レンタルおとうさん
「レンタル・・・おとうさん?」
「ええ、いかがです、やってみませんか?」
ここは…天国と地獄の…狭間?よくわからないが、死んだ後に魂が立ち寄る、事務所なんだそうだ。
これからまた生まれるのか、地獄で苦しんでみるのか、天国で誰かの人生に寄り添ってみるのか…、命を終えた魂の今後を決める部署、らしい。
俺の前には、書類を見ながらメモを取る職員が、二人、並んでいる。
「あなたは父親にいいイメージが持てないために、魂にキズがついてしまったんです。このまま生まれ変わるにはちょっと…足りないみたいでして。」
「参加することで癒される場合もあるので…。」
どうやら…俺は生まれ変わるには、魂が弱り切っている、らしい。このままでは生まれ変わっても心が持たず、崩壊してしまうくらい…脆い状態なんだそうだ。何度かすでに崩壊したことがあるらしく、次に崩壊するとばらばらになってしまい、最悪切り刻まれて…別の魂に吸収されてしまうらしい。
「でも…俺は記憶が剥がれてしまっているから。」
この部屋に入る前に、俺は生前の記憶を無くして、いる。どんな生き方をして、どんな風に死んだのか、自分の名前も、憶えていない。…何一つ覚えていない俺が、父親のふりをすることなんて。
「記憶は過去の記録にすぎません。あなたが生きた人生にお願いしているのではなくて…あなたという魂にお願いしているのです。」
俺という、魂、か…。傷つくような記憶がなければ、傷ついた記憶がなければ、まっさらな、俺という存在が、どんな父親になれるのか…知ることが、できるのかも、知れない。
「…分かり、ました。」
「では、さっそく…行ってらっしゃい。」
「こちらが詳しい説明書きです、読んでおいてください、夢の中で。」
俺の目の前が…ブレ、た。
ごく普通の、マンションの…一室。
3LDK、嫁と、娘が…一人。
少し田舎寄りではあるが、車で一時間も行けば都会に出るような、場所。
ああ、娘の環境が、すんなりと俺の中に…入りこむ。
ここは、娘の夢の中、らしい。
俺は今から、お父さん役を、する。
レンタルお父さんとは、お父さんを恋しいと思う誰かのために、夢を利用してひと時の満足を提供するサービスなのだそうだ。父親を思う気持ちが事務所に届くと、職員が適性のある魂に打診し、了承を得たのち派遣されるシステム。一定時間で夢は覚め、顧客の満足度により報酬が支払われるとのこと。報酬内容は、生まれながらの徳、運、行動力など。…いまいちはっきりしない報酬だけど、正直あまり…興味がない。
夢の中はとても曖昧で、父親像がはっきりしていなくても勝手に父親が存在しているものとして認識できるため、多少のおかしな点は気にしなくても大丈夫だと説明書きに書いて、ある。…無事に最後まで務め切ることができるだろうか…。
「パパ―!今日は仕事お休みなの?」
「・・・ああ、どこか、行くかい。」
ソファで説明書きを読んでいた俺に、娘が声を、かける。
「昔家族で行ったお皿山に行こ?お弁当、私作るからさ!」
「…それは楽しみだ。」
娘がお弁当を作る様子が流れていく。それを見る嫁の顔ははっきりしない。役割が希薄だからか?
場面が、変わる。
…気が付くと、俺は車を運転していた。ああ、こういうところが…夢っぽいな…。
「ね、パパは、昔…お父さんにいじめられてたんでしょ?」
「・・・うん?そうだったかなあ…忘れてしまったよ。」
この娘の、本物の父親は、虐待でも…受けていたんだろうか?
…下手に芝居するよりも…真面目に、自分として、向き合うことを、決める。
「あたしがいることで、パパは癒されたってこと?…だったらうれしいな!」
「そりゃ…お前は、かけがえのない、俺の宝物だから。」
にこにこと笑っている、娘。後ろの座席で、嫁も笑っているように、見える。
…俺は、娘が喜ぶような言葉を、選べているのかな?
…選んでいる?
ごく普通に、楽しい会話を、楽しんで、いる。
ぼんやりと、楽しい会話を、楽しんでいるという雰囲気が広がっている。
場面が変わる。
…小さな山の、緩やかな丘の上で…シートを広げて、お弁当をずらりと並べて、いる。
「ね、食べてみて!あたしの自信作なの!」
「どれどれ…うん、美味しいよ、こんなに美味い物を作れるようになったのか。」
口の中に、確かに広がる…うま味。だが、うまいと感じるだけで、味そのものが…ぼんやりしている。…何を食べているのか、はっきりと、しない。
「あたし、一生懸命料理の勉強したんだ。パパに美味しいって言ってもらえるように。」
「そっか、ありがとう、俺は幸せ者だなあ…。」
俺に、俺のことを思って料理をしてくれる娘が…持てるようになるんだろうか。
「パパが頑張ってたのは、知ってるよ。だからね、あたしも…頑張ったの。」
「パパを見て、何かを学んでくれたって事かい?」
俺を見て、何かを学んでくれるような娘が…持てるように、なれたら。
「父親の背中を見て育つのは、息子だけじゃないんだぞ!」
「はは・・・ずいぶん、たくましく育ってくれて、うれしいよ。」
俺の背中を見て、育って…こんなにも立派な、娘になれるのだろうか。
「…でもね、あたしパパみたいに、強くなかった、みたい。」
「お前は…パパではないんだよ。パパのようになる必要は、ないんだよ。」
強い面だけ見せていると…弱音を吐くことが、できなくなるんじゃ、ないか。
強い父親が、弱音を吐く姿を見せることで…弱音を吐いてもいいんだと思えるようになるんじゃ、ないか。
・・・弱音こそ、父親に吐けば、いいじゃないか。
父親ならば…娘の、弱音を、受け止める、事が、できる…?
・・・いや。
父親ならば、娘の弱音を、受け止めたいと願うのでは、ないか。
受け止めようとする姿を見て、娘は何かを思うのでは、ないか?
「今ね、すごく…、辛いんだ、あたし。」
「強くなることと、耐えることは、違うよ。」
耐えることが強さなんじゃない。
耐えているから、強いんじゃ、ない。
耐えて、いるだけでは。
…心が、摩耗して。
「ねえ、パパ。あたし…逃げ出しちゃっても、いいかなあ?」
「…逃げて、解決、しそうなのかい?」
逃げ出した先に、お前を喰らおうと待ち構えている奴はいないかい?
逃げ出した先に、お前の望まない展開は待っていないかい?
逃げ出した先に、お前の存在できる場所はあるかい?
俺は…娘が、心配で、ならない。
「逃げたら、終われる、…それだけかな。」
「逃げた後、何か始めることが、できそうかい?」
終わって、満足して、そのあとは?
終わって、満足できなくて、そのあとは?
終わらせることに、意味はあるのかい?
終わらせなければならないことを、きちんと理解できているかい?
終わらせることで、解決するとは限らないんだよ?
解決しなければ、終わらせることができない場合も、あるんだよ?
「始まるかなあ?…消えてしまうかも、しれない。」
「パパとこうして、会う事も…できなくなって、しまうのかい?」
「…パパは、あたしと、また…会いたい?」
「もちろん。パパは、お前とまた、会いたいと…こうして、向き合いたいと、願っているよ。」
ああ、画面が…変わる。
ここは・・・病院・・・?
「ありがとう、パパ…あのね、あたしもね、会いたい。」
病院の、ベッドで…寝ている、この、女性は。
ずいぶん、穏やかな顔をして…眠っている、この、女性は。
「パパ、大好きだったよ。」
娘の姿が、ベッドに横たわる、女性の姿と…重なる。
ああ、夢が…醒めそうだ。
この夢は、間もなく…醒めて、しまう。
「パパも…さくらが、大好きだよ。」
…パパ!
いつも、いつも、そばにいてくれたのに。
いつも、いつも、笑ってくれたのに。
ごめんね、わかってあげられなくて。
ごめんね、助けてあげられなくて。
パパに、嫌われたかもって、ずっと後悔してたの。
パパに、合わせる顔がないって、ずっと泣いていたの。
あたしのせいで、パパが死んじゃったって、ずっと。
あたしがいなければ、パパは生きていたはずって、ずっと。
あたし、逃げ出すね、この、闇から。
あたし、逃げ出して、また、生まれるね。
次に生まれてくるときも、パパの娘に生まれてくるよ。
次に生まれてくるときは、必ず、パパを、助けるから。
だから、パパも、必ず。
生まれて、来てね?
・・・なんだ。
魂が、覚えているじゃないか。
記憶がなくなっても。
俺という、魂が。
娘を、覚えていて。
・・・・・。
父親におびえて。
父親から逃げ出し。
父親になって。
父親の影におびえて。
父親のようになるまいと頑張って。
がんばって。
がんばって。
がんばって。
…娘を生かすために。
……逃げ出して。
「・・・おつかれさまでした。」
気が付くと、俺は事務所の椅子に座っていた。
「あの女性は、ずいぶん…父親を亡くしてしまったことを、自分のせいだと、悔やまれていましてね。」
「…あなたのおかげで、ようやく…旅立つことができました、ありがとうございます。」
「・・・いえ。」
職員が、書類を見ながら…ペンを走らせている。
「こちらは…今回の謝礼です。お受け取り下さい。」
ペンを持たない職員が、丸い玉を差し出した。
玉は、ふわりと浮いて…俺の中に、溶け込んだ。
「・・・これは?」
「「自分」です。」
「…今度は、手放してしまう事の、ないように、ね?」
俺は、自分自身を、手放してしまったというのか?
自分をなくして…魂に、傷がついた?
自分をなくしてしまったから…生まれることができずに、ここに、いた…?
「…誰かの言葉で揺れる事のない、確かなものをお渡ししました。」
「あなたの人生を生きることができるはずですよ。」
「俺に・・・生き抜くことが、できるでしょうか?」
俺は、自分から…逃げ出した。
俺は…自分から、逃げ出してしまって。
・・・何一つ、解決せずに。
・・・娘まで、巻き込んで。
「生きてみては…いかがですか?」
「娘さんが…あなたを、お待ちですよ?」
・・・俺の、娘が。
・・・俺を、待っている。
そうだ、俺は。
…娘の、お願いを、聞かなければ。
「娘と会うために…生まれることに、します。」
「では、さっそく…行ってらっしゃい。」
「説明書はありません、自由に生きてきてくださいね。」
俺の目の前が…ブレ、た。