第161話 リースの言葉
「それにしても、強さとかではなくTier0について聞いてくるとはね。
エマから話は聞いているけれど、二度Tier0と遭遇したからかい?」
「……はい」
望月ちゃんがTier0に関する質問をするとは思ってもみなかったが、これは俺も気になるところだ。
俺の体の元にもなっているであろうTier0。それを倒したことがあるリースしか知らないことはあるだろう。
「なるほど。だがあいにく、私は倒したTier0以外のTier0には遭遇していないんだ。
だから逆に羨ましいよ。もしも目の前に審判の銀球が出てきたら、消してやるというのに」
ぞっとするような笑みを浮かべて、リースはそう告げた。
他のモンスターとは強さの次元が異なるTier0。
それに対してこんなことを言えるのは、彼女くらいだろう。
「だから審判の銀球に関してはそっちの方が詳しいだろう。
そうなるとまずは深紅の花からかな。これは私の方で討伐済みだ」
深紅の花。詳細は知らないが、その名の通り巨大な赤い花だということは知っている。
蔦や花弁を飛ばしての攻撃力が桁外れなこともあるが、その真髄は反射能力にあるとか。
どんな攻撃も通用せず、跳ね返してしまう性質を持っていることから恐れられていたが、
目の前の人外により、数年前に討伐されているTier0だ。
ただ、逃げることは比較的容易だったらしく、命を失った探索者はそこまで多くはなかったとか。
出現した場合は、そのダンジョンは数か月は閉鎖になるそうだが。
「ただ、あれに関しては私との相性が面白いくらいに良かったというのもある。
私のシークレットスキルのいくつかは、攻撃することに関しては他の追随を許さない。
防いだり跳ね返すだけの敵は、得意ということだ」
そう平然と言ってのけるリース。
その言葉の中に見逃せないワードがある。シークレットスキルのいくつか、と言ったか?
大きな強みとなるシークレットスキル。
今までそれを持っているテイムモンスターや探索者は皆1つしか持っていなかった。
しかしこの女は2つ、あるいはそれ以上持っているということか。
(あの宇宙みたいな状態が本気じゃないってことかよ……)
少しの間でも世界最強の探索者と本気で戦えたと思っていたので、少しだけ気落ちする。
同時に、世界一が高いところにいるのを感じさせた。
「……師匠は審判の銀球とも相性は良い筈」
「深紅の花と比べてどう違うのか体感していないから、言い切れないがね。
ただ、相手がどれだろうがTier0は全力で滅ぼす。
審判の銀球だろうが、地獄からの呼び声だろうが」
リースが倒した深紅の花、俺達が二回遭遇した審判の銀球。
そして残る最後の1体が、地獄からの呼び声と呼ばれるものだ。
その姿と形は不明。理由は単純で、姿を見て生き残った探索者が居ないからだ。
深紅の花はリースが倒した。審判の銀球は針が偶数を示せば生き残れる。
しかし最後の一体は、未だ誰も勝てず、誰も生き残れていない。
ただ記録として残っているのは遠くから必ず聞こえる不気味な声だけ。
もしもその音に引かれてそちらへと行けば、命はない。
だからこそ、地獄からの呼び声と名前を付けられている。
ダンジョンで亡くなる人の数は少なくない。
パーティが全滅だってあり得る話だ。けれどその内どれくらいがTier0の仕業なのか、それは分からない。
いずれにせよただの探索者に出来ることは、災害に襲われた、運が悪かったと諦めるだけだ。
(……実際、あの時の俺もそうだったからな)
俺だけが知っているTier0の4体目。
今の俺の体にもなっている漆黒の獣に出会ったときの絶望は、今思い出しても背筋が寒くなる。
「で? 聞きたいのはTier0の情報だけじゃないだろう?」
「はい……どうすれば勝てるのか、知りたいんです。
氷堂さんの言う壁というのも関係していますか?」
望月ちゃんの言葉にリースは沈黙し、じっと見つめていた。
「レベル1000を越えなければ有効打を与えられないというのはあながち間違いではない。
Tier0と探索者の実力差が著しければ、どれだけ攻撃しようとダメージは微々たるもの。
そこに至らなくても、有効なスキルやシークレットスキルに目覚めれば戦いにはなる。
だがそれらはTier0に勝つのに一番大切なものではないよ」
「最も大切なのは、何をしても最後には勝つということだ」
Tier0を倒したことのある唯一の人間、リース・ナイトリバー。
彼女の口から出てきたのは、まさかの精神論だった。
驚いたのは俺だけではないようで、望月ちゃんも少しだけ目を見開いている。
けれどリースの様子は冗談を言っているようなものではなく、真剣そのものだ。
「そもそもTier0という名前自体、私は反対なんだ。
この呼称はTier0をどうしてもモンスターの延長線上だと考えさせてしまう。
どのダンジョンでも、探索者にとってモンスターは贄だ。
個人という範囲ではなく全体で見て、探索者はダンジョンのモンスターよりも強いのは事実。
今は勝てなくても、レベルを上げれば、スキルを身に着ければ、強くなれば勝てる。
そんな思いが心の奥底に必ずある。これが普通だ。当然だ。
探索者にとって、モンスターは狩る対象」
忌々しそうにリースは探索者全体に対して苦言を呈する。
その言葉に俺も、望月ちゃんも、氷堂も黙って耳を傾けていた。
「はっきり言おう。Tier0は探索者にとって侵略者だ。やつらは私達を狩る、化け物だよ。
明かな格上、現存する絶望、不意に訪れる終わり、勝てない強者だ。
どれだけレベルを上げようが、スキルを得ようが、Tier0に勝てるなんて思わないことだ。
相性が面白いほど噛み合った深紅の花との戦いでさえ、一つ間違えれば私はここに居ない」
リースは先ほど、審判の銀球と戦いたいと言った。
彼女は深紅の花を倒してもなお五体満足で、最強の探索者である。
だから心のどこかで、彼女からすればTier0も敵ではないと思っていた。
だが違う。彼女は覚悟が違うだけで、Tier0の事を少しも侮ってはいない。
ライバル、いや圧倒的格上として考えている。
「ならば、そんな想像も絶する格上を倒すにはどうすればいいか。
スポーツでもあるだろう。Upset……いや、こっちではジャイアントキリングと言うんだったかな?
それを成すのに一番大切なのは、心だ。例えいつどこで遭遇しようとも、食らいつけ。
もうこれで死んでもいい。そう思えるほどに、全力をかけろ。
相手が何をしてこようとも、自分の持てる全てが通じなくても、勝つと思い込め」
「分かるか?勝てるじゃない、勝つ」
リースの言葉が、痛いほど俺の心に突き刺さる。
探索者だった最後、俺はTier0と遭遇し、今リースが言ったことを何一つ満たせなかった。
恐怖で身が竦み、戦うことを放棄した。
勝つなんて、微塵も思わなかった。それは今だって同じことだ。心のどこかで、勝てないと思っている自分がいる。
けれどリースは根本から違う。彼女はどれだけ絶望しても勝利を疑うなと言った。
いやそもそも勝利するという気持ち以外抱かないような、そんな強すぎる感情だと思った。
そんなの、誰が抱けるというのか。
この女は間違いなく人外だ。人間ではない。精神構造が、人のそれではない。
(おかしい……イカれてる……でも……)
それが、とても羨ましく感じられた。輝いて見えた。
無理だと頭では分かっていながらも、心ではなりたいという気持ちもあった。
「まあ無論、そうなるには十分な実力が大前提ではあるんだがね」
「…………」
望月ちゃんも、氷堂も、何も返さなかった。
彼女達も思うことがあるのだろう。その心の内は知れないけれど、リースの言葉が突き刺さっているのは分かる。
やがて望月ちゃんはゆっくりと頭を下げる。
「……リースさん、ありがとうございました」
続いて氷堂も礼を告げる。
「肯定、私も感謝する。師匠はTier0の話、してくれなかったから」
「お前が聞かなかっただけだろう。まあいい、話は以上だ。
……あぁそうだ。望月、ちょっとこっちへ。最後に話しておきたいことがある」
「……? はい」
話は終わったものの、リースは最後と言って望月ちゃんを連れ出す。
やや離れた所へ移動したものの、声が十分に聞こえる距離。
しかしそう思った次の瞬間には、二人の声は全く聞こえなくなっていた。
じっとそちらを見ても、リースが何かしたのだと思うが、声は一向に聞こえてこない。
しばらく話をしていた二人は、やがてこちらへと戻ってくる。
やる気の炎に満ち溢れた望月ちゃんの目を見るに、励ますようなことを言ったのかもしれない。
(……最初はヤベー奴かと思ったけど、意外といいところあるんだな)
「待たせた。それでは私は帰る」
「……肯定。じゃあ送っていく。滞在日数が一日というだけでもどうかしているのに、私の姿がなかったらアメリカにどうかと思われる」
「アメリカの政府の事など知ったことではないけれど、見送りをしたいなら好きにするといい」
中々に自分勝手な性格のリースはそう言って機器の方へと歩き出す。
「……申し訳ない。今日はここまでで。わざわざ時間を取ってくれて、感謝する。
師匠の代わりに、深く礼を述べる」
「いえ、私も為になる話が聞けましたし、虎太郎君も手合わせしてもらったので、ありがたいくらいです」
「重ねて感謝する。京都深層については後ほど連絡する。すまないけれど、今日はこれで失礼」
そう言って深く頭を下げ、氷堂はリースを追いかけるために駆けだした。
その背中を見ながら、望月ちゃんはポツリと呟いた。
「……氷堂さん、大変そうだなぁ」
激しく同意である。
自由気ままなイメージのあった氷堂だが、彼女が暴君と呼ぶリースに振り回されている姿は苦労人のようだった。
あの氷堂をここまで振り回せる人間など、リースしかいないだろうが。
こうして世界一の探索者、リース・ナイトリバーの嵐のような来日は終わりを迎えた。