第144話 フランスからの帰国
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
エマとラファエルのカヌレ夫妻は望月と氷堂を歓迎してくれて、フランス滞在の最後の日まで夢のような日を過ごした。
さらに、彼らからしか聞けないであろう探索者に関する話や、戦闘でのコツなども伝授してもらった。
Tier0と遭遇するという非常事態もあったものの、それを加味しても行って良かったと思える。
そんなことをふと思った望月は、今は専用の飛行機の中で座席に沈み込むように座っていた。
隣には、ここまで連れてきてくれた氷堂の姿もある。
「氷堂さん、今回はありがとうございました」
「楽しかった?」
「はい、とても」
「それは良かった」
望月達と離れるのが名残惜しいのか、カヌレ夫妻は空港まで足を運んで見送りをしてくれた。
カヌレ夫妻というよりも、エマという方が正しいかもしれない。
別れ際に、彼女の豊満な体にまたしても包み込まれてクラクラしたのは記憶に新しい。
空を飛ぶ飛行機の中で、提供された飲み物を一口だけ飲み、望月は物思いに更ける。
帰れば、また明日から探索の日々だ。まだ攻略途中のTier1下層が自分を待っている。
攻略を完了させるには、まだまだ明らかにしなくてはならない謎が多いけれど。
「一つ、頼みがある」
顔を向ければ、じっと氷堂がこちらを見ていた。
首を傾げる。頼みとは何だろうか。
「今の下層を攻略し終わって、深層に行ったら、協力して欲しいことがある」
「協力……ですか?」
こんな機会を提供してくれた氷堂の頼みならば、相当無理なお願いでなければ望月は応じる気でいた。
けれどそんな彼女の要望は、協力してくれというものだった。
日本の頂点である氷堂心愛が協力して欲しい事とは何なのか。
氷堂の唇がゆっくりと動く。
「京都の深層ボスを倒すために、一緒に戦ってほしい」
「……え?」
不可能である氷堂の言葉に、望月は思わず返してしまった。
同時、飛行機はほんの少しだけ揺れた。
×××
東京Tier1中層、灼熱の火山地帯。
最深部にて、天元の華は武器を取り出していた。
だが、既に2つの地域をクリアした彼女達にとっては、地帯に出現するモンスターは大した敵ではない。
それでも壁を越えるためには必要だった。
絶え間ない魔法を行使する高く厚い壁、中層ボス、原始の精霊を倒すには。
火の精霊が、長い時間をかけて魔法を発動する。
上空から飛来する炎の柱。火の上級魔法、スパイラル・フレア。
並の探索者を焼き尽くす脅威に対して、金髪をポニーテールにまとめた伊藤優梨愛は迎え撃つ構えを取った。
火の精霊が魔法を行使するまで長い時間があり、その間モンスターは無防備だった。
大きすぎるその隙をわざと見逃したのは、この時のため。
「行けぇええええええ!」
天から降り注ぐ火の柱に対し、跳びあがり迎え撃つように蹴りを放つ。
水の魔法を足全体に纏い、さらにはパーティメンバーの武田和香の援護もある。
そしてそこには、新たに習得した力も。
彼女の脚が、真正面から炎の柱を打ち消す。
水による火の蒸発と、新たに習得した魔法をかき消す力。
その二つをもって、炎の柱を穿ち、穴をあけることに成功した。
芯を失った炎柱は瓦解し、辺りに火の粉をまき散らしながら消えていく。
パーティメンバーの支援もあるとはいえ、戦闘の要である彼女が、ようやく魔法を無力化する手法を手に入れた瞬間だった。
そのまま一気に火の精霊の元へと飛び、蹴りを入れてHPを削り取った。
魔法に特化した精霊は優梨愛の一撃を堪えきれずに、灰となってきえていく。
「うーん! いい感じ!」
着地した優梨愛は背後を振り返り、和香に向けてピースサインを作る。
和香もまた、笑顔で返した。
もちろん、まだまだ課題はある。別の魔法属性で打ち消せない魔法なら、この方法は使えない。
そもそも、原始の精霊が使う魔法は規模が大きい。
だからこの技が、全ての敵の魔法をかき消せるわけではない。
それでも、優梨愛としてはこれで十分だ。
道は、自分たちのリーダーが切り開いてくれると信じているから。
そういった意味を込めてリーダーの方を見れば、彼女は目を瞑って精神集中をしていた。
腰には二振りの刀があり、今は普段使わない方の黒い柄に手を添えている。
伊藤優梨愛は思う。関東最強の探索者は、望月理奈に違いないと。
いや正確には、彼女の使役する虎太郎に違いない。あれは自分達よりも遥かに先にいる。
けれど関東最強の剣士なら、優梨愛は胸を張って答えられる。
自分たちのリーダー、君島愛花であると。
闇の精霊は長すぎる詠唱を終え、ついに放つ。
闇の上級魔法、バニシング。
全てを滅ぼす黒き奔流が、愛花目がけて発射される。
音を聞いて愛花は柄を握り、目を開く。
瞬間、鞘ごと刀は白く染まり、彼女の足元から真っ白な桜の花びらが舞う。
「…………!」
真正面から、居合斬る。
白く染まった刀を振るう瞬間に、一瞬だけ巨大な白い風が吹いた気がした。
否、それは巨大な純白の刃のようにも見えた。
刃は黒い奔流に当たり、激突面から黒い奔流を白い花びらへと変えていく。
全てを滅ぼす光から、何の害もない花びらへと、変えていく。
白染・上の剣。
シークレットでもなんでもない、ただのスキルだ。
魔法を無力化するという能力を持った刀「黒夜」装備時のみ使用できるという制約のある、全世界で未だ君島愛花「しか」使用できない、スキルである。
黒い奔流を叩き斬り、愛花は地面を蹴る。
素早く黒い刀を鞘に納め、もう一つの普段使う桃色の鞘に収まる刀の柄に手をかける。
一瞬で刀の入れ替えを行い、闇の精霊を一刀のもとに両断した。
あっさりと倒され、優梨愛が倒した精霊と同じように消えていく闇の精霊。
これらは十分に役に立った。
パーティの前衛を務める伊藤優梨愛と君島愛花、二人が魔法を無力化する手段を手に入れる礎となってくれたのだから。
刀を桃色の鞘に入れ、愛花は顔を上げる。
見えるわけではないけれど、その方角の果てに巨大な樹木を見た。
そしてその根元に佇む、光の人型の精霊も、見えた気がした。
天元の華の準備は整った。
後は時間が、彼女達を導いてくれるだろう。
Tier1中層のボスへの勝利と、その先へと。
望月達がいくつかの謎に苦しんでいる、Tier1下層へと。