第113話 そして、未踏の地へと足を踏み入れる
「虎太郎君! お疲れ様! 痛いところとかない?」
笑顔で、けれどその瞳には心配の色を滲ませて望月ちゃんは俺の元へと駆けてくる。
自分だってまだ怪我をしていて治癒魔法をかけているのに、意識は完全に俺の方に向いているようだ。
あいにくと、ずっと望月ちゃんからの支援を受けていたためにダメージはほとんど残っていない。
やや体は怠いが。大丈夫という意味を込めて、強く頷いておいた。
俺の体を様々な角度から確認した望月ちゃんは、大きな怪我がないことが分かるとほっとしたように息を吐く。
彼女は辺りを見渡し、そして今気づいたと言わんばかりに目を見開いてそちらへと歩みを進めた。
そちらの方を見てみると、精霊が落としたであろうドロップ品がある。
軽く確認した感じだが、望月ちゃんがつけられそうな装備は無さそうだ。
戦利品を確認し、ストレージに収めていく望月ちゃんを見ながら、俺は先ほどの精霊の言葉を思い返していた。
(見事だ……か)
最後の言葉がそういった内容だったとして、精霊か、あるいはその背後に居たなにかは俺を知っているようだった。
それなら知っているのは探索者としての俺ではなく、おそらく。
『虎太郎! お疲れ様!』
思考の海に浸かっていると、背後から声をかけられる。
ゆっくりと振り返れば、竜乃が羽ばたきながらこちらへと近づいてきていた。
先に望月ちゃんから治癒魔法を受けていたのか、傷はもう癒えている。
先ほど彼女が放ったブレスを思い出し、素直に口にした。
『竜乃もお疲れ。さっきのブレスは驚いたぞ。赤と蒼を混ぜて紫にするどころか、それが俺を後押ししてくれるなんてな』
『イメージ自体は前からあったんだけど、なかなか形に出来なかったのよね。
でも今回成功して本当に良かったわ。でも、それを言うなら虎太郎もでしょ?
凄かったわよ、最後の紫電。濃くなると黒っぽくなるのね』
『ああ……そうみたいだな』
今までなるべく考えてこなかったことを指摘され、俺は少しだけ口ごもる。
紫の弾丸を何度も使った効果だと竜乃は思っているようだが、それだけではない何かを俺は自覚していた。
――■■■■
今でもぞっとするその一言を思い出す。
あの時、俺は俺でなくなるような感覚に陥っていた。
これまでも正気を失うようなことはあった。
初めてスールズと戦ったのは正気を失ってモンスターを狩りつくした後だったし、紫電に目覚めた時だって意識はなかった。
その時と同じではあるのだが、何かが違うような、そんな。
(……どっちにせよ、紫の弾丸は連発するのは辞めた方が良いな)
最善の策は分かっているので、内心でそう言い聞かせる。
けれど同時に、そんなことは出来るだろうかとも一瞬思った。
結局、どうせいつかは使ってしまうんだろうと。
けれどこのままの勢いで強くなれば、それだけ使っても大丈夫になるのではないかと。
「あぁ……」
落胆するような声を聞いてそちらを見ると、いつの間にやら望月ちゃんがやや遠くでしゃがみこんでいた。
その足元には、配信用のドローンが落ちている。
光は点灯しておらず、配信をしていないのは明白だ。
けれどそれだけではなく、そもそも配信ドローンが壊れているようにも見受けられる。
(あ……)
最後に精霊が放った光の超級魔法。
光の球体が放った壁は俺の突進で壊すことには成功したが、それでも望月ちゃんや竜乃にダメージを与えた。
望月ちゃんがボルト・ゼロを使用してギリギリ耐えられる威力の魔法を、配信ドローンが耐えられるはずがない。
こうなってしまったのは当然の結果というかなんというか。
いずれにせよ、配信を見ていた視聴者達は俺達が中層のボスを倒したことをまだ知らない筈だ。
「えっと……一応SNSでは報告しておこう」
ポンッと手を叩き、望月ちゃんは端末を取り出して指をスムーズに動かす。
ボス撃破の報告をSNSですると満足して頷き、端末をポケットに仕舞った。
「よし、じゃあ竜乃ちゃん、虎太郎君、下層に……行こうか」
俺達二人に目線を向けて望月ちゃんはそう告げる。
頷いたことを確認した彼女は頷きで返し、歩き始める。
その後をついていけば、広い空間の先、巨大な樹の根元に穴がある。
人ひとりどころか、三人は余裕を持って入れそうなほど大きな穴だ。
あそこを下れば、おそらく。
近づいてみれば、そこは先の見えない下り階段になっていた。
この先は前人未到の地。望月ちゃんは俺と竜乃の存在を再度しっかりと確認し、階段に足を掛ける。
コツン、コツンと足音を響かせながら階段を下っていく。
途中、いくつかの広い空間に出たが、当然誰も居なかった。
俺達が初の到達者なので、政府の職員が居るはずもない。
(そのうちここにも職員が配置されるのか?
あんなボスを倒せる段階で探索者としては異常なレベルだし、置かなくてもいいと思うけど)
そんな事を考えながら何度目か分からない広い空間で折り返し、さらなる下り階段と向かい合ったとき。
その先に、光を見つけた。
おそらくあれが、下層への入り口か。
その光に導かれるかのように、俺達は階段を下っていく。
少しずつ光が大きく、そして近くなり。
俺達はその層へと足を踏み入れた。
「っ……」
隣に立つ望月ちゃんが息を呑んだ。
そしてそれは俺も同じ。
正直なことを話すと、予想していたことがある。
俺が中層で倒したユニークモンスターはこの下層から来た筈だ。
そしてその姿は白い虎だった。それこそ中国の四神の一体、白虎を想起するような。
だからこの下層のテーマは四神で、青龍や朱雀といったメジャーな敵がボスとして立ちはだかるのかと思ったのだが。
俺達の視界に映ったのは、雲一つない美しい青空。
そしてそこを悠々と飛行する、虹色に輝く鯨の姿。
木々から飛び立つ鳥の色は淡い緑色で、地面付近にはピンク色の綿毛の何かが、風船のように膨らんでふわふわと移動していた。
見慣れない生物のみならず、見慣れた生物ですら色合いが普通ではないことが分かる光景が、目の前には広がっている。
それだけで、この下層のテーマがなんであるのかが分かった気がした。
ここのテーマはおそらく、幻想の生き物たちだ。