第102話 頂点にしか見えないもの
広く、高級そうな――けれどどこか可愛げのある家具で彩られた一室。
そこで桃色の椅子へと腰かけ、モニターを食い入るように見つめる女性が一人。
彼女の揺らぐことのないまっすぐな視線の先では、まさに先ほど巨大な雷が炸裂し、今は土煙が晴れていくところだ。
女性の予想通り、そこにはもう光の地帯の中ボス、騎士王の姿はなくなっていた。
中ボスを討伐しても、階層ボスを倒したときのように特別な報酬があるわけではない。
もちろん通常ドロップ品だけを考えてもそれなりに高価なものではあるのだが、どちらかというと景品は中層の階層ボスへと挑める権利だろう。
今、東京のTier1ダンジョンでその資格を得たのは天元の華と、モニターに映る望月達だけだ。
1人と2匹で喜びを分かちあい、その後配信ドローンに対して望月が挨拶をして、お辞儀をする。
火の地帯の時と同じく、中ボスを倒して今日の配信は終了らしい。
これまでの流れから察するに、今後は少しの間、休憩という意味の軽い探索を交えることになるだろう。
――ほぅ
息を吐き、女性は満足そうに何度も何度も頷く。
彼女の頭の中ではすでに先ほどの戦いの光景が蘇ってきていた。
望月、竜乃、そして虎太郎。
それぞれの役回りとそれぞれの連携を思い出しながら、女性は背もたれに身を預けた。
興奮するには十分すぎる一戦で、特に竜乃と虎太郎の連携には胸が熱くなった。
大きな敵との戦いではいつもそうなのだが、彼女は毎回新鮮な感動を覚えていた。
彼女はややつり上がった口元を隠そうともせず、頭を倒す。
しかし、椅子がギシっと音を立てると、いつもの無表情へと戻った。
「…………」
素振りすら見せないが、あることを考えていた少女はすっと姿勢を正し、モニター横に置いてある小さなノートパソコンに目を向けた。
普段は連絡用にだけ使用しているPCの画面では、一つのメッセージアプリケーションだけが立ち上がっている。
あて先は、京都の政府支部の専属担当者だ。
彼女はモニターとPCの画面をかわるがわる何度か見た後に、キーボードに手を付けた。
指を素早く動かし、以前から来ていたメッセージに対して返答を行う。
最近はアメリカでとある女性と会う以外は義務として参加していた政府の企画だが、今回は話が違う。
メッセージの返信内容に望月の名前を入れ、送信。
画面内で読み込みが発生し、送信が完了した音が鳴るのを確認すると、PCの電源を落とした。
流れるような動きでノートPC横の端末を手に取り、起動。
そこから今まで数回しか使用していない連絡先を探す。
全体の件数が少ないために、お目当ての連絡先はすぐに見つかり、コールボタンをタップした。
数回の呼び出し音の後、相手が電話に出る。
『もしもし? ……なんですか、氷堂さん』
電話口の声は男性のもので、電話をかけた氷堂に対して警戒するような色が混じっている。
しかし氷堂は気にすることなく、男性へと尋ねた。
「今から東京に向かう……Tier1の中層、ボス部屋の前まで連れてって」
『……どういった風の吹き回しで?』
「望月理奈に、用がある」
その言葉に、電話口の男性が息を呑む音がした。
『……なるほど、ここまで有名になっていれば、それはあなたの耳にも入るか。
望月理奈は、あなたの探していた人かもしれないと?』
「否定。正確には、なったかもしれない」
男性の言葉を一部だけ否定するも、言い回しが簡略化過ぎたのか、戸惑うような返答が聞こえた。
『……それ何が違うんです? まあいいです。いつの何時ごろ来ますか?』
「日時は後ほどこちらから指示する。ただ、おそらくだが休日の昼過ぎになると思われる」
『……え? いつか分からないんですか?』
「肯定。だがその時は必ず来る。待つのは私も同じ」
『あぁ、ホテルに滞在するってことですね。了解です』
「最高級スイートを予約した」
電話でのやり取りは三回目、顔を合わせてでの交流を含めても四回目だ。
けれど男性の口調は氷堂がどういった人なのかはよく分かっているような口ぶりで、時折溜息をつきたそうな返答も見受けられた。
用件は伝え終わたので氷堂は電話を切ろうとするが、電話口の男性は黙っている。
電話を切られるのを待つのではなく、何かを聞こうとしている雰囲気を感じ取り、氷堂はしばらくそのまま待った。
『氷堂さん……望月理奈をどう思いますか?』
質問が包括的ではあったが、真に聞きたいことを読み取り、氷堂は口を開く。
「近い将来、東京は京都に並ぶ。他ならぬ彼らの力によって」
『あなたと同じ、規格外という事ですか……』
「否定。私達はあくまでも壁に挑める者にすぎない」
壁が存在しない、本当の意味での規格外は氷堂にとって「人間では」一人だけ。
『またその話ですか。氷堂さんにしか分からない感覚ですが、あなただからこそ見えている景色というやつなんですかね。わかりました。それではいつでもダンジョンに入れるように準備はしておきますので、その時になったら声をかけてください』
「助かる」
『それでは、失礼します』
電話が切られる音に合わせて、氷堂は端末を机に置いた。
準備と移動を合わせても、この京都から東京まで今日明日あれば十分すぎるお釣りがくる。
東京に行き、ホテルで望月の配信を確認すれば、彼らが中層のボスに挑むタイミングは分かるだろう。
そこまで考えて氷堂は椅子から立ち上がり、部屋の中を歩いて窓の近くへと向かう。
日は落ち、外には街の夜景が広がっている。
その美しい光景を見ながら、氷堂は今一度考える。
彼女の言う「壁」。それが存在しなかったのは、知っている限り「人間では」ただ一人だけ。
なら、人間じゃないなら? 氷堂が名前だけを知っている3体と同じように、あの漆黒の獣もそうなのではないか。
考えても答えなど出るはずもなく、氷堂は窓から離れ、準備へと取り掛かる。
人生で二度目となる東京で、目的を果たすために。