第106話 その刀で、道を切り開け
「っ!」
堪えきれなくなった優さんが立ち上がろうとする。
その腕を、隣に座っていた恵さんが掴んだ。
「優さん、落ち着いてください!」
「落ち着いて!? お姉ちゃんが死んじゃうのに、落ちついてられるわけ――」
「あなたではそもそもTier1の中層に行けません!!」
恵さんの叫び声に、優さんが体を揺らす。
少し冷静になった頭で考えて、恵さんの言っていることが正しいと理解したのだろう。
「ボス部屋に挑める望月さんであっても、今からでは間に合いません……」
「なら……ならここで黙って見ていろって言うのか!?」
掴みかからんばかりの剣幕で叫ぶ優さんの気持ちは痛いほど分かる。
ここからでは愛花さんを助けるのは不可能だ。
頭ではそう分かっていても、感情は抑えられるものではないから。
けれど不意に、モニターを見つめていた望月ちゃんがポツリと呟いた。
「……愛花さん、まだ諦めていないみたいです」
その言葉に優さんと恵さんは向かい合うのをやめ、二人揃ってモニターに視線を戻した。
画面の中の愛花さんは俯いてはいるものの、諦めたような雰囲気は出していない。
むしろ、なにか強い決意に満ちたようなピリピリとした雰囲気だ。
「お……ねえちゃん?」
その声に答えるように、愛花さんは顔を上げた。
強い意志の籠った目を精霊に向けたまま、ポケットに手を入れた彼女はそこから一つのキューブを取り出す。
ダンジョンでドロップする素材で作成できる簡易なストレージだ。
普段は回復薬や状態異常を回復する薬、探索者用テントキットなどを入れておくのだが、その箱だけは一般的なものとは異なっていた。
望月ちゃんの持っているのは灰色の一般的に流通しているものだ。
けれど今愛花さんが取り出したのは、白をベースとして金色の装飾がなされている。
彼女はそのキューブを操作し、手のひらに握った。
光が溢れ、ゆっくりと形を作り始める。
フォルムは直線と曲線を描き、形がはっきりとしていくにつれて、それが刀であることを理解した。
やがて光が弾け、愛花さんの手に収まったのは一振りの刀。
それを黒い鞘から解き放てば、木漏れ日によって刀の全貌が映し出される。
漆黒の柄に、紫の刃と白の波紋。
その刀を、俺はよく知っている。情報としても知っているし、見たこともある
(あれって……まさか……)
探索者にとって武器は大事だが、予備の武器を持つ者はほとんどいない。
武器のレベルが上がれば上がる程壊れることがなくなるというのも理由の一つだが、そもそも持ち歩きが出来ないというのがあげられる。
回復薬などがキューブの容量のほんの一部を占めるのに対して、武器はそれよりもはるかに多くの領域を占めてしまう。
キューブ一つ作るのにもそれなりの素材と金銭が必要だ。メインで使用するわけではない武器に、そこまでする探索者が少ないのは当然ともいえる。
しかも、武器は上等なものになればなるほど、容量を要求する。
Tier2下層ボスがドロップした刀など、一般的なキューブに収まる筈もない。
愛花さんがつい先ほど使用した特別製のキューブだって、ほぼ全ての容量を食い尽くしているはずだ。
にもかかわらず、愛花さんがそれをしている理由なんて一つしかない。
「僕の……刀だ……探索者を辞めたときに、お姉ちゃんに渡した……なんで……」
大事な肉親からの贈り物を、大切に保管しておきたかったから。
その証拠に、モニター越しの愛花さんは穏やかな、けれども苦笑いの混じった表情を浮かべていた。
出来れば使いたくなかった、大事にしまっておきたかったという彼女の気持ちが、伝わってくるくらいには。
「……お願い……黒夜……」
優さんは目を瞑って手を組み、祈るように武器の名を呼んだ。
モニターの先では愛花さんが立ちあがり、大きく息を吐いている。
右手には黒夜、そして左手には黒夜の鞘。
敵は金色に光り輝く、一体の精霊。
愛花さんの視線が素早く動き、精霊の背後の入り口の扉を認めた瞬間に。
精霊の中で強大な魔力が動き、魔法が放たれた。
天空から、煌めきの雨が降り注ぐ。光の上級魔法、セイクリッド・レイン。
一つ一つが強大な威力を持つ光線の雨を、愛花さんはひたすらに避けながら精霊へと接近する。
光の雨が体を掠りながらも、愛花さんは止まらない。
その動きに精霊はセイクリッド・レインを停止させ、すぐさま背後に多数の氷柱を作り出し、射出する。
水の中級魔法、アイスニードル。それを体を翻して避け、避けられない氷柱に関しては刀で叩き割って愛花さんは前へと進む。進み続ける。
精霊との十分な間合いに入り、彼女は刀を鞘に納め、その状態で一歩を強く踏み出す。
刀を体の背後に回し、柄を強く強く握りしめ、そして。
刀を抜き放つことなく、脚力のみで精霊をすり抜ける。
攻撃するのではなく、入口へ向かうことを最優先にした逃げの一手。
刀を新たに取り出し、戦闘態勢を取った愛花さんに対して精霊は拳を突き出すことで応戦しようとした。
けれど彼女はその攻撃を避けるように、もう精霊の背後に抜けている。
隣に座る優さんが息を呑み、隣の望月ちゃんから歓喜の雰囲気が出る。
俺も、愛花さんは助かったと、そう思った。
彼女の前に、大きな波が押し寄せるまでは。
水の超級魔法、グランドウェイブ。
精霊が愛花さんを葬るために放ったのは、逃げ場のない全体魔法。
巨大な津波が、たった一人のちっぽけな愛花さんへと押し寄せる。
愛花さんは止まることも迷うこともなく、そこへと一直線に突っ込んでいく。
『ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!』
雄たけびを上げ、限界まで加速した彼女は刀を抜き放つ。
黒の刃に白い光が宿った、優さんから受け取った黒夜を。
一閃。
刀の刃が津波を斬り裂くように流れ、白い光が煌めく。
魔法を消す力が備わっていたのだろう。
刀を振り抜いた瞬間に、津波の一部をかき消して愛花さんの前面に道を作った。
巨大な壁となっていた津波を背後に、愛花さんは駆ける、駆け続ける。
津波が消えるよりも早く彼女は入り口付近までスピードを緩めることなく走り抜け、そして。
配信用のカメラドローンと共に入り口の扉を通り抜けた。
その体を優梨愛さんが受け止め、すぐに明さんと和香さんが扉を閉じる。
配信ドローンは最後まで部屋の中を映しており、扉が閉まり切るその瞬間まで、精霊はじっとこちらを見つめているようだった。
『愛花! 愛花! 大丈夫!?』
『うん……なんとか……ね。でも、もう動けないや』
『愛花……本当に凄かったよ。愛花』
大きく息を吐いて、そして小さく笑う愛花さんと優梨愛さん。
安堵して扉に背を預けて座り込む明さんと、その様子をニコニコと眺める和香さん。
この日、天元の華は誰一人欠けることなくTier1中層ボスの偵察に成功した。
それに大きな役割を果たしたリーダー兼エースは、黒い刀を優しい目で見つめていた。