瞬間、俺達は見覚えのある暗闇の中にいた。
薄暗い遺跡のような場所。いや、遺跡のような広い空間。
そしてそこに佇む、鎌を手にした妖艶な美女。
見間違えるはずがない。茨城のTier2下層ボス、クイーンだ。
“え? どういうこと?”
“なんでクイーン?”
“歴史に恐怖って、過去に戦った強敵ってこと?”
『……虎太郎、あんたまさか知ってた?』
『本当に偶然だ』
竜乃から鋭い問いかけが飛ぶが、俺は首を横に振る。
この階層のテーマは、歴史。そしてそれは、過去に「俺達が恐怖を感じた」強敵ということだろう。
俺達の前にはクイーンが居る。
確かに俺にとっても、ボスの中でどれが一番苦戦したかと言われればクイーンを挙げるかもしれない。
それはきっと、望月ちゃんも同じだろう。
だから俺たち三人共通した強敵ということだろうか。
“確かにクイーンは強敵だったけど、今のモッチー達の敵じゃなくね?”
『……あれ、どう考えても、あのクイーンじゃないわよね?』
『出している雰囲気は武者ほどじゃなくても、相当ヤバいぞ、あれ』
ピコンという音が響き、望月ちゃんがモンスターチェッカーでの確認を終える。
険しい表情をしていた望月ちゃんは頷き、俺達を順に見た。
「敵の名前はクイーンの歴史。レベルは1000。姿かたちはあのクイーンだけど、強さは深層ボスレベルってことだね」
望月ちゃんの言葉を聞いて、俺は気合を入れ直す。
相手はクイーン。一度戦ったことがあるものの、それが超絶強化された個体ということだ。
(でも初見の敵じゃない。
クイーンは魔法にとてつもなく高い耐性を持ち、素手での攻撃をすると被害にあう。
けれど、魔法も物理もあの時の俺じゃない。それにこっちには竜乃の蒼い炎もある)
『竜乃! まずは様子を見る! 何かおかしいことに気づいたら教えてくれ!』
『瞬きせずに見てやるわ!』
竜乃に声をかけ、俺は挨拶代わりに力を行使する。
クイーンには魔法は通用しない。紫電での攻撃も通用するかは気になるところだ。
けれどそれ以上に、まずはこれで様子を見たかった。
今の俺の切り札ともいえる黒雷。漆黒の雷撃ならば、どこまで通用するか。
『落ちろ!!』
咆哮し、黒い雷を凝縮してクイーンの頭上に落とす。
今のクイーンは流石に今の俺にとってもやや格上。
即死させることは出来ないだろう。だが、大ダメージを与えることは出来るのではないか。
そう思って放った俺の渾身の黒雷は。
クイーンが頭上に掲げ、回転させた鎌によって防がれた。
『そりゃあ……そう簡単には行かせてくれないよな』
忘れているわけではないが、思い知らされた。
クイーンが強敵だった一番の理由は、魔法が通用しない事でも直接攻撃するとダメージを受ける事でもない。
熟練した探索者をも上回る、戦闘技術だ。
Tier2下層時点で、当時の俺より先を行っていたクイーンの戦闘技術。
それがそのまま深層ボスクラスまでレベルアップしているということか。
クイーンは頭上で回転させていた鎌を停止させ、勢いよく振り下ろす。
刃が風を斬り、奴の深紅の瞳が、まっすぐに俺を捉えた。
『……おいクイーン、お前、話せるのか?』
目を合わせたことで、俺はクイーンに問いかけた。
以前の茨城ダンジョンでは、意思疎通が出来た。
けれど今回は、答えはなく、返ってくるのはまっすぐな視線だけ。
俺達の記憶の中のクイーンを再現しているだけで、クイーン本体というわけではないのは確定。
(……その部分が攻略の鍵になるか?)
頭の中に3発込め、回す。体を紫電が纏い、視界がやけにゆっくりになる。
地面を蹴り、加速。頭の中で奴の特性を言い聞かせながら、右前脚に力を入れる。
(すれ違いざまに一撃――!?)
周りの世界は、確かに遅くなっていた筈だ。
けれど間合いに入った瞬間に、クイーンは高速で動いた。
俺の目でも追える速度での移動だったが、それはすなわち今の俺と同速ということ。
鎌の刃が、俺の頭をかち割らんと迫る。
『っ!?』
紫電を纏わせた爪をぶつけ、刃を弾こうとする。
触れれば痛むが、爪先に凝縮させた紫電は、それ自体が爪をコーディングするように伸びている。
これなら俺の腕は痛まない。
『らぁ!!』
力を込め、刃を弾くことに成功する。
力比べは俺の勝ち。今のクイーンも強いが、俺も数々のボスや強敵と戦ってきて強くなっている。
(総合力で言えば全然勝て――)
視界に入るのは、体を翻すクイーンの姿。
違う。力比べは俺の勝ちだが、クイーンはそれを読んでいた。
弾いた俺の力を利用して体を回転させ、力をそのまま鎌に乗せて振るってくる。
俺は右前脚以外の三本の脚で全力で床を蹴り、後ろへと飛ぶ。
鎌の間合いからは完全に逃れた。鎌の間合いからは。
(ムーンエッジ!?)
目の前に展開したのは、青い月。
これがなんであるのか、俺は知っている。闇の上級魔法、ムーンエッジ。
巨大な月の向こう側で鎌の刃が躍るのが目に入った瞬間。
蒼い月を食い破って刃が俺に襲い掛かる。
青と緑の混じった超高火力の魔法。
事前に準備していたのか、あるいはそれを無詠唱で打てるのか。
「竜乃ちゃん! お願い!」
斜め後方から飛来したのは、相棒の蒼い炎。
それは青緑の刃を飲み込み、スピードを緩めさせる。
やや時間がかかったもののムーンエッジは勢いを殺され、そして蒼い炎の中で霧散したのを見た。
クイーンから距離を取るために、一旦望月ちゃんの所まで戻る。
俺と同じところまで下りてきた竜乃が、忌々しげに舌打ちした。
『厄介ね。あの魔法、蒼のブレスでもかき消すまで時間がかかったわ』
『あぁ、見ていた。それならおそらく、こっちの魔法はどれも通用しないと見ていいだろう。
使えるのは竜乃のブレスに俺の紫電と黒雷か』
流石は俺達が歴代でもっとも苦戦したボス。
それが深層ボスレベルになれば、ここまで苦労するのか。
けれど俺は笑う。
『あの時は気絶して竜乃に任せてたからな。だから今回は三人で倒せるっていうのは、出来なかったことにリベンジしているみたいで面白い』
『……私は一度勝っているから微妙だけどねぇ』
ま、それでも。
と竜乃は続ける。
『一度勝った相手に負けることほど、嫌なことはないわ』
『同感だ』
クイーン。
それがどれだけ強くなろうとも、俺達の恐怖の象徴だろうとも、それは俺達の通過点にしか過ぎない。