一極偏向的統一国民主義
誰が正常であるか、誰が異端であるか。
判断するのは本人ではなく、周りの世界である。
世界とは、その世界を統べる個人である。
個人が誰かしらの個人を統べていることを忘れてはならない。
午前8時30分、街の中央に鎮座する時計台より、全体朝礼開始の鐘が鳴り響く。
1948年の終戦記念日に建てられたもので、今だ改築の続く巨大なモニュメントである時計台は、
今日まで1分1秒寸分たがわず時を告げ続けていると教育された。
始業電流が流れた作業者たちは、皆同じように頭にヘッドマウントディスプレイを付けた。
「皆様おはようございます。本日もよろしくお願いします」
ヘッドマウントディスプレイに映し出される工場長の始業挨拶も毎日決まったものである。
挨拶後、作業者は所定の位置に付き、所定の作業を行う。
今日は金曜日なので超希薄燃焼エンジンにパイプを取り付ける作業だ。
半自動ラインの上流には巨大な黒色の箱状の機械があり、そこからエンジンを運ぶ複数のラインが延びている。
作業者は半自動ラインの横に立ち、黙々とエンジンにパイプを取り付ける。
偉大なる指導者様(御名前を出すのも烏滸がましい)の御知恵により、
ある程度の状態にまでエンジンを組み付ける半自動ラインが設計された。
この御知恵により、作業者の労働時間は半減した。素晴らしい機械である。
ご存知の通り、全統一国民の脳内には電子チップが埋め込まれている。
所定の時間になれば労働電流が流れ、所定の時間になれば休憩電流が流れる。
この電子チップのお陰で、作業者の作業効率は120%向上したと教育された。
(学校で電子チップを埋め込む以前は作業中にサボったり無駄話をしていたと習い、驚愕した。)
なお、不幸にも統一国民になれなかった者は、自らの意思により行動を決めなければならないそうだ。
偉大なる指導者様の御意思に従うだけで良い全統一国民は、自らの意思による行動を行わなくてよいため、
意思決定の時間を省略することが可能である。
労働電流が流れた。
エンジンにパイプを取り付ける、エンジンにパイプを取り付ける、エンジンにパイプを取り付ける―――
休憩電流が流れた。
「裕也、休憩か?一緒に休もうや」
同期の隆二に話しかけられた。
どうやら隆二にも休憩電流が流れたらしい。
「いいよ、一緒に休もうか」
「じゃぁ、チャンネルは171の15な」
「分かった」
ヘッドマウントディスプレイの横に取り付けられているネジを回してチャンネルを合わせる。
すると、視界は半自動ラインから未だ慣れぬ青い海と白い砂浜が映し出される。
(見知っている海は黒色で砂浜は全て強化コンクリートで護岸されている。)
刹那、電流が走る。
視界が一瞬黒くなった後、徐々に先ほど映し出されていた青い海と白い砂浜が現れる。
少しずつ身体を動かして身体も同期していることを確認する。
これも偉大なる指導者様の御知恵であり、現実世界の身体は半自動ラインにありながらも、
意識のみを別世界に飛ばせるものである。
これにより、半自動ラインから休憩場所(以前は存在していた?)へ向かう無駄な時間を省略できる上に、
作業者の体内環境ホルモンバランスに合わせた休憩場所へ飛ばしてくれる。
(母親の胎内から旧時代の戦場、火星の遊覧飛行、ムカデ風呂など)
しかし、私は休憩時間が苦手である。
自らの意思で休憩場所を選ばなければいけないからだ。
チャンネルを設定していないと、私はいつも牢屋の中へ飛ばされる。
私の体内環境ホルモンバランスは常に牢屋の中が最適な環境らしいが、身体が嫌悪感を示してしまう。
チャンネルを設定した場合は、そちらが優先されるため、牢屋の中から抜け出せる。
だから私は、いつもチャンネルを171の15に合わせている。
(以前、隆二へこのことを告げていたため、チャンネルを合わせてくれたのであろう。)
広い広い砂浜には潮の匂いを乗せた風がそよいでいる。
理由は分からないが、なぜか懐かしく思う。
そうこうしているうちに、隆二の意識と身体も同期された。
「今日の作業も疲れるな」
「そうだね」
隆二とは気兼ねなく話せるが、それ以外の人と話すことは苦手である。
自らの意思で言葉を発しなければいけないからだ。
それは相当のエネルギーを用いるため、基本的に人とは話さない。
「なぁ、お前はどう思う?」
「何の話?」
「この海の向こう側だよ。俺は海の向こう側を知らない」
「海の向こう側には荒廃した土地があって、野蛮人が醜い争いを続けているって教わったよ」
「それは見てきて言っているのか?」
「そうじゃないけど」
たまに隆二は鋭いことを聞いてくる。
学校で教わったことが全てだって先生も親も言っていた。
だから私は学校で教わり教科書に書いてあることが世界の全てであると認識している。
「みんな、そうなんだよな。確かめもせず、そう言っている。電子チップのこと知ってるか?」
「何のこと?」
「俺は電子チップの実物を見たことがある、一か月前の休憩時間の時だ」
「え」
私は言葉が見付からなかった。電子チップは脳内に埋め込まれている。
当然、見たことも触れたこともない。
実物を見たことがあるということは、それ相応の現場なのである。
「先輩の田島さん、いただろ。あの人、労働電流の過電流で倒れこんじまってラインに巻き込まれちまったんだ。
その後はあっという間だね。ラインの機械は止まっちゃくれない。すぐに身体が弾け飛んでたよ」
私は極力現場の惨状を考えずに話を聞いていた。
「そしたらよ、俺の足元に野球ボールぐらいの機械がコロコロ転がってきたわけよ。
何だこれって手に持った時、"T70.02.05 田島弘彦"って書いてあって。
これはまずい、と直感して、すぐに機械は放ったよ」
「そんな大事だったら工場中に話が回ってるはずだけど」
「工場長が血相変えて走ってきてるのを見てな。すぐに休憩のチャンネルを合わせて意識を飛ばしたよ」
「そうしたら?」
「労働電流が流れた時には、綺麗に何の痕跡もなくなっていたように見えた。
やっぱり、労働時間に意識を保つことは難しいな」
「知らなかった。それで、その、野球ボールぐらいの機械が電子チップってこと?」
「あぁ、確かに頭から飛んできたのを見た。問題はその大きさだ」
「大きさ?」
「野球ボールって確か、握り拳ぐらいの大きさだったろ?それが産まれた時から頭の中に入るか?」
電子チップは全統一国民の脳内に埋め込まれている。
ともなれば、赤子や子供に至るまで埋め込まれていて然るべきである。
「俺、子供のころに手術したのを覚えているんだよな。急性なんたらっていう病名で。
その手術の前に何回も頭の検査やら血液の検査をしたのを覚えているんだ。
だけど、その前後の記憶はめちゃくちゃ曖昧になって、いや、曖昧にされている」
「曖昧にされている?」
「思い出そうとしても、何の取っ掛かりもないんだ。綺麗にその部分だけ記憶が欠如している感覚だ」
確かに私も子供のころ手術したのを覚えている。しかし、私は足の骨折で入院した際の手術であり、
頭の手術は行っていないはずである。
「つまり、何が言いたいの?」
「俺たちは昔、自らの意思で行動できていたんじゃないのだろうか」
隆二の言葉に視界が眩んだ。
自らの意思で行動する?そんなこと想像するだけでも吐き気がしてしまう。
「電子チップを頭に埋め込まれたら、後は、よく学び、よく働き、よく家庭を築く。
俺たちは電子チップによってレールを操作されているんだ」
「偏向的な考えはよくないよ。電子警察にマークされてしまう」
「裕也、お前はこの現実こそが偏向的だとは思わないのか。
みんな、前を見ろと言えば前を見る。目を瞑れと言えば目を瞑る。
これこそ、みんなが一極に偏向した結果じゃないのだろうか」
隆二の言葉や考え方は私のそれとは大きく異なっている。
しかし、大きく異なることに嫌悪感はなく、ある種の尊敬の意を持っている。
自分と同じ人間であるのに、なぜそのように論じることができるのだろうか。
「俺は、海の向こう側を見てみたい。遠く遠く離れた世界を、この目で見てみたい」
そよ風が吹き込んでくる遥か彼方の地平線を見つめながら隆二は独り言ちた。
「そろそろ休憩時間が終わるよ、隆二。」
「あぁ、そうだな。ありがとう話を聞いてくれて」
隆二がお礼を言い終えた瞬間、視界が半自動ラインへ戻されたと同時に、
徐々に身体の感覚が戻ってきた。
薄っすらと休憩時間での隆二との会話が記録されている中、
労働電流が流れた。
エンジンにパイプを取り付ける、エンジンにパイプを取り付ける、エンジンにパイプを取り付ける―――
終業電流が流れた。
「皆様お疲れさまでした。明日もよろしくお願いします」
ヘッドマウントディスプレイに映し出される工場長の終業挨拶も毎日決まったものである。
ヘッドマウントディスプレイを自らの机上に置き、作業者たちは4列の隊列を組んで工場を後にする。
横には偶然にも同期の弘彦がいた。
「よう、裕也。今日は直帰か?」
「うん、特に予定はないけど、見たい電子映画があるからね」
「何の映画だい?」
「偉大なる指導者様の聖戦 シーズン4だよ」
「あれは名作中の名作だ、確かに見た方がいい。だけど、今日はもっと優先すべきことがあるんじゃないか?」
「偉大なる指導者様の映画を観ることよりも優先すること?」
「中央統制局の事務員の子たちとの合コンだよ」
すっかり忘れていた。今日は弘彦から誘われていた合コンの日であった。
統一国民の義務は、教育、勤労、家庭である。
いくら偉大なる指導者様の映画といっても、映画はいつでも観ることが可能な娯楽のカテゴライズである。
彼女のいない私にとって、合コンは家庭の義務を果たすべき仕事である。
このような重大な事項を忘れていたとは、私も些か疲れがたまっているのであろうか。
「もちろん、行くよ。映画は帰ってから見ようかな」
「おいおい、朝までに決まってるだろ。今日はなんてったって中央統制局の事務員の子だぜ。
俺は落とせるまで粘り続けるよ」
「ははっ、まぁ頑張るよ」
私は田島弘彦があまり好きではない。同期ではあるものの、考え方が私と大きく異なっている。
―考え方は異なるものの、尊敬の意を持てた同期がいたはずだ。
今となってはもう思い出せない。
隊列に従い、私は工場を後にする。
このまま恐らく死ぬまでずっと、国民の義務を果たすために歩を進めるのみである。
偉大なる指導者様万歳。