第163話 最後の扉を、2人で開く
世界一の探索者、リース・ナイトリバーと出会った翌日。
呼び出された場所は、以前訪れた京都Tier1ダンジョンの深層だった。
薄暗く、夜のように思えるのに、天には月と太陽がある不思議な世界。
ここを訪れたのは一昨日なのに、かなり時間が経ったようにも感じる。
昨日のリースとの一件で起こったことが多すぎるからか。
「虎太郎君、昨日はお疲れ様。今日からまた京都ダンジョンに挑戦だね」
近くには、いつものように望月ちゃんの姿。
そしてその隣には氷堂の姿もある。じっと見てくるのも、いつも通りだ。
(……?)
氷堂は必要以上の事をあまり話したがらないものの、俺や竜乃に対してはよく視線を向けている。
それは普段通りなのだが、どこか彼女の雰囲気がいつもと異なっていた。
どこがどう違うかは言えないのだが、ちょっと揺らいでいるような、そんな気が。
「深層には施設も地域もない。ボスの前の扉までは一直線だけど、モンスターは出てくる。
油断しないで」
そう思ったものの、氷堂はすぐにふいっと顔を背けてしまった。
望月ちゃんは返事をして、配信ドローンの準備に取り掛かる。
この一連の流れも、氷堂と一緒に京都ダンジョンを探索し始めてから慣れてきたものである。
(もう、一か月以上行動を共にしているわけだもんな)
氷堂の紹介でフランスへ渡り、そこで交流した後、日本へと帰国。
東京ダンジョンの下層を攻略した後に、ここ京都へ来た。
東京ダンジョンでは一緒ではなかったものの、フランスと京都ダンジョンだけで一か月以上は氷堂と望月ちゃんは一緒にいる筈だ。
二人の仲が良くなるのも当然というもの。氷堂が望月ちゃんの事を好んでいるというのもあるが。
「じゃあ、配信付けますねー」
「肯定」
宙に浮かぶカメラドローンが点灯し、配信開始の合図となる。
それと同時に、多数のコメントが一気に流れた。
“久しぶり!”
“下層のボス撃破以来か”
“ここ数日休んでたけど、大丈夫?”
“体調悪いとか? 全然休んでもらってかまへんで!”
“探索も楽しみだけど、モッチーの事が一番や”
“もし京都の料理とかが合わなかったなら、本当に申し訳ない”
前回の配信では、圧倒的な力で氷堂が下層のボス、竜王を倒したところまでだった。
その後急にリースからの電話がかかってきたので、そのタイミングで望月ちゃんは配信を切っていた。
それからリースの来日があったので、3日ほど配信はなかったということになる。
勝手に配信をつけるわけにはいかなかったので当然の対応なのだが、視聴者達は体調不良を心配しているようだ。
もちろん望月ちゃんの調子が悪いというようなことはない。
京都の料理が、というコメントも見受けられたが、どちらかというと京都料理に舌鼓を打って、感想を俺達に時折話してくれるくらいには好んでいるようなので心配ないだろう。
「否定。ちょっと用事があって探索できなかっただけ。でも今日からは再開」
氷堂はリースの事を視聴者達に話すつもりはないらしい。
世界一の探索者が俺達の実力を見るために来日して、その日の内に帰ったなんて言っても急すぎるし、それでいいのではないかと俺も思う。
同じことを考えたのか、望月ちゃんも何も言わなかった。
「氷堂さん、深層のモンスターはやっぱり強いんですか?
東京ダンジョンの深層はモンスターが居ないようなので……」
東京ダンジョンの深層にあるのは、機器一つと大きな扉だけ。
そこにはフロアモンスターは影も形も見つけられなかった。
なので実質、初の深層モンスターとの戦いとなるのだが、氷堂は首を横に振った。
「否定。レベルは高いけれど、強くはない。いつものようにやれば、負けることはない。
ただ、経験値の入りは良くないかもしれない」
ゲスト機能はメインダンジョン以外のTier1ダンジョンに入れる機能だが、さまざまな制約がある。
経験値の減少というのもそのうちの一つだ。
事実、ここまで望月ちゃんは京都Tier1ダンジョンの上層、中層、下層のボスを倒したが、レベルはほとんど上がっていない。
下層からレベル的な格上は登場しているが、それでもだ。
この深層はモンスターのレベルも上がるので、ひょっとしたら経験値の入りは良いかもしれないが、東京の下層の方が効率は良いだろう。
「行く。ボスの扉前の機器までなら、今日一日で着くはず」
先陣を切って歩き出した氷堂。
その背中はこれまで見たのと全く同じで、微塵も心配な気持ちは生じなかった。
×××
暗闇に、一筋の光がすばやく走る。
目にも止まらぬ速度で走ったそれが斬撃だと分かったのは、剣型のモンスターに線が走ったから。
邪悪なオーラを纏い、歪な形に、牙の生えた口を持つ剣型のモンスター。
蠢いていた口の動きが止まり、重力に従って斜めにずり落ち、そのまま灰となって消えていく。
見事と言うしかない斬撃をしたにもかかわらず、氷堂はいつもの無表情だ。
しかし流石に深層のモンスターをこれまで通りとはいかないのか、剣をしっかりと構えて力の限り振るってはいた。
それでも一撃であることに変わりはないので、末恐ろしいが。
結局のところ、深層に来ても氷堂一人でほとんどのモンスターを倒してしまうことは変わらなかった。
ふと、その様子を後ろから見ていた望月ちゃんが尋ねる。
「そういえば、氷堂さんってシークレットスキルを持ってるって言ってましたよね?
どんなスキルなんですか?」
レベルやスキルなど、探索者に関わることを聞くのは基本的にはご法度。
しかし氷堂は望月ちゃんの配信で自分のレベルを大っぴらに公開し、それを何とも思っていない。
そのため望月ちゃんも気軽に聞いたのだろう。
しかし氷堂は正面を向いたままでこちらに振り返るようなことはしなかった。
「……否定。あまり教えたくないことは、私にもある」
返ってきたのは、まさかの拒絶の言葉だった。
「ご、ごめんなさい……」
氷堂の心を乱したことで、すぐに誠心誠意謝罪する望月ちゃん。
その声に、前を向いていた氷堂が振り返った。
「否定。私は自分のシークレットスキルがあまり好きではない。
だから言いたくないし、この先の戦いでも出来れば使いたくない。
むしろ私の方が謝罪すべきなので、そのような顔をしないで欲しい」
そういえばレベルを公開した配信でも、氷堂は自分がシークレットスキルを持っていると言っただけで、詳細は言っていなかった気がする。
彼女の事だから詳細に話さないのは不思議に思った記憶があるが、理由があったのか。
「ボス部屋についた。気持ちを切り替えて」
「はい! 氷堂さんがシークレットスキルを使わなくても勝てるように、全力で援護します!」
「肯定。とても心強い」
望月ちゃんがすぐに気づかいの心を見せ、氷堂も柔らかい雰囲気で応じる。
彼女は無表情ながらも、シークレットスキルの件についてはそこまで気にしていないようだ。
さて、そんな氷堂の言う通り、目の前には大きな木で出来た門がある。
周りは非常に高い塀で囲まれた、まるで旧日本の屋敷のような印象だ。
塀はとても高いために、まるで自分が子供になったようだが。
「塀の高さと同じところに透明な壁があって、中は見えなかった」
塀をじっと見ていると、氷堂がそんなことを言った。
どうやら乗り越えようと思ったことがあったらしい。
彼女らしいと言えばらしいエピソードだ。
「でも、今回は正面から入れる。機器はそこ。認証したら、行ける?」
「時間的には問題ありませんし、深層にも慣れてきたのでこのまま挑んでも良いかと。
でも氷堂さんは大丈夫ですか?私達はほとんど戦っていませんが、氷堂さんはずっと戦っていたので……」
機器の認証を進めながら、望月ちゃんは氷堂に尋ねる。
氷堂は首を横に振った。
「否定、あの程度ならまだまだ行ける」
傍から見ていた俺も同意見である。多分深層をあと10往復しても余裕そうだ。
望月ちゃんの認証が完了したことを確認し、氷堂は巨大な木製の扉へと近づいていく。
門の上側に、光が集まる。ダンジョンで文字を浮かべる、見慣れた光景だ。
【探索者よ、資格はここに満たされた。東と西、最高の冒険者で力を合わせよ】
カタンッと、閂が抜かれる音が大きく響いた。
光の文字が消えても、氷堂はじっとそこを見続けていた。
「長かった」
ポツリと零した言葉は、いつもよりも感情が籠っているようだった。
「この時を、ずっと待っていた」
首を動かし、氷堂の視線は門から望月ちゃんへ。
「一緒に、お願い」
笑顔で頷く望月ちゃん。
氷堂と望月ちゃん、二人の手のひらが、それぞれ門の右扉と左扉に同時に触れた。