3 町へ
ロベリアは一通り吐き終えると、逆にスッキリした顔で、下から媚びる笑みを浮かべてきた。
「そ、それにしてもお強いですね、カナさまは。ウェヘヘヘ……。変身もしないで、一方的にふたりを伸しちゃうなんて……! 蛮族の人って、変身しなきゃもっと普通だと思ってました!」
侮辱も攻撃もされていない以上、カナの方から殺す気はないのだが、当人なりの警戒なのだろう。
相手の言うことを全否定もしないし、鵜呑みにもしない。
「アーク族の新たな勇者とまで呼ばれたほどだからな。冤罪で追放されたが……」
「あ、アーク族! アーク族ですね! 蛮族じゃないですよね! ごめんなさい殺さないでください……!」
急にガクガクと震え出した。
そのくらいなら別に、侮辱と捉えるほどでもないのだが。
改めてロベリアを観察する。
森林迷彩なのか、緑や褐色の入り混じった長衣を着ていた。下半身は重く濡れているが。
手には長い杖。
歳はカナより幾らか下――10より少し上ほどに見える。身長は頭ひとつ分以上に低い。体格は長衣に輪郭が紛れて窺えぬが、立ち居振る舞いからして、格闘戦には向いていそうにない様子。
そしてリボンで左右を括った紫髪に青い目、白い肌。この辺りは、外人としては珍しくはない特徴だ。
一方のカナは褐色肌に銀髪、赤い目。
しなやかな長身に、簡素な貫頭衣のみを纏う。
対照的な姿。
カナは小さく嘆息した。
「殺さぬよ、その程度で。お前は大切な案内人だからな。しかし、いいのか? 同胞を殺したわたしを案内して」
「同胞……?」
きょとん、とされた。
言葉が通じなかったのだろうか。
外人の言葉は、昔に捕虜から学んで以来だから。
「お前の仲間という意味だ」
「え、いえ、はい。それは分かりますけど。言うほど仲間じゃない、みたいな……。今日初めて会って、同じ依頼を受けただけですから」
「依頼とは」
ロベリアの足腰が回復してきたため、ひとりで立たせる。
そしてアントンと少女狩人の装備を漁りながら聞く。
「樹海の調査です。ここの。蛮族――じゃない、樹海人がどこまで進出してきてるのか、ですとか」
「蛮族でいいから」
「あっはい。それで、あのー、実際に見かけたらやっつけちゃうとか、そういう感じの」
樹海人も外人も、どちらもこの樹海を自分の領土だと言い張っている。
見かけたら殺す。それは仕方のないことなのだろう。
だが時には柔軟性が必要な場合もある。アントンと少女狩人には、それがなかったのだ。だから死んだ。
「お前らはあれか。冒険者か」
「は、はい。冒険者ギルドで依頼を受けまして……」
冒険者――『危険を冒す者』。外の人間には、そういった人種がいるのだ。
時にロマンを求め、時に報酬のために、時に知的好奇心を満たそうと――などなど、多くは個人的な理由で、実際に個人もしくは少人数で徒党を組んで行動する。
その全ては自己責任であり、危機に陥っても、権力者たちは助けてくれぬらしい。
つまり権力者たちが「冒険者が勝手にしたことで、自分たちは関係ない」という言い訳をするための仕組みなのだろう。
ともあれカナは骸から装備を剥ぐと、剣を腰に下げ、背嚢、それから弓と矢筒を背負った。
「できれば、斧や槍が良かったが……」
「ないです……」
人里で調達するしかないだろう。
お金なるものが必要らしいが。
ともあれ。
「日が暮れるまでには辿り着けるか?」
「はい」
「じゃあ行くぞ」
と促すが、ロベリアは歩き出そうとしない。
濡れた長衣の裾を押さえ、もじもじしている。
「さ、先に着替えちゃダメですかねっ……? 水浴びとまでは言いませんから!」
「早くしろ」
ロベリアは着替え、そしてふたりの骸から小さな金属片の首飾り――認識票を回収していた。
更に外套を剥ぎ取り、カナに着せて肌を隠させてくる。外套と一体化した頭巾で頭まで。
そうして、暫しの後に出発した。
樹海を外へと向かえば、木々の密度は下がっていく。
やがて森とも呼び難いような疎らさになる頃、丘を越えて、街道に出る。
あとはこの道を辿っていけば、町に辿り着くという。
「じゃあお前は用済みだな」
「ひっ……! ま、待って、待ってくださいよ!」
折角着替えたのに、また足元が濡れ始めた。
「町に入るにはいろいろと手続きがですね! 入ったあとも……! 樹海とは常識が違うんですから! 私、私がいれば役に立ちますから! 絶対! ねっ、ねっ? ま、まだ死にたくないですよお……」
泣いて失禁しながらも必死に縋りついてくるさまは、カナをして感心せしめるものであった。
どうやらまだ同行するらしい。
もう用は済んだから好きなところに行け、と述べるつもりだったのだが。訂正するのも面倒だ。
実際、いれば役には立つだろう。
「殺さんから」
「ありがとう、ありがとうございますカナさま~。ウェヒヒ、ウェヘヘヘ……」
陰謀と冤罪で追放された自分も、随分と堕ちたものだと思ったが、下には下がいるものである。
そして下を見ると、人間は安心するものだ。
カナはこれからに希望を持つことが出来た。
頭をぽんぽんと撫でてやると、『ぽん』の度に、ロベリアはビクリと痙攣するように硬直する。
失礼な奴だ。
ともあれ、内股でひょこひょこ歩くロベリアと共に、町へと向かう。
やがて辿り着いた町は、高い城壁に囲われていた。
曰く、樹海人の襲撃に対する防備であるらしい。
「わざわざこんなところまで襲いに来ないが」
「そうですね……。実際、聞いたことありませんし。でも樹海の近隣ですから」
良く言えば用心深く、悪く言えば臆病なのだろう。
城壁には門がいくつかあり、出入りの管理と記録を行っているらしい。
そのうち冒険者用だという門に並んだ。
人の流れが速い。すぐに順番が回ってくる。
「青銅級冒険者、ロベリアです」
長衣の胸元から認識票を取り出して述べると、受け取った審査官はサッと確認し、すぐに返した。
「どうぞ。お連れさんの認識票は?」
そしてカナを一瞥してくる。
外套と深く被った頭巾で肌色を隠しているため、樹海人だとは分かっていないようだ。
ロベリアは卑屈な笑みを浮かべた。
「落としちゃったんですよ……。命からがら逃げる途中で。物凄い魔物に襲われたんです。それはもうホント凄い奴……。ウェヒヒ……」
魔物云々の辺りで、カナをチラチラと見てくる。
わたしのことか。カナはロベリアの脛を蹴った。
「うっ!」
「なるべく落とさないように。ギルドで再発行してもらってください。あ、とりあえず名前だけ」
「カナだ」
「カナさん――と」
審査官はカナの名前だけを記録し、
「では通って構いませんよ。次の方」
「ガバガバじゃないか」
「しーっ!」
カナとロベリアは、こうしてルベシャの町に入った。
城壁の内側は、小奇麗な煉瓦造りの町並みだ。
武装している者が目立つ。幾らかは冒険者なのだろうが、そうでなくてもとりあえず剣だけは持っている、と見える者も多い。
「樹海が近いですからね。みんな不安なんですよ」
「お前は不安じゃないのか?」
樹海どころか、樹海人のカナが誰よりも近くにいるわけだが。
肩に手を置きながらそう言外に問うと、ロベリアは笑った顔のままで涙目になり、小刻みに震えた。紫髪が揺れる。
「や、ははは、ヤですねカナさま。ここで頭巾と外套を剥いだら周りの武装してる人たちみんな敵に回るからカナさまにも勝てるな、とか考えてませんよ? 勝てるとしても、真っ先に私だけは確実に殺されますもん。でしょ……?」
我が身可愛さに、敵対人種を町に入れる。
なんという裏切り者だろうか。いっそ清々しい。
カナ自身にはこの町と敵対する気は特にないから、その点では問題ないと言えば問題ないし、そもそもそういう性格だと思ったからこうして無防備に接しているのだが。
「それで、えーと、行くところないんでしたよね……?」
「ああ。新たな生活基盤が必要だ。助けてくれ」
カナは真摯に頼み込んだ。
ロベリアはいつ殺しに来るか分からぬ者からまだ暫くは離れられぬ恐怖と、しかしそんな相手に頼られているという恍惚と、それらが入り混じったと見える複雑な表情を浮かべていた。
具体的には、ふるふると震えながら、目に涙を溜め、眉は下がり、口元は引き攣りつつもだらしない笑みに緩み、涎が垂れている。
酷い顔だ。
カナは嘆息した。
「ウェヘヘヘ……。でしたら冒険者になりましょう! カナさまを追放した愚か者どもをぶち殺すお仕事もありますよ! 逆に顔も見たくないなら、別方面のお仕事でもいいですし」
冒険者か。カナは腕を組み、思案した。
どうも権力者のための捨て駒や便利な犬扱いの職種に思えてならぬのだが、だからこそ出自が問題になることも少なそうではある。
それにカナの得意は殺戮だ。冒険者は戦闘の機会が多い筈。つまり、敵を殺さねばならぬ場面がだ。
意外と悪くない選択肢かも知れぬ。
「よし。案内しろ」
そういうことになった。
というわけで、冒険者ギルドを訪れた。
高くて大きくて立派な建物である。
中に入ると、ギルド受付と同じ階層に酒場が併設されていて、たいそう賑わっていた。
ロベリアは受付を訪れ、担当の女に認識票を渡す。
「ロベリアさまですね。ええと……」
受付の女は書類をぱらぱらと捲り、ロベリアの資料を見付け出す様子。
と、眉根を寄せた。
「3人パーティーで出発したと記録にはございますが」
「樹海の魔物に襲われまして……。これを」
カナが殺害した少年戦士と少女狩人の認識票も渡す。
受付の女は、認識票を調べがてら、カナにも一瞥をくれた。
「となると、その方は……?」
「あー……」
ロベリアは上手い説明を考えていなかったようだ。しどろもどろになった。
カナとしては、別段、我が身に恥じるところはない。たとえ追放されても、誇りは失っていないのだ。
頭巾を取ると、銀髪がさらりと流れ、褐色の肌が露。
「ば、蛮族……!」
受付の女が引き攣った声で呻く。
俄かに屋内が騒然とした。酒場や待合所で屯していた冒険者たちも、カナの姿を見て殺気立つ。
状況に、ロベリアは立ったまま白目を剥きかけていた。
「蛮族のお嬢さん……。ここがどういう場所か、分かっていないのかしら」
と、戦士の女が近付いてきた。
身長はもともと長身のカナとそう変わらぬが、板金鎧を着こなし、大剣を背負うそのさまは、見るからに威圧感がある。燃えるような赤毛も、炎のように揺らめいて見えるほど。
滲み出る闘気の嵐に、傍らのロベリアがひゅっと息を呑む音を聞いた。
「ドリーだ……!」
「剛剣のドリー! あの蛮族、終わったな」
寸前まで騒然としていた筈が、空気が一気に緩んでいく。
戦士の女――ドリーは、それだけ信頼されている実力者なのだろう。
カナは平然と応えた。
「ここがどういう場所か? 冒険者ギルドだと聞いたぞ」
「つまりお嬢さんの敵の巣窟ってことよ。その子を脅してここまで入り込んで来たみたいだけど、それももう終わり」
言いながら、ドリーはロベリアを一瞥する。
彼女に対して含むところはなさそうだ。何とも寛容なことである。
「妹の仇……! 蛮族は皆殺しよ!」
悠然の笑みを浮かべていたドリーが、突如として赫怒の形相へと変じた。
それが本音で、本性なのだろう。どうも樹海人に妹を殺されたらしい。
背の大剣を抜き放ち、腰ほどの高さを水平に薙いでくる。
矢が飛ぶような素早さ、丸太を振り回すような剛力と重み。
直撃すれば、抵抗も出来ずに両断されて即死しよう。
しかもカナの傍らにいるロベリアを巻き込む太刀筋だ。彼女に対して含むところはないのかと思ったが、かと言って気遣うつもりもないらしい。
カナはロベリアを押しやって間合から外し、その反動も使って踏み込んだ。
低く剣とすれ違うように懐に入って回避しざま、ドリーの腹に掌打を入れる。
鈍い音が響き、だが、鎧もドリーも小揺るぎもしない。
「板金鎧に素手で勝てるわけないでしょう? これだから知恵の足りない蛮族は――」
掌打を当てたまま腰を切り、更に鋭く衝撃を突き刺した。二打目。
一打目で押されて内側の胴体と密着していた鎧も、その威力を受け止めた筋肉の硬さも、それ故に二打目の衝撃の逃げ場が最早ない。
結果、二打目は防御をすり抜けるようにして内臓を粉砕した。
「ぐぶっ、……!?」
ドリーが膝をつき、口から血を噴き出す。
「樹海の武術に、鎧武者を倒す技がないと思ったか? 使い手は少ないが、それは確かにあるのだ。外人に対抗するためにな」