第151話 深層への到達と、暗雲
望月ちゃんは驚き、動きを止めている。
その瞳の奥には恐怖の感情は見えない。
彼女は俺を恐れているわけではない。ただ驚いているだけだ。
だが、それは今までに見たことのない表情だった。
「…………」
『…………』
望月ちゃんは無言で、そして俺は何を言っていいのか分からずに時が止まる。
そこに、浮遊した配信用のドローンがふわふわと近づいてきた。
光を発しているので、配信は続いているらしい。
あの大群の中でよく無事だったなと思ったものの、配信ドローンは所々が凹んでいる。
ボロボロな姿だが、なんとか耐えてくれたということだろう。
現在使用しているドローンは神宮さんが用意してくれた特別製らしいので、もし以前使っていたものだったら壊れていたかもしれない。
望月ちゃんもドローンの存在に気づき、そちらへと視線を向ける。
“祝!下層ボス討伐!”
“すげー! 全部ふっ飛ばしてボス倒した!”
“最速だろ! いや最速は氷堂さんだろうけど、でもめっちゃ速い!”
“中ボスとか倒さずに階層ボス突破はヤバすぎ”
“俺はまた伝説を見ているのか………”
“っていうか虎太郎の旦那の黒い雷マジでカッコいいな!”
“あの雷で敵を全滅させたぞ!”
“でっかい奴も大きな雷落として倒してたし、なんなんだよあれ!マジですげえって!”
「……黒雷」
ポツリと、望月ちゃんは声を漏らした。
“黒い雷で黒雷、いいねそれ!”
“モッチーにしてはネーミングセンスいいじゃん!”
“そのセンスを普段の配信でも見せてくれ……”
“虎太郎の旦那の新必殺技、黒雷に決定”
“なんかどっかで聞いたことがある気が?”
“虎太郎の旦那の必殺技多すぎだろww マジで最強やん”
“あの黒い雷なら氷堂さんとも張り合えるんじゃ……”
“流石にあの人はどうなんだろ? 個人的には行ってほしいが……”
“昔、そんなスキルを持っている人居なかったっけ?”
“氷堂さんは深層でしょ?でモッチー達も深層。並んだな”
“茨城人わい、地元から英雄が出て感激”
「あっ! 2人とも、傷だらけだから回復しないと!」
恐ろしい勢いで流れるコメントを追っていると、望月ちゃんが声を上げる。
すぐに体を温かい光が包み、傷を癒してくれた。
進化したことで代謝が上がったのか、傷も痛みもすぐに引いていった。
望月ちゃんは安心したように息を吐き、次に竜乃の治療を始める。
竜乃は望月ちゃんを庇ったものの、ギリギリで望月ちゃんが放ったボルトゼロが間に合ったのか、あまり傷は深くないようだった。
望月ちゃんは回復を終え、戦利品の回収へと移る。
ドロップしたアイテムを持ち上げ、それを配信ドローンに見せる彼女はいつもの調子だ。
どうやら見たこともないドロップ品が多いらしく、あれが下層の階層ボスだったのは間違いなさそうだ。
これで俺達は、下層を突破したことになる。
人形のゲートに入ったときはこんなことになるなんて思っても見なかったが、結果オーライというやつだろう。
回収を終えた望月は次に発生したゲートへと向かう。
その左右に、俺と竜乃は並んだ。
「……虎太郎君、竜乃ちゃん……ここを潜れば、多分……」
ワクワクした気持ちを隠し切れない様子で、望月ちゃんは俺達に声をかける。
彼女の言う通り、ここから先はおそらくは深層。
Tier1ダンジョンにしかなく、日本の中でも氷堂しか知らない階層だ。
そこに、ついに俺達が足を踏み入れる。
ただの高位探索者に過ぎず、先のなかった俺が。
茨城ダンジョンの上層のモンスターすら必死に倒していた望月ちゃんと竜乃が。
日本一に並んだ。こんな日を、誰が予想しただろうか。
俺一人では絶対に無理だったし、望月ちゃんと竜乃だけでも無理だっただろう。
俺達だからこそ、掴めたんだ。
「行こう、最後の階層へ!」
俺、望月ちゃん、そして竜乃の順でゲートへと向かっていく。
蒼の深海を最後に、俺達は上層をクリアして終わりへと入っていった。
×××
『……ここは』
ゲートを潜り抜けた先は、大きな部屋だった。
真っ先に目に入ったのは、とてつもなく巨大な扉。
様々な丸いマークが描かれた黒い扉は、重々しい雰囲気を醸し出している。
しかし大きな部屋には巨大な扉に続く階段があるくらい。
他にあるものと言えば。
「あ、機器がありますね」
望月ちゃんがすぐに機器に気づき、近づいて認証を行う。
その後ろ姿を見ながら、俺は不思議に思った。
(なんだここ?)
不自然なことが多い。先ほどとは全く景色が違うために、ここが深層なのだろう。
けれどモンスターがいない。それどころか、機器が入り口のこんなに近い場所にあるなんて。
まるであの扉の先に恐ろしい存在が待ち構えているかのような、そんな。
それこそ深層というのはボスと戦うだけのフロアだったりするのだろうか。
「機器は認証したから、いつでもここには戻ってこれるよ。
他には何もないし、あとはこの大きな扉かな……」
望月ちゃんが扉へと足を進める。もちろん俺と竜乃も追従する形だ。
『これ……時計だわ』
扉に近づく途中で、竜乃が気付いた。
扉に描かれていたのは円ではなく、時計だった。深層のテーマは、時間だとでもいうのだろうか。
ふと、扉の上側に光が集まり、文字を形成していく。
【探索者よ。ここから先は戻ること叶わぬ。それでも良ければ進むがいい】
文字の内容を見るに、ここから先はボス部屋ということだろうか。
あるいは深層というのは戻れない階層なのだろうか。
「えっと……氷堂さん、見てますよね。とりあえず今日はここまでということでいいですよね?」
望月ちゃんは配信ドローンに語り掛ける。
“ココア:それで構わない”
配信のコメント欄に、すぐに氷堂のコメントが書き込まれた。
「皆さん、ちょっと色々ありましたが、なんとか下層を突破できました。
これからは深層になりますが、今回はここまでにしますね。ありがとうございました」
ペコリと頭を下げれば、お疲れさまという旨のコメントが凄い勢いで流れていく。
大型のモンスター討伐に、下層のボス撃破。
一日の配信の内容として考えると見所がありすぎるくらいだろう。
熱狂も冷めやらぬままに、配信は終了を迎えた。
配信ドローンを停止させ、片付けながら望月ちゃんは俺達に声をかける。
「竜乃ちゃんも虎太郎君もお疲れ様。
急に戦うことになったときは驚いたけど、なんとか勝てて良かったね。
あ、明日だけど、氷堂さんと一緒に配信すると思うから、よろしくね」
『おっけー』
『了解よ』
下層をクリアして一段落。ここで氷堂と深層について話し合う機会でも設けるのだろう。
日本で二人しかいない深層を知る者同士の会話を見たいと思う人も多いだろうし。
そんな事を思いながら、望月ちゃんと別れて俺は眠りにつく。
この時には、望月ちゃんがなんであんなにも驚いていたのかを、俺は忘れてしまっていた。
×××
高級車に乗り、望月は東京のホテルへと向かう。
車は神宮が準備してくれたもので、運転も彼女が行っている。
とはいえ運転席と後部座席の間には明確な区切りがあり、声が神宮に届くことはない。
そんな小さなリムジンのような車両の中で、望月は端末を操作し、耳に当てる。
数回のコールの後、電話は繋がった。
「お母さん……配信、見たよね?」
どうやら電話の相手は、望月の母らしい。
望月は電話先の母からの言葉を聞いて何回か頷き、相槌を打つ。
「やっぱりそうだよね。そんな気がしてたんだ。虎太郎君とはずっと一緒に居るしね」
母からの返答は概ね予想通りだったらしく、望月は小さく笑う。
その声に、母が心配そうな声で案じてくる。
「ううん、私は幸せだよ。お母さんがいて、竜乃ちゃんがいて、虎太郎君だっている。
だから、大丈夫だよ。うん。うん。明日も配信するから、楽しみにしててね」
あまり長く会話をせずに、望月は電話を切る。
別に母との仲は悪くない。むしろ良好だ。けれど今は、長く電話をしたい気分ではなかった。
窓の外を見れば、次から次に街頭の光が通り過ぎていく。
その光を、望月はじっと見つめていた。
表情は少し寂しそうだった。