第127話 現れた不可思議な存在
呼び出され、ゆっくりと目を開ける。
目の前には、昨日も一緒にいた望月ちゃんが笑顔で立っていた。
「こんにちは虎太郎君! 今日から下層探索、頑張ろうね!」
気合十分に握りこぶしを作る彼女の背後には、澄み渡る程の青空が見える。
地下に来ているはずなのに空がある不自然さは、ここがダンジョンであることを物語っていた。
そしてその青空を優雅に飛行する虹色の鯨の姿は、ここがTier1下層である証拠だ。
昨日は丸一日雑談配信で結果的に逃げることになってしまったが、今日は向き合えることが出来そうだ。
周りを見れば、すぐ近くにダンジョンの機器が見受けられた。
どのダンジョンにも入り口付近に機器が設置されていて、そこから現実世界に戻ったり、また戻ってくることが出来る。
機器と入り口の距離は近すぎるために、基本的にはモンスターと戦うことはない。
つまり、今日がTier1下層のモンスターとの初戦闘である。
ほんの少し高い丘に位置するここから、下層を見渡す。
流石に下層の限界まで見える程高くはないが、それでもここの生態系が異常であるのは火を見るより明らかだった。
目に映るのは、見たこともない生物や、知っている生物でもおかしな色をしているモノばかり。
(……何が起こってもおかしくない、ってことだよな)
全く知らない層に加え、これまで俺達は多くのイレギュラーに遭遇している。
ユニークモンスターやTier0、通常とは異なる行動をするボス。
おそらくこの層でも、それは起こりうるのではないか。
そんな事を思っていると、視界の隅に配信ドローンの準備を丁度終えた望月ちゃんが映った。
そちらを見ると「よしっ」と頷いている。
そろそろ時間のようだ。
「竜乃ちゃん、虎太郎君、配信始めるよ」
望月ちゃんに呼ばれ、俺と竜乃は彼女の元へと近づく。
俺が望月ちゃんの右に、そして竜乃が望月ちゃんの左に浮かぶいつもの配置だ。
配信ドローンが起動する。すでに待機していたのか、始まった瞬間に非常に多くの視聴者達がコメントを打ちこんでくれた。
“こんにちはー”
“こんにちは”
“おつかれっす!”
“おっ、やったダンジョンの中っぽい!”
“探索者テントではないということは……ここが?“
“前人未到の下層来た!?”
これまで謎のベールに包まれていた下層がやっと見れるということで、視聴者達の興奮は冷めやらぬようだった。
見てくれている人の数も、中層のボス戦の配信での視聴者数に追いつきそうな勢いだ。
「皆さん、お待たせしました。今日からTier1下層を攻略していきます」
望月ちゃんはそう言ってカメラを動かし、見える範囲を映す。
そこには当然、現実世界には居ない生物や、色が異なる生物がいるわけで。
“うおおおおお。なんだあれ!?”
“鯨が空飛んでる!? つーかめっちゃデカ!”
“全身緑の鳥って、曲のPVとかではたまに見るけど、実物として見るとあんまり目立たないな”
“綿毛なのか? なんだあれ? 本当に生き物か?”
“今のは兎か? あんな紫みたいな色で、耳の短いやつなんか見たことないぞ”
幻想生物達の住む世界に、コメントは興奮一色だ。
それらのコメントを見ながら、俺は考えを巡らせる。
普通に考えれば、目に見える生物の全てがモンスターというわけではなさそうだ。
例えば、今樹から飛び立った緑色の鳥や、紫色の兎のような生物は倒しても経験値などは入らないだろう。
けれどやや大きいものに関してはモンスターと思って良いかもしれない。
それこそ、宙に浮かぶあの巨大な虹色の鯨なんかは。
(あれ……中ボスか?)
まだ下層を十分に探索できていないので、どんな施設があるかは把握できていない。
けれど、空を飛ぶ鯨は大きさに関してはこれまで戦ってきた中ボスやボスよりも上だ。
ただ仮に中ボスだったとして、どのように戦うのだろうか。
こちらは飛べるのが竜乃しか居ない上に、いくら竜乃でもあそこまで飛ぶのは無理ではないだろうか。
「とりあえず下層を探索したいのですが、もう少し高いところから観察したいので、あの高い丘を目指そうと思います」
望月ちゃんが指さしたのは、丘というよりも山に近かった。
道がうっすらと見えるので、登ることは出来るだろう。
「まずはあそこに行って下層の全貌を掴みます。その間にモンスターと遭遇すると思いますが、もしも敵が強すぎたら撤退しますね」
やや緊張しつつも、決意の籠った瞳でそう説明した望月ちゃん。
高い丘まではやや距離があるものの、遠すぎるというわけではない。しばらく歩けばたどり着けるだろう。
俺達は低い丘を下り始める。
正面に高い丘を捉え、視界の隅に見たことのない生物達をおさめながら、歩く。
丘を下りきり、木々の生い茂る森を抜けて背の高い丘を目指し始めた時。
急に、背後に気配を感じた。
(っ!?)
驚いたのは気配を感じたこともそうだが、その近さにだった。
あまりにも近くに感じる気配は、俺達のすぐ後ろにある。
それこそ、俺、竜乃、望月ちゃん、その気配という配置だ。
あまりにも望月ちゃんに近いその気配に俺は弾かれるように振り返り、地面を蹴る。
たった二歩で望月ちゃんの背後へと移動し、気配を威嚇するように唸りながら見上げた。
『……はっ?』
唸りを忘れてしまうほど、驚いてしまった。
俺達についてきていたのは、一人の少女だった。
白銀に光り輝く長い髪に、真っ白な、けれど何重にも重なった着物のようなもの。
けれど白いマントや襟立は、それが俺の知る日本の着物とは文化が異なっていることを物語っている。
少なくとも、見たことがない衣服だ。
じっと見つめ、俺はそれが少女ではないことに気づいた。
「…………」
言葉も発さないそれは、おそらく人形だ。
透明なガラスのような無機質な瞳に、生気を感じさせないやや機械的な肌。
(なんだ……これ……人形?)
目の前の不可思議に、俺は警戒を強める。
対峙した感覚のみで言えば、とてもモンスターには思えない。
強さも、脅威も感じない。戦って負けるような存在ではないというよりも、そもそも戦うという選択肢が浮かばないような相手。
けれどこの人形は、いきなり俺達の背後に現れた。
これは、一体何なのか。
『お前……なんなんだ?……』
俺がそう問いかけた瞬間。
人形の額が急に開き、第三の目が俺を見つめた。
突然の光景に俺は警戒を最大に引き上げ、すぐに飛び掛かれるように四肢をやや折り曲げる。
しかし、依然として人形は襲い掛かってくる様子はない。
「認証」
その言葉は、俺や竜乃が話すような声ではなく、望月ちゃんのような探索者の出す声に似ていた。
人形の第三の目は俺をじっと見つめ、そして何度か震える。次に俺を見るために斜め下を向いていた第三の目は真正面を向き、停止した。
やがて最後に一回だけ人形の二つの瞳も一瞬だけ揺れ、停止。
文字通り完全に動きを止めた。
言葉を発することもなく、瞬きをするわけでもない。
襲い掛かってくる様子もなければ、魔力が湧き上がる様子もない。
ただそこに在るだけの、ただの人形。
『お、おい……?』
「…………」
恐る恐る問いかけても、無言。
それどころか、三つの目はただただ正面を向いていて、俺を視界に入れていないようにも見えた。
「こ、虎太郎君……これ……大丈夫なの?」
恐る恐る問いかけてくる望月ちゃん。
その言葉にも、人形は全く反応を返さない。
望月ちゃんの方を振り返り、一回頷いておく。
その間も人形には意識を割いていたが、動く様子はやはりなかった。
(なんなんだよ……これ……)
早速訪れた意味の分からないダンジョンの仕組みに、俺は内心で頭を抱えるしかなかった。