第162話 最悪を想定するということ
京都のTier2ダンジョンから空港までは、やや距離がある。
ダンジョンから出てすぐ望月と別れた氷堂とリースは日本政府が用意した専用の車に乗り、目的地へと向かっていた。
特殊なつくりをした車の後部座席に並んで座る氷堂とリース。
彼女たち以外には人の姿はなく、運転席にも声は聞こえない。
久しぶりに訪れた日本の街並みを、車の窓から眺めて楽しんでいるであろうリースとは対照的に、氷堂はやや疲れたようにぐったりとしていた。
氷堂が師匠と仰ぐリースを苦手とするのは、彼女が予測不可能の暴走機関車だからだ。
彼女はこちらが予測しないことを平然とやってのける。
――ついていくこっちの身にもなって欲しい。
普段の自分を棚に上げて、内心でそうぼやく。
思ったところで何も変わらないということを一番知っているのは、氷堂自身である。
「……そういえば、私が見極める目的だけで日本に来るわけないと言ったな」
不意に声をかけられ、ピクリと反応する。
ゆっくりと首を動かせば、不敵な笑みを浮かべて足を組んだ金髪美女は、頬杖を突いたままで氷堂を見ていた。
「肯定。けれど、真実だった」
気分を害しただろうか。
それならば謝罪しなくてはと思ったものの、それよりも早くリースは口を開いた。
「いや、お前が正しい。私がここに来たのは、見極めるのがメインではない」
「……?」
「望月を知ったのは、エマ経由でだ。そして配信を知り、可能な限り確認した」
まさかこの師匠もハマったということだろうか。
彼女が誰かに夢中になるような姿は想像がつかないものの、相手はあの望月達。
もしも好きになってくれたのならば、それは嬉しいことだ。
相手は誰であれ、好きを共有できる相手と言うのはありがたい。
それがエマやリースのような、最上位探索者ならばなおさら。
「見ていて思ったよ。虎太郎はTier0なのではないかと」
急に背後から銃を突き付けられたような感覚に陥り、思考が停止する。
けれどリースは氷堂を気にせずに、言葉を続けた。
「配信を見ていると、ほんの数回だが、虎太郎の雰囲気が変わる時がある。
怒りに我を見失っているようにも、力に覚醒しているようにも見える。
けれど私には、あの雰囲気がTier0のものと似ていると感じた。
それこそ私が倒した深紅の花と同じ、明らかにただのモンスターとは異なるものだ」
リースの言葉を頭の中で反芻させ、氷堂は思考を必死にめぐらす。
もしそうなら、彼女は。
「……あの子を、殺しに来た?」
「もしもTier0ならば、消すつもりだったさ。
けれど実際に会って、分からなかった。だから戦い、全力を引き出そうとした。
死の間際になれば、尻尾を出すかと思ったが」
結果として、リースは虎太郎を殺してはいない。
「否定?」
「灰色と言うやつだ。
追い詰めてもなお食らいついては来たが、Tier0だと確信は持てなかった」
「…………」
その言葉に、氷堂は安堵する。
流石に世界最強のリースに狙われれば、虎太郎とは言えただでは済まない。
「だが、白というわけでもない。
姿かたちに、使う魔法やスキルの数々、それにあの雰囲気。
どちらかというと限りなく黒に近い。あれがもう少し弱ければ、面倒だから消していたけれど」
「…………」
虎太郎の命が消される寸前で会ったことに、氷堂は内心で恐怖した。
同時に少しだが安堵も感じているものの、状況は芳しくないように思える。
伺うように様子を見てみても、師匠たるリースの心の内など知ることは出来ない。
言うことを、そのまま信じるしかない。
「念のため望月にも釘は刺しておいた」
「……そこまで、危ない?」
飼い主である望月が意識しないと不味い状況まで来ているのか。
そう思い縋るような目を向けると、リースは微笑んだ。
「念のためと言っているだろう。今すぐ何かが起こるわけでもない。
そもそも、将来的に起こるかも分からないからね。取り越し苦労の可能性もある」
「……そう」
安心してそう呟いた。
「だから、もしもあれがTier0だと判断したら、心愛。お前が斬れ」
氷堂は最初、言われていることが分からなかった。
自分が、虎太郎を斬る? 殺す?
リースはにやりと笑って、言葉を続けた。
「冗談だ」
衝撃的な一言の後に冗談だと付け加えられ、さらに氷堂は混乱した。
けれど先ほどの衝撃発言が冗談だったと言われ、少し持ち直したところで。
「お前ではTier0は厳しいだろう。相手が好いている虎太郎なら、剣だって鈍るだろう。
だから、私がアメリカから着くまでの間足止めするでもいい。
お前の代わりに、私が斬ってやる」
「…………」
もう氷堂は自分がどんな表情をしているのか、自分で分からなかった。
今まで生きてきた中で味わったことがない程、心をぐちゃぐちゃにかき回されていた。
「まあ、そうならないのが一番だけれどね。
私としても、あのような優れた探索者を消すのは惜しいと考えるよ」
一見優しいことを言っているように見えるが、長い付き合いの氷堂は言葉の裏を読み取っている。
虎太郎がTier0となれば、リースは惜しいと思うだろう。また有望な探索者が消えたと考えるだろう。
そして思い、考えた後で、なんのためらいもなく斬り殺す。
彼女はそういう人間だ。
--そして自分も感情はどうあれ、しなければならないことは同じ
日本を代表する者として、日本で出たTier0を始末するのは氷堂の役目だ。
それが出来るかどうかはさておき、全力でやらなければならない。
虎太郎を、殺そうとしなければならない。
この会話を最後に、空港に着くまで氷堂とリースは一切会話をしなかった。
リースの視線は窓の外に向けられていて、久しぶりの日本を眺めていた。
一方で氷堂は、ただじっと車の床に目線を向けていた。
いつ来るか分からないどころか、来るかどうかも分からないもしも。
それを考え、彼女は車が空港に着くまで、微動だにしなかった。