第147話 勝利と異変
敵は1体。けれどその姿は巨大。
表情のない顔が俺を見つめているが、敵対心だけは伝わってくる。
こうなるまではそもそも戦えるのかすら怪しかったが、今なら分かる。
戦えるに決まっている。こいつは、間違いなく俺達の敵だ。
『先手必勝!』
戦いの火ぶたを切ったのは、いつも通り竜乃だった。
最初から全開の、赤と蒼が融合したブレス。
全力全開の彼女らしい、勢いの良い紫色のブレスが奴に直撃する。
巨体ゆえに、目の斜め上に激突する火の奔流。
下層探索でレベルが上がった望月ちゃんのテイムモンスターである竜乃。
そんな彼女のブレスはフロアモンスターを一撃までとは言わなくても、大きく削るくらいまで威力を上げている。
けれど、巨大な影は――奴はピクリとも動かなかった。
「そ、そんな……」
望月ちゃんの信じられないものを見た声が、耳に届く。
どうやら奴は見かけ通り、そこら辺のモンスターとは格が違うらしい。
頭の中で弾を3発込める。
体内から紫電を発生させ、準備は万端。
地面を蹴って、飛び出す。
瞬間的に3発全てを回し、加速。一陣の風となり、そして砲弾となり、駆け抜ける。
頭突き。
紫のオーラを纏った俺と奴の頭がぶつかり、音と衝撃を生む。
体の大きさだけならば奴の方が遥かに上。
けれど持てる力に関しては俺の方が上だったらしい。
やや後ろへと押し出された奴を見て、にやりと笑った瞬間。
体を震わせた巨大な影。羽のような剣が超振動し、光の軌道を残しながら空へと浮かぶ。
あまたの剣が全て方向を変え、切っ先が俺に向く。
剣の雨が、文字通り降り注ぐ。
『っ!』
「虎太郎君!」
『虎太郎!』
四肢を全力で稼働させ、奴の周囲を走ることで剣の雨を避ける。
望月ちゃんが支援魔法を送ってくれて、これで避けるのはギリギリ。
竜乃も援護で剣を落とそうとブレスを放ってくれているが、数が多すぎてあまり効果がない。
剣を避けて、避けて――
『ぐっ!?』
急に体を襲った衝撃に、思わず声を上げてしまう。
あの巨体で、奴は素早く俺に突進を仕掛けてきた。
やや離れた位置に足を着け、奴の方を向けば、剣は奴の元へ翼のごとく戻っていく最中だった。
そして本体となる奴の体内には、俺と同じように魔力が練り上げられている。
魔法が、来る。
風を感じ、俺はこの魔法が風の上級魔法、ストリームだと瞬時に理解した。
敵を中心に小規模な竜巻を一つ生成する魔法だ。
俺は咄嗟に体が防御用にロックフォートレスを使用するのを必死で抑え込んだ。
ここで魔法を使うわけにはいかない。そんなことをしたらこれまでの準備が無駄になる。
(この程度の魔法なら、何もなくても――!?)
そう思った瞬間に、奴の羽根が飛翔した。
ストリームを展開しているにもかかわらず、羽を動かせるあたりあれは遠距離攻撃扱いなのだろう。
円を描くような軌道で剣がストリームの竜巻に吸い込まれていく。
上から下へ、そして下から上へという自然界ではありえない軌道を見せるストリームに剣が巻き込まれればどうなるか。
内部にいる俺が切り刻まれるに決まってる。
「虎太郎君!」
望月ちゃんの声と共に体を回復魔法が包んでくれる。
温かい光が傷を癒すものの、それ以上のスピードで体を剣が斬りつけていく。
(これは……相当効くな……)
ストリームならば、耐えられる。
けれどストリーム+多数の剣となれば話は別だ。全身に激痛が走り、血が流れている部分も多い。
けれどこの調子なら、まだ耐えられる。
背後から熱い風を感じつつ、俺はストリームの風が止み始めるのを感じた。
『こっちの――』
こっちの番だ。そう言おうとして顔を上げれば、奴は顔の正面に剣を円状に浮かべていた。
そして顔の正面には光が集まっている。
何か攻撃をしようとしているのは想像に難くない。
だが、だからといって止まるわけにはいかないのだ。
『食らえ!』
体内に満たした膨大な魔力を、開放する。
背後から出現するのは、巨大な津波。上の層で原始の精霊が見せた超級魔法、グランドウェイブ。
たとえどれだけの巨体であろうとも、この広域殲滅魔法には関係がない。
押し流してしまえ。
『なっ……』
奴の顔の前に広がっていた剣が方向を変える。
これまでは円の形に広がっていたが、巨体に沿うように方向転換した。
奴の体の構造がどうなっているのかは不明だが、確かにぐぐぐっと縮まり、まるで跳ねる準備のように。
そう思った瞬間に、奴は飛んだ。いや、伸びたのか、それとも跳ねたのか。
何と形容すればいいのか分からない。分からないけれど。
奴はグランドウェイブに頭から突っ込んだ。
勢いをつけて、打ち破るために突っ込んだ。
そしてその試みは、成功した。
巨体が波の向こうから飛び出してくる。
海で巨大な鯨が跳ね上がるかのように、水しぶきを上げながら。
(嘘……だろ!?)
こんな手段で超級魔法を撃ち破ってくるなど、思いもよらなかった。
(いや、そんなこと考えている場合じゃない!)
奴の顔の前には、まだ光が集まったままだ。
攻撃手段を向こうは持っている。
視界の先で、光が弾けた。
考えている暇などなかった。魔法は使ったばかりで使えない。
避けるにしても放たれた光線は速かった。
だから出来たのは、頭の中で可能な限り弾丸を込めることと、時間の許す限り回すことだけ。
許された回数は、2回。これ以上は無理と考え、俺は地面を蹴る。
もうこうなったら奴がやったことを俺もするしかない。
紫電をもって、この俺の今の体をもって、光線を突破する。
そう考え3発目を回すと同時に、衝撃が俺の全身を貫く。
光線の中を、体中を焼かれながら必死に手足を動かす。
4発目。5発目。ブレーキなど壊れた弾丸が、回り続ける。
限界と考えていた3発を越えて4発目も、5発目も。
これ以上回せばマズイことになるということも、体を満たしている熱が光線によるものではないことも、気づいてはいなかった。
ただ駆け抜けて、奴を正面から叩くことしか考えていなかった。
6発目。真っ白に染まる視界をほんの少しだけ黒く染めて。
7発目を回すと同時に、奴に激突した。
真正面から、あれほど重い巌のような巨体を押し出した。
『マダダ』
そう、まだ終わるわけにはいかない。奴はまだ生きている。
止めを刺さなければならない。そのために必要な魔力も、十分に満ちている。
だから、爆ぜろ。
火の超級魔法、ブレイズエンドを間髪入れずに発動。
奴の巨体を貫くように、火柱が発生し内部で延々と爆発が起きる。
体を焼き尽くされ、巨体が地面へと落ちる。
けれど、まだ生きている。だから奴を、奴の顔を。切り裂いた。
爪で巨体の奴の顔を切り裂いた。
けれど手応えは、もっと何か別のものを切り裂いたような感じがした。
奴が、消えていく。灰になって、消滅していく。
勝利の喜びが、体中を満たしている。危ない場面もあったが、勝てて良かった。
でも同じやつがまだまだこの下層には居る。まだまだ戦いは長そうだ。
そう冷静な頭で考えたとき。
『……あれ?』
数多くの疑問が、頭を過ぎった。
なぜ7発も回して大丈夫なのか。なぜブレイズエンドをあんなに早く放てたのか。
そもそも俺の体を満たした魔力はなんなのか。
最後に切り裂いたのはなんだったのか。
なぜ俺の視界がやや高いのか。
多すぎる疑問が頭を巡り、けれどそれを自覚できるほどに俺が平常であることも理解して。
これまでとの色々な違いに、それがさらなる疑問を生んだ瞬間に。
視線を感じ、俺は振り返った。
望月ちゃんや竜乃を見たかったのではない。彼女達が無事なのは気配で何よりも先に把握している。
だから俺が感じたのは、彼女達でない視線。
望月ちゃん達のそのさらに奥、これまで何の動きも見せなかった、佇むだけの人形だ。
『…………』
絶句するしかなかった。
両目と額、開かれた三つの目で、人形の眼は素早く左右に揺れていたからだ。
それは人が戸惑うときの瞳の動きではなく、深刻な異常をきたしたロボットのように思えた。