第183話 彼女はビーチバレーでも最強
急に現れた氷堂。
彼女の出す、明らかに「違う」雰囲気に、上位探索者である愛花さんや須王もどう動いていいか分からないようだ。
「心愛さん! お待ちしていました!」
しかし、彼女は違う。
望月ちゃんはシートから立ち上がると、サンダルを履いて氷堂の元へと駆けていく。
それに、俺も続いた。
「理奈……道が混んでいて遅れてしまった。申し訳ない」
「気にしないでください。むしろ遠くから来ていただいて、ありがとうございます」
「肯定。今日は楽しみだった。ところで、これは何を?」
右手に持ったビーチボールを持ち上げ、氷堂は尋ねる。
なぜか小さな手のひらに収まっているビーチボールから、みしみしという悲鳴が聞こえた気がした。
「ビーチで遊んでたんです。このボール、虎太郎君が本気で叩いても壊れないんですよ。
あのネットも!」
氷堂が来て嬉しいのか、ややテンションが高めの状態でビーチバレーのコートを指さす望月ちゃん。
氷堂は指さされた方向を見て、一回頷いた。
「聞いたことがある。壊れないダンジョンオブジェクトで出来たスポーツがあると
……ところで、彼女は大丈夫だろうか?」
氷堂が視線を投げたのは、ビーチで倒れ、首だけを上げた音だった。
彼女は突然の氷堂の来訪に驚いて、声も出ない様子だった。
氷堂が来ることは知っていたが、実際に目にするとまた違うということだろう。
そんな音はすぐさまビーチから立ち上がる。
「だ、大丈夫です!」
大きな声で言い、不格好な笑顔を浮かべた。
暴走機関車の彼女でも、初対面の氷堂の相手というのは厳しいらしい。
氷堂自身も最初に比べると雰囲気はかなり柔らかくなったと思うのだが、長く付き合わないと彼女が別に怒っているわけではない、ということには気づかないだろう。
「そう」
短く言って、氷堂は足を進める。
生足が見えているので、パーカーの下は水着に違いない。
いつもはしっかりと装備に身を包んでいる姿を見慣れているために、ラフな格好の氷堂というのは新鮮だ。
そのまま氷堂はビーチコートに向かうので、俺も望月ちゃんも、そして音もその後をついていくことになる。
ボールを持ったままの氷堂は固まった状態の朝霧さんの元へ行き、ボールを差し出した。
「も、申し訳ありません!」
無言で、しかも無表情で差し出されたために怒っていると勘違いしたのか、朝霧さんはそれはもう深く深く頭を下げた。
「ち、違うんです!こ、これはちょっと私がふざけてしまったというか……その……」
いつもはお調子者の音も、流石にまずいと思ったのか声を上げる。
しかし、氷堂は静かに口を開いた。
「否定。怒ってなどいない」
「氷堂さん、パーティ、エルピスのリーダーの須王です。
今回はうちのメンバーの朝霧と天王寺がご迷惑をーー」
「理奈、話が通じないのだが」
向かいのコートから駆けてきた須王の言葉で、氷堂は望月ちゃんを見た。
いつもの無表情ながら、いつも以上に目には光がなかった。
そんな氷堂の様子に、望月ちゃんは苦笑いする。
「朝霧さん、音さん、須王さん。心愛さんは、全然怒ってないです。
よく皆さん誤解するんですけど、心愛さんはとっても優しいんですよ」
「……そ、そうなんですか?」
恐る恐るといった風に須王が尋ねると、氷堂は大きく頷いた。
「肯定」
その言葉に、ようやく氷堂が気にしていないことが分かったのか、須王は大きく息を吐いた。
遠くでやり取りを見つめていた愛花さんも同じように息を吐いていた。
「…………」
チラリ、チラリと愛花さんと朝霧さん、そして竜乃へと視線を動かす氷堂。
不思議に思ったのか、望月ちゃんが首を傾げると、氷堂は尋ねた。
「先ほどは、どちらが勝利?」
「あ、えっと須王さんと愛花さんですね」
「……ふむ」
あの人外の師匠と同じ口癖を呟いた氷堂。
望月ちゃんは、もしかしてといった顔をして尋ねた。
「心愛さん、やってみますか?」
顔を上げ、望月ちゃんを見て氷堂は頷く。
「肯定。これには昔から興味があった。是非ともやらせてほしい」
日本一位の探索者によるスーパービーチバレー。
とんでもないことになりそうだが、どうなるのか興味もある。
「そ、それなら私の代わりにどうぞ!」
真っ先に声をあげたのは朝霧さんだった。
彼女はすぐに氷堂に席を明け渡し、コートから立ち去ろうとする。
「感謝する」
「い、いえ……」
どうやら、朝霧さんが氷堂に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
俺と望月ちゃんもコートから出て、須王は須王で愛花さんのいる向かいのコートへと戻る。
竜乃・氷堂VS須王・愛花さんというこれまた珍しい対戦カードだ。
さっきまではパラソルの下にいたものの、今回はコートのやや近くで観戦することにしたらしい。
振り返ってみれば、明さん達もパラソルから出てきてこのゲームの成り行きを楽しみにしているようだった。
「愛花さん、相手はあの氷堂さん。最初から全力で行くわよ」
「はい。最初からそのつもりです。生ける伝説相手に、手を抜くなんてありえません」
向こうのコートでは須王と愛花さんが闘志をみなぎらせていた。
以前の俺とリースのように、圧倒的な格上と戦えることを喜んでいるようだ。
俺の時は模擬戦で今回はビーチバレーなので内容はかなり違うが。
格上相手に燃えるのは、須王はいつもの事だが、愛花さんも同じ人種らしい。
まあ、そうでなければ天元の華のリーダーは務まらないというものだろう。
「よろしく」
『え、ええ……』
こっちはこっちで、ちょっと面白いことになっていた。
俺たち三人の中で、最も氷堂との関係が薄いのが竜乃だ。
立ち位置も被っておらず、別段親しいわけでもない。
もちろん仲が悪いわけではないものの、竜乃からすると氷堂はやりにくい相手というか、畏れ多い相手ということだろう。
少しだが羽ばたきの力が弱いのが、彼女の心を表しているようだった。
『竜乃!頑張れよ!』
『が、頑張るわよ! で、でもちょっと調子狂うっていうか……』
「それでは、氷堂さん・竜乃ちゃん対須王先輩、愛花さん、始め!」
竜乃にエールを送っている間に、試合は始まってしまった。
須王がボールを高く飛ばし、助走をつけてジャンプ。そして最大打点から、鋭いサーブが打ち出された。
これまでのどのサーブよりもボールは速く、その飛びようはまるで鋭いナイフが風を切るようだ。
『くっ!』
しかし、竜乃もここまでの試合で何度もボールを受けているために、レシーブはお手の物。
しっかりと風を起こし、羽を器用に使ってボールの威力を減衰。
そしてふわりとボールが浮かび上がったところで。
「斬る」
全く見当違いの言葉を吐いて、飛んだ氷堂が右手を目にも止まらぬ速さで振り抜く。
残像が見える程のスパイクに驚くのと同時に。
音を置き去りにしてビーチボールは砂浜に命中し、全く動けない須王と愛花さんの間を轟音を立てながら転がっていった。
スタッと氷堂が着地する音だけが、ビーチに響いた。
誰も、何も言えなかった。ただまるで機械が動くような動きでボールの行方を追い、目を瞬かせた。
事の成り行きを最も近くで見ていた音は、ポツリと感想を呟いた。
「チートやん」
何で関西弁だよ、と思ったものの、これに関しては激しく同意である。