最強の敵を倒す方法とトチメンボー
私の友人に山田澄という人間がいる。わざわざ人間と書いたのは私がヒトではないナニカであることを伏線にしようとしたものではない。澄は小説を書くことを趣味にしている。私はそんな彼女を大先生と呼んでいるのだが、澄はそれをからかわれているのだと認識しているらしく呼ぶと怒る。
だが、それが私には愉しくて仕方ない。
きっとネコが爪とぎを畳でしてはいけない、と怒られながらもやってしまう感じというのは案外こんな気持ちなのかもしれない。少し慌てた表情にわずかな怒り、そしてこちらへの愛情が入り混じった複雑な反応が愛らしい。別に私はサディストではないので澄が本気で嫌だと言えば、キチンとやめるがそう言われないのでずるずると再犯を続けている。
「大先生。ご飯行こうよ。駅前にトチメンボーの専門店ができたんだって」
「ええ、ちょっといま手が離せない」
パソコンの画面に向かったまま澄が動かないので、私は彼女の背後に回ってモニターを覗く。大学の課題かと思ったが、それは大先生の渾身超大作であるダークファンタジー小説であった。なんでも故郷の村を悪の帝国に滅ぼされた少年が泥水をすすりながら帝国に復讐をするような話だったと思う。思うというのは私がこの小説を真面目に読んでいたのはもう一年も前になるからだ。
大先生はこだわり派の素人作家で、話の途中で枝葉へと飛んでいく傾向がある。主人公の相棒というべき最初の仲間ができたときは、相棒の生い立ちから始まり、主人公と出会うまでの悲喜こもごもの物語が十万字近い大ボリュームで描かれた。正直、主人公が誰だかわからなくなるところだった。それからもエルフが仲間になるとエルフの集落の細かな設定から使う矢の矢羽根に使われる架空の鳥の話まで懇切丁寧に説明がなされた。私は思うのである。それはきっとトールキンとかいうお爺ちゃんがもうやってくれてるって。
そんなわけで私は大先生から意見を求められれば読むがロクにキャラクターの名前さえ憶えていない。
きっと似たような名前が出てきたらアランだろうがアスランだろうが同じ人物に統合されるに違いない。区別がつかないのだ。なぜか、単純なことだ。私が好きなのは大先生であってその著作ではないからだ。
「いいじゃん。それは置いといてトチメンボー!」
私は澄の椅子を前後に揺らす。彼女の長い髪がグラングランと揺れるが、彼女の視線はこちらに向かない。
「待ってって。そもそもトチメンボーって何? どこの料理?」
「うーん、たぶん、西洋料理。夏目漱石がそう言ってた」
「ソーセキが? てか西洋料理って範囲広くない? フランス料理とかイギリス料理とかあるよね?」
「西洋に広く親しまれた料理なんだよ、きっと。トチメンボーこそ西洋文化の神髄なんていうんじゃない」
「神髄ってダシにしたら美味しそう」
「今日の料理は神の髄をしっかり煮込んだ。トチメンボーです。使う神はどこにでも売っている八百万の神でも構いませんが、手に入るならやはり唯一神の髄が良いでしょう。髄の大きさが違います」
「まさかの神殺しがここに!?」
大先生の口元が緩む。
「知らなかったのかい? 大野三中の神殺しとはアタシのことさ」
「神殺しが一気に町内スケールになったね」
「まぁ、同級生の神野くんを全力でフッて不登校にさせただけだし」
すまない神野くん。君はきっと悪い奴じゃなかったと思うんだけど。告白の理由が「良い匂いがしたんで」って気持ち悪すぎたんだ。そもそもいつ嗅いだんだ? まぁ、いまとなってはいい匂いのする彼女ができていること願うよ。
「神野くん、可哀そう……」
「いや、可哀そうなの私だと思うんだけど。まぁ、いいけど。ご飯行こうよ?」
「待って。正直、いま私は悩んでるんだよ」
「何に?」
「小説。中ボス。倒し方。分かんない」
世界一有名な検索エンジンに突っ込めば、回答が帰ってきそうな細切れの言葉で澄が言う。自分の書いてる小説で敵が倒せないってあるのか。私が首をかしげると澄は「ブラッディジェネラル」とぶっきらぼうにまた単語だけ出力した。
こうなってくるとやわやわのおぼろ豆腐のような記憶から噂の「ブラッディジェネラル」を思い出さなければならない。直訳すると「血まみれ将軍」だろうか。将軍と言えば偉い役職だったと思う。その人が血まみれになるということは相当に弱いのだろう。それが倒せないということはよほど周りの部下が優秀に違いない。
まったくうちの将軍様はしかたねぇな。俺たちが支えてやんないと負けちまうからなぁ。という感じだろうか。なんかめちゃいい人なんじゃないかブラッディ将軍。
『おいお前、最近息子が生まれたらしいじゃねぇか。これ俺からの気持ちだから嫁さんになんか買ってやれよ。産後は栄養あるもんを食わせて、暖かくさせるんだぞ』
あ、やばい。いい人だ。これは部下もついていっちゃう。
「大先生。主人公はブラッディ将軍を倒す必要ないんじゃない。仲良くすればいいよ」
「えっなに!? ブラッディジェネラルは主人公の村を焼き討ちにした張本人だよ。それと仲良くなんてできるわけないじゃん」
「ブラッディ将軍にだってやまれない理由があったんだよ。きっと村を焼かないと部下がひどい目に合うとか、かわりに別の町が大変なことになるとか」
「お前はブラッディジェネラルのなんだ? いい、もう前の回で主人公が『ブラッディジェネラル! お前だけは許さないっ!』って啖呵を切ってるのに仲良くなんてできるわけないでしょ」
やめてあげてよ。ブラッディ将軍の部下たちが泣いちゃう。
「でも、ブラッディ将軍の部下たちは超優秀なのにどうやって主人公は部下たちをかいくぐるわけ?」
「部下が優秀なんて私、書いたっけ? そりぁ、常勝将軍の部下だから強いとは思うけどブラッディジェネラルの崩懐魔剣カラグライバンと城塞大盾フグイライハンが一番ヤバいんだよ」
なんだそれは? そんなのあったけ? でも血まみれになるんだから将軍そんなの持ってても意味ないんじぁない?
「どういう道具だっけ?」
「崩壊魔剣は撃ち合った武器すべてを破壊する帝国でも有数の武器で、城塞大盾は構えるだけで武器による攻撃を広い範囲で守ってくるこれまた帝国でもトップクラスの防具だよ」
ああ、なるほどそういうことか。将軍は部下たちを守るために盾を構え、部下を襲う攻撃を魔剣で打ち壊していくわけか。自分を犠牲にして部下を守り血だらけになる将軍。これは部下としてはたまらないね。でも、弱点が多いなぁ
「弱点多すぎない?」
「えっ!? どこが?」
「だって魔剣は武器を壊すんでしょ? 農民とかが木の棒とか農機具とか石とかで襲ってきたら壊せないじゃん」
「それって武器でしょ?」
「違うでしょ? 農具は農具だし、地面に落ちてる石を見て武器なんて言わないでしょ?」
「でも、それで襲われたら武器になってるじゃない?」
「大先生が自分で武器って言ってたんだから、武器と農具は別でしょ? そもそも武器の基準ってなに?」
「え、それは人を傷つけたりとか?」
「それって人を傷つけることを前提に造られた道具ってことでしょ? なら農具とか石は違うよね」
「……そうかも」
「だね。なら敵が『おらたちのトチメンボーを返せ! トチメンボーを食わせろ!』ってなったら負けちゃうよね。きっと『よせ、やめるのじゃ。わしの魔剣は農民を斬るものじゃない。武器を持つ敵を討つものだ』とか言って劣勢になっちゃうの」
「なんかそれだと勝てそうだけど。私の思うジェネラル像じゃないんだけど。っていうかどんだけトチメンボー食べたい国民なの?」
おかしいな。私の中のブラッディ将軍はまさにそれなんだけど。
「日本人のお米と同じなんじゃない。異世界の主食トチメンボー。トチメンボーがなければお菓子を食べればいいのよ。なんて言われたら即革命が起きちゃう国民性なわけよ」
「血の気やばくない?」
「そりゃヤバイでしょ。異世界なんだから。ブラッディ将軍も民衆の反乱に悩むわけよ。部下たちは皆、農民出身で革命派に家族たちがいるけど、将軍が好きだから従ってくれてる。でも、将軍は部下たちが大切だから革命派と戦うのに抵抗がある。しかし、自分は王家を守りたい。ここに物語が生まれるわけ」
「主人公の村を焼いたくせに?」
「焼いたけどさ。トチメンボー反乱で魔剣を無効化されたブラッディ将軍に主人公がみんなの仇だー! とかいって切り殺したらイメージ悪くない?」
「悪いけど……許しちゃダメでしょ?」
「許そうよ。『く、殺せ。わしは命令に従って多くの命を奪った。だが、部下はわしに従っていただけだ。わしの命で復讐は終わりにしてくれないか』っていうブラッディ将軍にトチメンボーを差し出して主人公が言うの『俺はお前を許せない。だが、お前を殺すと俺と同じヤツが出来ちまう。だから、いまはトチメンボーを食べて水に流そう』って」
実に感動的な和解である。
きっと大先生の連載は大好評になるに違いない。なにより、私もこの勢いでトチメンボーを食べに行きたい。
「えっ、ちょっと待って熱い展開は分かる。分かるけどトチメンボーってなに? 意味わかんない」
「それを確かめるために行くんだよ。大先生! さぁ、私の手を取って駅前のトチメンボー専門店へ行こう」
私が手を伸ばすと大先生は、おっかなびっくりという様子でキーボードから手を離して私の手を取った。
「分かった。行こう」
「よし、私たちのトチメンボーはこれからだ!」
そう叫んで私は思う。結局、トチメンボーって何?