8 ロベリア
「ロベリアは本名です。姓は隠してましたけど。ロベリア・ロックハート。ここら辺一帯を治めてるロックハート辺境伯の長女をやってました」
「お姉さま、現在形でお願いします」
人間サイズの銀色の熊と化したカナが馬車を牽き、乗ったふたりが言葉を紡ぐ。
揺れはない――走り引っ張る勢いで地面から浮かせているから。高速。
なるほどロックハートか、とカナは思った。
外の人間の社会には詳しくないが、樹海人に攻撃してくる人間が2種類いることは理解していたのだ。すなわち、普段から散発的に訪れる冒険者と、稀に大勢で来る軍隊である。後者がロックハートを名乗っていた。
辺境伯とは、どうやらそういった『国の外縁部で外敵と戦う』貴族を指すようだ。
その辺りのことを告げてみると、ロベリアもピアニィも縮こまった。
「や、やっぱり殺されます……? 私たち」
「お前たちふたりが直接攻めてきたことはない。そうだな?」
「はい、それはもう……! 未熟を理由に、戦場に出ることなく過ごして……」
ロベリアが即答し、ピアニィがこくこくと頷く。
「ならいい。それでも敵の味方は敵が普通だが、お前はわたしの味方だからな、ロベリア」
「ウェヘヘッ、まさしく……! いやーカナさまがデレてくれて嬉しいです!」
「デレ……?」
外人の言葉はまだ、たまに分からぬ。
ピアニィが姉にジト目を向けている様子からして、あまり良い言葉ではないのかも知れぬ。
まあいい。
「しかしロックハート……。要は優秀な戦士の家系だろう。その割には弱いな、お前」
「うっ……」
ロベリアは呻いた。
ピアニィが必死に反論してくる。
「それは違いますわ! 確かに家の興りは戦士ですが、軍を率いる関係上、現代では個人の強さよりも指揮や支援の巧みさが重視されるのです!」
「戦士はより強い戦士に指揮されたいものだ。指揮するからこそ、個の武勇は重要だ」
「それは……そうかも知れませんが……」
声は窄んでいった。
カナも決して、ロベリアを取るに足らぬ雑魚だと思っているわけではない。
しかし白兵格闘戦は出来ず、魔法攻撃も呪文詠唱に時間がかかり、距離か前衛の守りを必須とする。
戦士としては欠陥品と言わざるを得ぬのも事実だ。
そしてそれは、ロベリア本人が誰よりも分かっているだろう。
「……そういうことですよ、カナさま。私は落ち零れなんです。魔術戦は妹と同レベル以下……。年下の妹とですよ? しかも妹は、加えて剣術戦もこなせるんです。やってられませんよ」
「お姉さま……」
「それで見限られるならまだしも、周囲はやれば出来る筈だってプレッシャーかけてきますしね……。やってんですよ既に! カスどもが!」
激昂して馬車の床を殴りつけ、イテテと呻いた。
その姉の手を握って沈痛と回復の魔術をかけながら、ピアニィが続ける。
「お姉さまは努力家です。でも……。それを苦になさっているのは存じていましたわ。何も言わずに家を飛び出すほどだとは思いもしませんでしたが」
「周囲に天才ばっかりなら埋もれる私でも、周囲が凡人ばっかりならと思って冒険者になってみたんですよ。まあ楽しかったですね。虚しかったですけど」
自嘲の笑い声。
天才かつ努力家で、降霊に関しては裏技の知識まで得たカナとしては、何とも言い難いところがある。
ここで何とも言い難いと思う時点で、それは慰めを志向しているのだが。
ロベリアは図太いが、それは図太く在れなかった実家の環境から解放された反動なのか。
小物であることも、ずっと劣等感に苛まれ続けているから。
自分本位のクズなのも、才能に恵まれぬ分、逆に人より余計に得をしてもいい筈だと思って?
分かる。
追放されてなお堂々としているカナは図太いし、現状全てを力で解決しているから表面化していないのみで、本当は小物なのかも知れぬ。樹海の外で樹海の常識を振り翳すのも、自分本位のクズだろう。
同じだ。
カナは陰謀に追放され、ロベリアは自分に追放されたという、ただその違いのみ。
「まあ家出生活も、もう終わりですね……。こうして見付かっちゃった以上は。まさか妹くんをひとり放り出して逃げるわけにも、ですし」
「お姉さま……。お戻りくださるのですか?」
帰って来てくれるのは嬉しい。ロベリア当人がそれで悲しむのが悲しい。
ピアニィの二律背反の震える声音。
カナは口を挟んだ。
「ロベリア」
「はい?」
「もし冒険者を続けるなら、どうするつもりだった?」
目をぱちくりしてくる。きょとんの顔。
少し考えて、それから彼女は言った。
「そりゃあ……。アレですよ。カナさまのお力で冒険者として大活躍! 帝国の事情に疎いところは私がサポート! 二人三脚という名の寄生が出来たらと」
「させてやる」
「は?」
「お待ちください、カナさま! お姉さまを連れ去るおつもりですか!?」
ピアニィが身を乗り出してきた。
馬車は走っているのだ、危ない。
落ち着かせるため、否定の言葉をすぐに返す。
「違う。逆だ」
「逆?」
「わたしを連れ帰れ。お前本人に力が足りぬなら、わたしがその分を埋めてやろう。代わりに協力しろ。いずれは軍団を率いて我が故郷を攻めることにな」
故郷に報復と是正を行うため、力を蓄えるつもりでいた。
しかし正直なところ、具体的にどんな力をどう蓄えるのかという計画はなかった。外の世界に詳しくないため、仕方ないと言えば仕方ないが。
そこが今、見えたのだ。
ロベリアは貴族だった。落ち零れだが、周囲からは期待をかけられているなら、あとは力さえあれば権力をも手にするだろう。
だからカナが力となり、その権力を利用する。
ロックハート軍はカナの知る限り数年に一度、樹海人に小さくないダメージを与えて、最終的には撤退に至る。
だがそれは、各部族を区別せずに纏めて相手取ってのこと。
もしアーク族に狙いを絞り、その際の効果的な戦い方を、元アーク族であるカナが指導すればどうか。
光明が見えてきた。
「カナさまが……私の力に?」
「そのつもりだったんだろう」
「そうですけど……」
ロベリアにはピンと来ていないようだ。眉根を寄せて首を傾げる様子。
逆にピアニィは乗り気らしく、声が弾むし、手を叩いて喜ぶありさま。
「良いではありませんか! それでお姉さまがお戻りくださるのなら! 樹海式の修練を取り入れれば、何かのきっかけになるかも知れませんし」
「自分で言ってて問題に気付きませんかね、妹くん……」
ロベリアは半笑いだった。
これは苦笑だ。
「カナさまは蛮族ですよ。昨日冒険者になろうとギルドに行っただけで、大変なことに……。それでも盗賊団の首を手土産にすれば次の町では行けるかな? って思ってたところに、一足飛びで貴族の家に招こうだなんて……。無理があるでしょ」
「貴族の家ではありません。自宅ですわ。お姉さまが皆をご説得ください」
「えぇ……」
ロベリアは頭を抱えるが、ピアニィもカナもどこ吹く風。
カナをサポートするつもりだったと言ったのはロベリアだ。それを実行してもらうまで。
やがてロベリアは紫髪を掻き回した後に手櫛で整えつつ、溜息をついた。
「分かりましたよ……。確かに、カナさまのお力で伸し上がって好き勝手するのは予定通りですもんね。その場が冒険者か実家か、ってだけで……。失敗したらまた家出します」
「お姉さま……」
ピアニィも流石に呆れた様子。
とは言え戻れる家があるなら戻った方が良いのは確かで、また、そこで幸せになれぬなら離れた方が良いのも確かだ。
ロベリアは正直者なのである。
「次の家出にはついていかんぞ」
「ええーっ!? そこを何とか!」
「死ぬ気で説得しろ」
「頑張ってくださいね、お姉さま」
「何とかー!!」
騒がしい馬車は森を抜け、ピアニィの護衛――その打ち捨てられた骸を回収。手柄首ともども魔術で冷凍保存し、近場の町に向かう流れ。