第143話 探索者の、壁
ただ、影がいたであろう方向を見ていた。
もういないけれど、それでも見ていた。
「コタロウ!」
声を聞いて、振り返る。
そこには、安心したように息を吐いたラファエルが空に立っていた。
彼に呼ばれ、俺は戻るために振り返って走る。
紫電を用いた突進でかなり遠くまで駆け抜けていたのか、戻るのには少し時間がかかった。
望月ちゃん達の元へと帰って簡単に確認したが、怪我人はいなさそうだ。
氷堂とエマはもちろんのこと、審判の銀球と戦ったラファエルにも大きな怪我は見受けられない。
「一応私達の専属職員には連絡したわ。Tier0のシルバーボールが出たって。
数字が偶数だったからいなくなって、もう大丈夫だということも」
「肯定。念のために茜にも連絡をしておいた」
エマの言葉に氷堂が続ける。
俺とラファエルが審判の銀球を逃がしてすぐに、メッセージを送ってくれたのだろう。
二人の手には、端末が握られていた。
「まさか……また審判の銀球に会うなんて」
「理奈は以前もあれに会ったことがあるの?」
望月ちゃんの発言に驚くエマ。どうやら彼女は最近の俺達の配信しか見ていないようだ。
「肯定。彼らは一度遭遇し、その際に無垢の白球と対戦し、勝利している。Tier2下層でのこと」
「Tier2下層の実力で勝ったの? その時から凄かったのねぇ……」
氷堂のフォローに驚くエマ。
補足説明をするのが望月ちゃんではなく氷堂であるのは疑問だが、そのくらい俺達の配信を見てくれているということだろう。ありがたい限りだ。
「それにしても、今回は聞いていたのとは少し違ったな。あのTier0は白いのが出た場合にすぐに消えるんじゃなかったのかい?」
「はい、前回はそうだったんですが……ラファエルさんとエマさんは銀球に出会ったことはないんですか?」
説明している最中で気づいたのか、望月ちゃんは尋ねる。
ラファエルとエマは揃って頷いた。
「えぇ、もう一体には出会ったことあるけど、シルバーボールは初めてだわ」
「もう一体?」
「アメリカのナイトリバーが倒した、レッドフラワーだね。
リヨンの下層で遭遇したんだけど、有効打を与えられなくて撤退したんだ」
ははは、と笑うラファエルに目を見開く望月ちゃん。
「お二人でも……勝てなかった?」
信じられないのは俺も同じだ。
当時の二人の実力がいかほどかは分からないが、Tier1下層を探索できているということは、今とそこまで差があるわけでもないだろう。
にもかかわらず、有効打を与えられなかったとはどういうことだろうか。
「ああ、そうさ。だから今回は偶数を示してくれてよかったよ。
奇数を示していたら、攻撃が届かなかっただろうからね」
「……あの、届かないってどういうことですか?」
「この話は秘匿されているので他言厳禁。Tier0モンスターには、普通の探索者はダメージを与えられない」
「……え?」
氷堂の口から発せられた衝撃的な真実に、望月ちゃんは目を見開く。
それは俺も同じだ。あの化け物たちが、傷つけられない?
「Tier0が強いのは言うまでもないけれど、そもそも体が硬すぎる。
弾いたり、ややずらすことは出来ても、ダメージを与えることが出来ない」
「……で、でもアメリカの探索者さんは倒したんですよね?」
アメリカの探索者、リース・ナイトリバーがTier0を一体討伐しているのは有名な話だ。
この実績をもってして、彼女は世界一の探索者の地位を不動のものとしている。
けれど今の氷堂の話が本当ならば、矛盾が生じる。
氷堂は首を横に振った。
「否定。師匠は壁を越えているから」
「師匠? 壁?」
「心愛はリースさんの弟子なのよ。
たまたま世界中を旅していたリースさんの目にとまって、色々な事を伝授されたみたい」
羨ましいわー、と言うエマ。
なるほど、そう言うことならば氷堂が日本でもずば抜けた実力を持つのも頷ける。
師匠が世界一の探索者なら、その弟子が日本で覇権を取ることは容易いだろう。
アメリカのNo1探索者なら、彼女しか知らないことも多いだろうし。
一回頷いて、氷堂は話を続けた。
「師匠は、世界で唯一壁を越えている探索者。壁はレベルの事」
「レベル?」
「肯定。例えばエマとラファエルは999。そしてこれらは、最高レベルではない」
氷堂の言いたいことが分かり、俺は唖然とする。
彼女の言う壁とは、レベル1000の事だろう。
「レベルの最大値が999以下の場合、Tier0に有効打は与えられない。
けれど1000を越えていれば、与えられる。師匠は、世界で唯一のレベル1000突破者」
「そう、だからさっきは本当にまずかったのさ。僕らも、壁を越えるために努力はしているんだけど、なかなかね」
「師匠が言うには、有効なダメージを与えられるシークレットスキルもいくつかあるらしい。
持っていたらラッキー」
「それもリースさんが持っているものしか確認されていないけれど、実は誰か持っていたりするのかしらね」
その話からすると、世界でTier0に対抗できるのはたった一人ということになる。
Tier0の化け物っぷりがよく分かると同時に、リースという探索者がどれだけ規格外なのかと思った。
「……あれ?」
視線を感じて振り返れば、望月ちゃんが俺を見ていた。
「肯定。彼は、壁を越えることが出来ると私は思っている」
「この説だけど、探索者はレベル1000を越えられない。
でもモンスターではレベル1000越えも確認されているの。
それに探索者に縛られないイレギュラーなら、ダメージを与えられる」
「つまりコタロウ。君は僕らの一つの希望ということさ。
さっきの一撃だって、君は銀球にダメージを僅かに与えているように見えた。
僕のシークレットスキルでシルバーボールの動きを遅くしたけれど、追撃をエマでもなく心愛でもなくコタロウに任せて、良かった」
『そう……だったのか』
彼らは俺に期待しているのだ。ダンジョンの脅威に立ち向かえる、二人目になることを。
その期待が嬉しくもあり、同時に潰されそうなほど大きくも感じた。
「キミだけに任せるつもりはない。私も壁を越える」
「もちろん、私達もね」
頼もしい二人の言葉に、俺は笑う。
今回は逃がしてしまったが、いつかあの審判の銀球を倒せる日も来るかもしれない。
そのために、もっと力を付けなくては。
途中、Tier0と遭遇するという非常事態は起きたものの、それ以降は特に何事もなく日は過ぎた。
そして俺はフランスでのカヌレ夫妻との交流を終える。
ラファエルのみならず、その後エマと戦ったり、二人と氷堂の戦いっぷりを見て、盗めるところは盗んだ。
この海外交流プログラムが俺の今後に良い影響を与えてくれるのは、疑いようがなかった。