第139話 カヌレ夫妻のもてなし
海外交流プログラムでは、行った先の国で探索者はホテルを取ることが多い。
もちろん宿泊費などは日本の政府が全額負担するので、他の国に向かった上位探索者はこの制度を利用するのだという。
一方で、氷堂はこのプログラムに例年選ばれており、フランスには毎年訪れているそうだ。
共に交流を図るのは毎回カヌレの夫婦で、気に入られた氷堂は家にまで招待されるのが通例だそうだ。
カヌレ夫妻と氷堂の関係性を見ると、海外交流という目的は十分すぎるほど達成できているように思える。
そんなことを最初は思っていたのだが、エマから望月にも声がかかり、彼女もまたカヌレ夫妻の家にお邪魔することになった。
最初は遠慮気味だったが、まるで近所のおばさんのように気前の良いエマに圧されたというのもあるのだろう。
エマの見かけは近所のおばさんというよりも、遠くの綺麗なお姉さんだが。
そんなわけでフランス来訪初日ということもあり、ダンジョンの探索は早々に切り上げ、望月はカヌレ夫妻の家に来ていた。
庭が広く、入り口をガードマンが警護する、いわば豪邸である。
そのあまりの生活感の違いに、望月が口を開けっ放しになってしまったのは言うまでもない。
現在の時間帯は夜21時頃。
望月たちはエマが事前に用意してくれていた食事に手を付け終え、一息ついていた。
「里奈、紅茶もコーヒーもあるけど、どっちがいい? 心愛はいつもコーヒーなんだけど」
「あ、コーヒーでお願いします」
「おっけー、ミルクは?」
「お願いします」
にっこりと微笑んでキッチンへと戻っていくエマ。
この家に来てからというもの、彼女の世話になりっぱなしだ。
夕食のときには次々と食べ物を勧められたし、空調に関しても気遣ってくれた。
時差ボケを起こしていないかを心配されたが、今のところ望月は健康そのものだ。
「そうだ里奈。部屋は心愛と同じ部屋でいいかい? ちょうど客室のベッドが二つあるんだ」
「はい、大丈夫です」
ラファエルもまた、望月のことを気遣ってくれている。
なるべく同じ日本人である氷堂と一緒に居れるように、あまり会話を振ってこないのも彼の気づかいなのだろう。
「はい、どうぞ」
キッチンからエマが帰ってきて、ミルクを入れてカフェオレになったコーヒーを望月の前に置く。
ラファエルの前にはワインが、そして氷堂の前にはブラックのコーヒーが置かれた。
流石氷堂さん、ブラック飲むんだ。
そう思い、じっと氷堂の様子を観察するものの、一切飲む気配はない。
プレートをテーブルの端に置き、エマも席に着く。
彼女もラファエルと同じワインを選んだようだ。
「あ、そうだわ。以前心愛から聞いたけれど、里奈って配信をしているでしょう?
大丈夫? なにかトラブルとかってないのかしら?」
不安そうに尋ねるエマに、一口コーヒーを飲んでいた望月はカップを置いて頷いた。
「はい、専属職員の神宮さんには良くしてもらっています」
その神宮と毛利はホテルに泊まっていてここには居ない。
しっかりと答えにもかかわらず、エマの表情は晴れなかった。
「うーん、そうじゃなくて・・・」
「エマは里奈が可愛らしいお嬢さんだから心配なんだよ。お母さんみたいなものさ」
「そうよ! 気をつけなきゃだめよ? 変な話に乗ったりとか、変な人についていったりとか、ダメだからね?」
「大丈夫ですよ」
やや過保護なエマに、思わず望月は微笑んでしまう。
まだまだ若いであろうエマが母のように自分を案じているのが、暖かくもあり、照れくさくもあった。
望月の母はたった一人だが、こんな風に心配されるのは嬉しいものだ。
「肯定。心配はいらないと思う……」
「心愛みたいに不愛想なら容姿が良くてもプラマイゼロなんだろうけど、里奈は人が良さそうだから心配だわ」
「心外である。撤回を要求する」
氷堂の抗議の声を無視し、エマはなおも心配そうに望月を見つめた。
「こんな調子だと、もしも僕らに娘ができた場合は大変そうだ」
「あら、いやね。どちらかというと過保護になりそうなのはあなたよ?」
「いやいや、そんなことはないよ」
まだ生まれてもいない息子か娘に対して過保護になるならないを押し付け合うエマとラファエル。
仲の良い二人を見ながら、おそらくどっちも過保護になる、と望月は思った。
過保護になるならない論争はしばらく続いたものの、やがて一つの区切りを迎える。
不意に、そうだ! とエマが声をあげた。
「心愛が一緒に配信に出ればいいんじゃない? 心愛が居れば安心だわ。
それに、コタロウと同じく、良い虫よけになるわよ」
「先ほどからのエマの発言に苦言を呈し……いや、ちょっと待ってほしい。
私が、配信? いや、それは……でも……」
呆れたようにエマに反論しようとした氷堂だが、言われた内容を理解してしどろもどろになる。
今もあーでもない、こーでもないと珍しく何かに悩んでいるようだ。
「エマ、そもそも心愛は京都、里奈は東京だ。同じ日本でも、遠すぎるよ」
「……それはそう」
ラファエルの言葉に、心愛も同意する。
けれどその声はやや低く、彼女からは不満感が漂っていた。
そんな氷堂の様子を見て、望月は提案する。
「氷堂さんが良ければですが、たまにコラボとかもしてみたいな……なんて」
「ふむ……楽しみにしている」
意外とドライな氷堂の反応に、望月はあれ?と感じた。
これまでの感じから、氷堂も快くOKでしてくれるかなと思ったのだが。
結果としてはOKなものの、返答はやや不思議な感じだった。
「あの謎の多い下層をどう攻略するのか、楽しみにしているわ。
それにしても、里奈の後ろをついてくる人形は不気味ね。あれがジャパニーズホラーってやつなのかしら。
あんなのがずっと着いてくるなんて、嫌よね」
「急に動くかもしれないしね」
「怖いこと言うのやめてよ。私だったらもう探索すら諦めてそうだけど、里奈は凄いわ」
「エマは怖いものが大の苦手だからね。里奈の配信を見返しているときも、Tier2下層のときは僕の腕を掴んでいたくらいさ」
「ラファエル、明日のワイン無しね」
「なんてこったい」
酔うとテンションが少しおかしくなるのか、饒舌に妻を弄るラファエル。
そしてそんな彼に慣れているのか、冗談か分からない返しをするエマ。
そんな二人のやり取りを見て、望月はしみじみと思う。
きっと自分の両親にも、今の二人のような瞬間があったんだろうと。
隣に座る氷堂がコーヒーに口をつけ、ほんの僅かに眉を顰める。
その後、しばらく彼女はコーヒーに口を付けなかった。