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実際、グレッグは強力な戦士だった。
樹海の中での遭遇戦ならともかく、こういう開けた場所で至近距離から開始されたのでは、生身のカナには勝ち目がない。ましてや碌な武器もないのに。
とは言えそれも、降霊すれば覆ること。
今のカナは半人半兎。
銀色の毛並みの長い耳が頭頂から並び、手足もまたふわりとした毛皮に覆われる。
それ以外は衣服の下で見えぬが、臀部には丸い尾も生えていた。
事前に兎の干し肉を食べておいた――それもまた、生きていた動物の加工品という意味では毛皮と同じだ。霊器足り得る。
自らの手で正しい加工をしていない障害も、物理的に経口摂取することで無理やりに乗り越えた。
他者の霊器を奪う不正降霊を経験したことも、この即席降霊のコツを掴むことに一役買っている。
兎の精霊を身に降ろすことで得るのは、主に超越的な聴覚及び脚力。
筋骨の軋みすら聞き分ける超聴覚がグレッグの隙を瞬時に見い出し、そこを超脚力の蹴りで貫いたのだ。
そして述べた。
殺そうとしたから殺す、と。
「わあ、カナさま! やっと覚えてくれたんですね! そう、『殺すぞ』は殺す前に言うんですよ! これで一歩、常識人に近付きましたね!」
ロベリアが歓声を上げた。
はしゃいでいるのは彼女のみだ。見物の冒険者たちも、ギルド職員たちも、絶望の表情で沈黙している。
しかしグレッグは口と胸から滂沱の血を流しながら、それでも立って笑みを浮かべた。
「やるじゃないか、カナ……。俺も昔は何度も蛮族と戦ったが、お前さんはその中でも最強だ。勝てない……かもな……」
周囲から悲鳴が上がった。
しかしその声すら、グレッグを奮い立たせるよう。
「だが俺たちにも面子ってもんがある。登録冒険者をギルド内でぶっ殺されて、ヘラヘラ笑ってられねえんだよ! 死ぬまで付き合ってもらうぜ!」
「なら既に終わっている」
「なに……?」
カナは右足の指で握っていたものを手に移すと、それに齧りつく。
それは人の握り拳よりやや大きく、赤黒く、脈打っていた。
「……俺の……?」
グレッグは自らの胸を――そこに開いた深い穴を見下ろした。カナの蹴りで貫かれた穴。
手を突っ込む。空洞を感じただろう。
そこには折れ砕けた胸骨と肋骨と、左側が潰れた肺がある。
心臓はない。
それは今、カナが持っている。
咀嚼し、飲み込んでいる。
「――ッ、」
声ならぬ声を漏らし、グレッグは前のめりに倒れた。
再び立ち上がることはない。
蹴りで胸を穿ちながら、ついでに足指で心臓を引っこ抜いておいたのに、何とも長いこと立って喋っていたものである。
見上げた敵であった。
「あっ……。結局、事実上殺してから『殺すぞ』って言ってたんですね、これは……」
ロベリアが意気消沈した。
そんなことで消沈しているのは彼女のみだ。他は絶望と困惑の気配が色濃い。
カナの姿が人間に戻っていく。
即席降霊もまた、不正降霊と同様に長くは持たないようだ。
やはり正式な霊器を用意する必要があるだろう。
しかしそれを隙と見る人間は、どうやらいないようだった。
一族から追放されたのに、その文明の結晶である霊器を持っている筈がない。にも拘わらず降霊をしてみせた。彼らにとってカナは最早単なる蛮族ではなく、理解を超えた存在なのだ。
ここで襲い掛かっても、ギルドマスターをすら文字通りに一蹴した圧倒的な力で、返り討ちにされるのみである――そう考えて恐れたのだろう。
「試練は終えたぞ。結果は?」
「えっ?」
ギルド職員たちの中に、最初に会った受付の女を見付け、カナは彼女に話しかけた。
「試練の結果だ。冒険者として認められるかどうかの」
カナは睨みつけたわけでも、激昂したわけでもない。ただ淡々と問うたのみだ。
殺しは禁止だと言っていたから不合格に決まっているが、そうならそうとハッキリと聞いておかないと据わりが悪い。単純な話。
しかし受付の女は、蛇に睨まれた蛙の風情。硬直し、ガチガチと歯を鳴らした。
またぞろ、逆らえば今度こそ自分も殺される、とでも思っているのだろうか。
その上で――受付の女は、毅然と言い放った。
「ふっ、不合格……! です! 不合格ですうっ!」
半ば悲鳴の叫びで、声は甲高く掠れて聞き取りにくく、びちゃびちゃと音を立てて足元に水溜まりさえ作っていたが、それでも確かにそう告げたのだ。
気に入った。
「分かった。行くぞロベリア」
「あっ、はい」
立ち去る。
歩きながらグレッグの心臓を食べ終えると、ロベリアが呪文を唱えて水の塊を虚空に呼び出した。手を洗い、喉も潤す。
そして濡れた手を外套で拭い、頭巾を深く被って顔を隠した。
ギルドの建物から通りに出る。
「冒険者にはなれなかったな」
「この町の冒険者には、ですよ。通報されて兵隊がやって来る前に、別の町に行っちゃいましょう。ギルドは町ごとに別ですからね。経験を糧に、今度こそ上手くやれる筈!」
ロベリアは拳を握って振り上げた。
何とも前向きなことだ。ただのヤケクソかも知れぬが。
「お前は別の町でも構わぬのか」
「どうせこの町来たばっかりですし」
思い入れはないらしい。
「家出中ですしね。足取りを晦ませるにはそれもありかなって」
「寧ろ目立つと思うが」
「それはそれで、実家に対しては『ざまあ』ですよ。娘が蛮族なんかの味方してアホやってるって知れたらね。ウェヒヒヒ」
何やら確執がありそうだ。
それで元からヤケクソ気味だったことも、カナに与した遠因なのだろう。
ともあれロベリアの案内により、適当な店で旅に必要な物資を買い込んだ。
そして冒険者用の門から城壁を出る――間際、通行に必要な冒険者の認識票を持っていないことに気付く。
ロベリアの認識票はギルド受付に手続きのため渡したが、返される前に事が起きて、そのまま出て来てしまったのだ。
少年戦士と少女狩人のそれも、同様に渡したきり。
「もう一度落とした場所を探してきてください。では次の方――」
「ま、待って! 待ってくださいよ!」
咄嗟に落としたと言い訳こそしたものの、流石にギルドに取りに戻ることは出来ぬだろう。
よしんば回収したところで、そうこうするうちに兵隊に捕捉されそうである。
そこでロベリアは、銀貨を審査官の手に握らせた。
「ウェヘヘへ……」
「……」
「ね?」
「……よく見れば認識票がありましたね。通ってよろしい」
「お仕事お疲れさまです~~~~」
媚びた笑みを浮かべてヘコヘコと頭を下げながら、ロベリアはカナの手を引いて足早に門を通過した。
「お前は本当に汚いな、ロベリア」
「生きる知恵ってやつですよ。役に立つでしょ?」
町の外は暮れなずむ草原。
街道を避けつつ、ふたりは隣町を目指す方角へ歩いた。
本日は野営である。町で宿を取っても、寝込みを襲われるだろう。
ロベリアは鞄から物資を取り出すと、天幕を設営し、焚き火を熾し、鍋も使って料理を始めた。
鞄の体積よりも、取り出した物資の量の方が明らかに大きい。内部空間が拡張されている魔法の鞄のようだ。恐らく重さも弄られている。
カナも色々と手伝おうとしたのだが、いいからいいからとばかり、これまた鞄から出てきた椅子に座らされてしまった。
実際、ロベリアの手際は良かった。
設営にせよ料理にせよ、工程をテキパキと進めていくさまは、見ていて快い。
「手慣れているな」
「練習しましたからね~。家出のために!」
「そうか」
焚き火がパチパチと小さく爆ぜる音。
干し肉と野菜のスープが、鍋で煮立つ。
「……」
「……」
「えっ聞かないんですか!? 実家はどんなところなのかとか、どうして家出したのかとか!!」
ロベリアが二度見してきた。
カナは淡々と答える。
「どうでもいい」
「ちょっとは興味持ってくださいよ……。寂しいなあ」
折り畳みの小さな机に、スープとパンが置かれた。
ロベリアは目を閉じて手を合わせ、祈る。
「神よ、今日も糧を与えてくださった慈愛に感謝します。この食事を祝福し――」
「いただきます」
カナはとっとと食べ始めた。
「ってちょっと! 食前の祈りが違うのは仕方ないとして、せめてこっちのが終わるまで待ちましょうよ! これだから蛮族は!」
「冷める」
「そんなすぐ冷めませんよ!?」
ロベリアは一通り喚いてから、改めて早口で祈りを終わらせた。
そして自らも食事に手を付けていく。
「蛮族の信仰は何でしたっけ。確か獣神トース?」
「ああ。血と戦闘、殺戮と捕食の神だ」
「邪神じゃねーですか」
「そうだ」
カナの即答に、ロベリアは逆に目を丸くするさま。
「もちろん、大切なもののために血を流して戦うことも、獲物を殺して喰うことも、別に普通のことだ。それは邪悪ではない。
だが獣神トースは、邪神だった……。かの神が世界を喰らい滅ぼしてしまう存在であり、かつて敵対した神々に封印された事実が、神殿の秘密の地下階層に隠されていたのだ。わたしはそれを知り、訴えようとして、冤罪を被せられて追放された」
「めっちゃ陰謀ですね」
「ああ」
カナはパンを齧り、ロベリアはパンを千切ってスープに浸して食べた。
「追放されながらも、こう、声を張り上げたりはしなかったんですか。ホントはこれこれこうなんだぞーお前らいいのかーって」
「その場で殺されるわけには行かなかった。家族に累を及ぼすわけにも。だいたい、冤罪で卑怯者扱いの言葉など、誰も聞く耳持たぬ」
「あー蛮族ってそういうところありますよね」
厳しい環境を生き抜いていくための力と勇気、それが基準の文化だ。
力のない者は侮られ、勇気のない者は見下される。
「一族を纏めて相手にしても負けぬ力を身に付け、わたしはいずれ戻る。報復と是正のためにな。だがそれまでは、こうして外で生きるしかない」
「そこはこのロベリアちゃんに頼ってくださいね! 最初はビビりましたけど、なかなか刺激的で悪くない生活になりそうですよ。ウェヒヒ」
何とも逞しいことである。
なお実際に天幕で眠りに入ると、最初は離れていたものがいつの間にか寝ぼけながらくっついてきて、その癖カナを恐れる悪夢を見ているらしく寝言で何度か悲鳴を上げ、翌朝には寝床に冷たい地図を描いて泣いていた。
尻を叩いて全ての後始末を任せ、朝食を取って出発する流れ。
そして隣町を目指して野を越え山を越えていく中、
「あれは……怪しいですね!」
怪しい集団を見付けた。
森の木々の合間から見やる先、十数人ほどの男たち。馬車を牽いている。
薄汚れた装備は統一されておらず、髪や髭もボサボサで見窄らしい。
「装備からして兵隊ではないです。冒険者のパーティーだとすると、ちょっと数が多いし、薄汚過ぎます。たぶん盗賊団ですよ」
盗賊団。
他人の財物や生命を奪うことで糧を得る、無法者であるらしい。
なるほど、敵対部族か。
「つまり奴らの首を取って見せれば、次の町で受け容れられやすくなる、か?」
「冴えてますね、カナさま! それで行きましょう!」
それで行くことになった。